その気持ち、ほんまに「おもしろい」ですませていいの?
子どもへの作文教室を始めてはや4年が過ぎようとしている。途中、産休をはさみながら、今に至るまで辞めることなく続いている小さな教室だ。
漢字の間違い、語法のチェックをするところではない。美文名文を書こうなんてのとも、まったく違う。
書くことで、自分自身の内面に目を向ける場所。
そんな場所を志して今までやってきた。
受験対策をしたり、なんちゃらコンクールを目指すわけでもなく、あくまで「自己理解」を「書くことを通して」実現したいなんてすごく抽象的なことをやりたいと思ってきたし、いまも思っている。
抽象的であるからこそ、「果たして、私のやっていることは、私自身の願いをうまく体現できているのだろうか」と迷うことが多い。
文章を書くことで、「こんなこと考えてたんだなぁ」と子ども自身が気づけたら、それでもうこの教室は大成功だと思っているわけだが、”それ”ってなかなか目に見えないでしょう。
自分のやっていることはいったいどこに向かっているのか?ちょっと見えなくて、迷う日々がここ最近だったように思う。
ところが、昨日ちょっとだけ、嬉しいことがあったのだ。今日は書き残しておこう。
それってほんまにおもしろかったん?
教室に来てくれている、中学校1年生K君。この4月から新しい生活がスタートした。レッスン中、彼とのやりとりにこんなものがあった。
中学校生活の一幕を書くとき。彼はある感情を称して「おもしろい」と言った。しかし、そのときの状況をよくよく聞いていくと、どうも「おもしろい」という形容がしっくりこなかった。
それって、吉本新喜劇とか観るときの「おもしろい」やったん?
ガハガハ笑う、とかさ。
それか、思わずクスっと笑う感じ?
いろいろと質問を繰り返してみると、
「う~ん…そうですね、ちょっと違うかもしれませんね」という。
さらに質問を重ねると、どうやら「スカッとした」とした方が適切なんじゃないか、と思しき彼の本音が浮かび上がってきたのだ。
新たな気持ちが見えたとき、作文の方向性は変わった。
おもしろい、って思ってたけど、あれって実はおもしろいってのとはまたちょっと、違った気持ちやったんやなぁ。
そんなことを、彼と私、一緒になって気づけた瞬間だった。
この瞬間に、私の作文教室が存在する意義があるように思ったのだ。
できごとを振り返り、それを表す言葉を重ね、選び取っていく。さらに自分の内面を見つめ、自分の内面と言葉をぴったりと合わせていく。そのなかで、新しい自分の感情に気づくことがある。
書きながら、自分を見つめることってこういう瞬間なんかもしれん、とK君とのレッスンで、教えてもらったのだった。
感情を表す形容詞にはいろいろある。また、「楽しい」といってみても、その楽しいにはいろいろな色がある。
知っている言葉が少ないうちは、知ってる言葉に今の状況を合わせたり、また、言葉の表す意味は、人生経験を経ることで広がっていく。
「おもしろい」と思っていたけれど、よく自分の内面を見つめてみたら、あっちの言葉の方がぴったりくる!ってことは、あとあとになって気づいたりすることなのかもしれない。
私の作文教室は、書くことで、自分自身の内面に目を向ける場所だ。
内面を見つめ、その内面にあるものを言葉にするには、時間がかかることもある。そこに至る時間には個人差だってあるでしょう。
あぁそうか、私はそういう気の長い、でもとっても大切なことをしてるんじゃん。
心と言葉を照らし合わせながら、ほんとの気持ちに気づいていくお手伝いを、これからも、細々とでもいいから、子どもたちと一緒にしたいなと思った。