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一事が万事 2
昨日拙い言葉ながら綴ったことについて補完的な気づきもあったので追加。
昨日の記事はこちら
昨日は頂上からの景色みたいなことを書いたけれど、別の視点があると思う。別のようで結局一緒かもしれないけれど書いてみようと思う。
それはひとつの何か、或いは誰かを深く深く見つめること。
人は誰かとか何かに強烈に惹かれることがあると思う。
その対象を深く深く見つめていくときっと真実にたどり着くと思う。
みんな源は同じだから。
いま「推し」文化が流行っているけれど、理想化した姿を押し付けるようにヴェール越しの視点じゃなくて、本当に見えたものを全部そのまま受け入れていくと、なんか不思議な世界の拡がりというか、なにからも縛られない浮遊した感覚というか、そんな場所にいることに気づくときがある。
そこには静かな特定のエネルギー・・・多分「愛」とか「空」とかいうような感覚が満ちていて、その中で自由がある感じ。
表面的に見えている部分は凄く面倒そうな回り道を感じることも人によってはあるけれど(動物や植物や虫たちにはない)、それでもどこから入っても同じところに辿り着く。
わかっているだけで、出会う人すべてに試したりはしていないけれど、そう思う。ただそう思う。
ことばを変えて今日も表現を試みたけれどやっぱりうまくはいかない。わたしのパンツのゴムが戻らないほど伸び切ったわけじゃないのが原因なのかもしれない(意識の拡大の過程の例え)。
パンツのゴムが伸び切ったときのわたしなら、また違う表現ができるのかもしれない。
いや、そういう問題ではなくこの手のことについて文章で伝えるのが下手なだけなのだろう。仮定の中のいつかの自分に可能性を預けるのは無意味だ。
今日のまとめ。
「ローマ」に通じているという「すべての道」は何かの行動だけでなく、単なる対象も指すんじゃないかな。と。
個人的な理解。個人的な真実。
だってこの世はどこまでもフラクタルな構造だから。
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