一対の金具
長年使っている、小さめのショルダーバッグがある。
ちょっとしたお出かけから旅行まで、使い勝手が良くて気に入っている。
私は大きな荷物を持つのが苦手で、最小限の物しか持ち歩かない。
そしてバッグも、小さいものしか持たない。
他にバッグを買っても、結局そのバッグに落ち着いてしまうので、かなりの頻度で使っている。
そのバッグを、先日また使った。
ふと何気なく目に入ったそのバッグの金具に、私は驚いてしまった。
金具部分が、大きくすり減っていたからだ。
記事に書こうと思い調べたら、このような名前だそうだ。
ナスカン(茄子カン)
Dカン
カンは、鐶と書く。
この茄子カンは回転するので、回転茄子カンと呼ぶのかもしれない。
このバッグを頂いた時の事を、鮮明に思い出す。
私はこのバッグを、お誕生日プレゼントとして頂いた。
何も要らないと言い続ける私は、半ば強引に百貨店に連れて行かれた。
そこでも何も要らないと言い続けていたのに、ふとこのバッグが目に入り、手に取ったのだった。
私の欲しいものがようやく見つかったのを見届けると、あの人はようやく笑顔を見せた。
とても優しい人だった。
誰の事も傷つけない人だった。
その優しさが大好きだった。
笑うと、目がなくなるほど、くしゃくしゃの顔になる。
笑うとくしゃくしゃの顔になるあの人は、最後の日は、涙でぐしゃぐしゃの顔をしていた。
涙を拭こうともせずに、最後は無理やり笑顔を作って、両手で大きくバイバイをして送り出してくれた。
その意味を、私はこの金具を見て、ようやく気付いた。
私は、自分だけが傷ついたと思っていた。
誰の事も傷つけることができないあの人は、私の事だけは、こんなにも深く傷つけたのだと。
でも、本当は違う。
私も同じく、あの人を傷つけていた。
当時の私たちはきっと、この金具のようだったのだろう。
私だけがすり減っていたのではなく、あの人もまた、すり減ってしまっていたのだ。
決してお互いを傷つけるつもりなどなく、むしろ一つの目標に向かっていたはずなのに、いつの間にか私たちは疲れ果て、言葉さえも上手く伝えられなくなっていた。
喧嘩すらせずに、私達は静かに傷つけあっていた。
手元にあるあの人との思い出は、このバッグだけ。
全てを、あの場所に置き去りにしてきてしまった。
このバッグを持ってこようと思っていたわけではなく、たまたまその日にも、このバッグを使っていただけ。
遠い、遠い、昔の記憶。
私はきっと、このバッグを修理に出すだろう。
それは、このバッグを気に入っているという理由だけではない。
壊れかけるまですり減った当時の私達を、救ってあげたい気分だからだ。
もし、あの時に戻れるならば、私はまた同じ選択をするのだろうか。
戻れるはずもないのに、私はバルコニーに座り庭を見ながら「あれから」の続きを考える。
必死に考えてみるけれど、紡ぎだせる言葉がない事に呆然とする。
急に強い風が吹き、私は現実に引き戻された。
木に止まっていた小鳥が、その風に煽られたように飛び立った。
小鳥は空に舞い上がり、自由に飛んでいる。
しかし、強い風の前では、ほんの少し不安定に見えた。
私もまたあの小鳥のように、果てしなく自由だけれど、不安定で落ち着かない奴だ。
ミルクをたくさん入れたコーヒーを飲みながら、自嘲する。
そうして自分を笑えた時、思い出は寂しいものではなくなっていた。
金具がすり減った年月をかけ、私の中の思い出も風化し、変化していったのかもしれない。
寂しさではなく、むしろ感謝の気持ちのほうが強い事に気付く。
部屋に戻り、バッグを目の高さに掲げる。
そして、ひんやりとした金具を握り、両手でバッグを抱きしめ、目を閉じた。
感謝のハグは、あの人には届かないけれど、それでいい。
あの人が、今もくしゃくしゃの笑顔をしていたら、それだけでいい。