ドイツの祝日 メーデーと鈴蘭の日
5月1日はドイツの祝日、メーデー。
Tag der Arbeit
直訳すると、労働の日。
世界の多くの国では、この日を労働者の日として休日扱いにしている。
今年は残念ながら日曜日なので、少しだけ損した気分になる。
仕事についてはブログに残さないが、せっかくなので今日は仕事について。
Nichts ist unmöglich, Toyota
不可能はない、トヨタ
これは、トヨタ自動車がドイツ国内で使用していたスローガンで、CMでもよく耳にしていた。
特に好きだったCMがこちら。
CMの中で、唯一のセリフがこの言葉だ。
Das isit eine Falle.
Ein Collora hat keine Panne.
これは罠だ。
カローラに故障などない。
運転する男性も、トヨタの車に乗っている。
トヨタ車に乗る人に、トヨタ車は故障しないと言わせる。
このCMからは、確たる自信が溢れ出てくる。
ドイツと日本の労働、何が違うかと問われたら、根本的に違うと答えるしかない。
ブログでさっと語れるほど単純ではなく、歴史、宗教、教育、強い労働組合の存在など、実に様々な要素が組み合わさり、今のドイツの労働環境が作られていると考える。
その中でも、私が大きく差を感じることが、学校教育だ。
幼いうちから将来の進路を決めるドイツ。
専門職を身に着けるかたの割合も多い。
日本では、新卒採用をし、社内教育が充実している事が多いが、ドイツではそのような一括採用というのはあまり聞かず、専門的な知識を活かした仕事をする方が多い。
よく言われるのは、日本はジェネラリストであって、ドイツはスペシャリストという事だ。
労働に対しての平均値も、大きく異なっている。
OECDより発表されていてる2019年度の資料によると、年間総労働時間は、日本が1644時間に比べ、ドイツは1386時間、実に年間258時間もの差がある。
更に、年間有給休暇も、日本が18日に対し、ドイツは30日だ。
ドイツのほうが、労働者にとって優しい職場であると言えるのかもしれない。
しかし、そこには徹底的に合理化された秩序があり、また誰もが代替可能な人材であるべきだという共通理念もあると思う。
ドイツで働く事は、時には難しい。
日本のやり方を通せば、ドイツ人から反感を買うし、ドイツのやり方を押し通そうとすると、日本人にはいい顔をされない事もある。
自分が当たり前だと思っている事が、ドイツ人にとっては非常に高いレベルである事も多い。
いくら勤勉で真面目なイメージのドイツ人も、日本人の繊細さや真面目さに比べると、また少しレベルが違うように思う。
ドイツの様々な習慣、考え方、意見の主張の仕方を知らないと、ここで働くことは更に難しい。
色々な事を知った上で、相手との妥協点を見つけていく。
相手にも、自分が何故こう思うのか、何を求めているのか、理解してもらわねばならない。
それは、日本であっても同じ事だが、日本では『規則だから』と納得してくれる事でも、ドイツ人からは反論を受ける事もある。
ドイツ人は議論好きだから、自分の意見を述べるのを好きな人が多く、時々は意見の衝突もある。
みんなが言うには、私は完璧主義者なのだそうだ。
自分では、そうは思わない。
私は心配性で、泣き虫で、不器用だから、完璧なんて程遠い。
人の気持ちに敏感すぎるとも言われる。
人の気持ちが分かる能力は、ありがたい。
困っている人がいると、邪魔にならない程度のお節介をして、その人を助けたり、その人の能力を高めるお手伝いをすることもできる。
私はどうやら無意識のうちに、完璧を求め、周りの人の事ばかりを考えているようだ。
どうしたら一番いいだろうかと、あれこれ思いを巡らしてしまう。
困った時、頭に浮かんでくる言葉がこれだ。
Nichts ist unmöglich.
できない事などない、やればできると、いつも自分を追い込んでいた気がする。
日本とドイツの差に、100%馴染むことなどない。
その結果、不要なストレスを抱えてしまう事もあったのだと思う。
自分で自分を苦しめるなんて、みっともない事なのに。
メーデーに思う事。
私はほんの少し、自分を変えていきたい。
仕事に対しても、そして生活全般に対しても、もう少し『鈍感力』が欲しい。
完璧でなくてもいいと思える鈍感力。
自分を一番大切に思える鈍感力。
日本語では、面の皮が厚いと言うが、ドイツ語では、鈍感な人を『eine Elefantenhaut haben』 象の皮膚を持つと比喩する。
その言葉を聞いた時、思わず笑ってしまった。
Nichts ist unmöglich.
今こそ、この言葉を、自分だけのために使いたい。
トヨタ自動車のCMは、私のちっぽけな挑戦よりも、ずっとカッコいい。
不可能はない、と言い切れるカッコよさと、その自信。
私は、いきなり象にはなれないだろう。
でも私は、変化する可能性を、まだ持っているはずだ。
Nichts ist unmöglich, DITO!
そして、今日は鈴蘭の日。
鈴蘭は、ドイツ語でMaiglöckchen。
Maiは5月、Glöckchenは小さな鈴、鐘の意味なので、5月の鈴という意味になる。
この日に、いつも思い出す人がいる。
5月1日に鈴蘭を贈られると幸せになると教えてくれた、以前勤務していた会社の同僚だ。
いつもメーデーの次の出勤日に、小さなグラスに鈴蘭を生けて、私のデスクに飾ってくれた。
その鈴蘭は、その日の朝に、彼女が自宅の庭で摘んだものだ。
摘んだばかりの鈴蘭は、新鮮で心地良く、優しい薫りを放っている。
まるで、彼女そのもののようだ。
鈴蘭の日は、大切な人に鈴蘭を贈る日。
薫りはお届けできないが、せめて可愛らしい鈴蘭の姿を・・・
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