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左足と蜂、そして神谷バー

土曜日の午後。
掃除を終え、ゴミ捨てのために玄関を出た途端、左足首に鋭い痛みが走った。
見ると、蜂が私の内くるぶしにしがみついている。
蜂に刺されたと分かり、慌てて蜂を払い除けた。

急いで足を洗い、毒を絞り出す。
蜂に刺されると、15分程でアナフィラキシーの症状が出る可能性がある。
2度目以降の蜂刺されには、特に注意が必要だ。

蜂に刺された事は、ある。
中学生の頃、スリッパの奥に蜂が潜んでいるのに気付かず履いてしまい、右親指を刺されてしまった。

そんな事を思い出し15分が過ぎたが、体調の変化がなくホッとした。
虫刺されのジェルを塗り、足を冷やし、高く上げ続ける。

ドイツでは、蜂をはじめとした昆虫類は殺さず、もし家に入って来てもそっと逃す。
こちらが攻撃さえしなければ、蜂は刺してこないと教わった。
何もせずに刺されるとは、私は全く運が悪い。

この辺りでよく見かけるのは、BieneミツバチとWespeスズメバチ。
ミツバチは大切にされていて、人を刺すと死んでしまうミツバチを可哀想だと言う人も大勢いる。
しかし、スズメバチのほうは何度でも刺せるし攻撃的だ。
私が刺されたのは、このスズメバチだった。

夜になると痛みは増し、痛みの中でウトウトした。
朝になると、刺された場所がくっきりと点になり、その点を中心にして、掌を開いた広さまで腫れ、痒みも出てきた。

蜂に刺されたと友達に話すと、ハイキングに行ったのかと聞かれた。
玄関を出てすぐに刺されたと答えると『虫の居どころが悪かったのね、虫だけに』と返され、思わず笑ってしまった。

月曜日には少し腫れが引いたように見えたので、念のため薬局に立ち寄り勧められたクリームを買い、会社に向かう。

しかし、午後になると腫れが酷くなり痒みも増し、膝裏のリンパ節まで引っ張られるように痛くなり始めた。
何とか仕事を終え、自宅に戻り急いで冷やすと少し落ち着いたが、痛みと痒みが波のように襲いかかり寝付けない。

翌朝になり病院に行くと、しばらく安静が必要と診断され、数日間病欠扱いとなってしまった。
私はどうやら重症だった。

腫れた部分をペンでぐるりとマークされ、少しでも大きくなったら再診するよう指示される。
アクリノール配合の黄色い炎症止めクリームをたっぷり塗られ、足は包帯でぐるぐる巻きになった。

私には、左膝に傷がある。
医師に聞かれ、事故の傷だと答えると、それ以上聞かれる事はなかった。

この機会に、痒み止め機器bite awayや毒吸引器を購入した。

久しぶりに、左膝の傷について聞かれた。
今はもうあまり目立たないが、長い間、私はこの傷を隠し続けてきた。

小学2年生の頃、私は交通事故に遭った。
叔父に、実家近くのお店に連れて行ってもらった時の事だ。
お店の前で車に轢かれ、意識を失った。

気が付くとそこは実家の庭で、叔父の車の助手席の、少し傾けたシートに寝かされていた。
みんなが心配そうに私を見下ろし、矢継ぎ早に質問され、私は何が起こったのかようやく理解した。
少し体を起こし、自分の左膝を見て、ギョッとする。
皮膚がパッカリと割れ、それはまるでザクロのようだったからだ。

携帯電話もナビも無い時代。
救急車を呼ぶべきか、自分で病院まで運んだ方が早いか、そもそもどの病院へ行くべきか叔父には分からなかったのだろう。
私を車に乗せ実家まで戻り、父と相談する必要があったようだ。
私のかかりつけの病院には、当日は手術ができる外科医がいなかったようで、別の大きな病院を指定され、叔父はそこへ向かった。

助手席のシートは、私の血で染まっている。
私は起き上がり、スカートの裾でそれを拭おうとした。

おじちゃん、ごめんなさい
私、おじちゃんの車を汚しちゃった
本当にごめんなさい

いつもは優しい叔父だが、その時ばかりは私を叱った。

やめなさい!
そんな事はどうでもいいんだ
病院に着くまでじっとしてなさい!

初めて行く病院で、私はベッドの上で天井を見ながら医師を待った。
そこは大きな部屋で、姿は見えないが、奥で女の子が大声で泣いていた。
その子は蜂に刺されたのだと、看護師さんが教えてくれた。

私の膝は骨が露出していたが、事故直後には全く痛みを感じなかった。
そのせいか、医師との会話を今でも思い出せるほど落ち着いていて、車のシートの汚れはちゃんと取れるだろうかと、その事ばかりを気にしていた。
そして、蜂刺されは交通事故より痛いのだと思うと、蜂が恐ろしくなった。

初めて足の親指を刺された時の症状は軽かったが、今回は本当に参った。
蜂はあんな小さな体で、しかもたった一撃で私をこれほどまでに痛めつけるなんて、本当にニクイ奴だ。
でも、蜂がきっかけとなり、私はあの事故を思い出した。
そして、叔父を想った。

私が成人式を迎えた日、叔父は叔母と共に、私に会いに来てくれた。
叔父は私の正面にきっちり座ると、私の目をじっと見てから、大人になってくれてありがとう、と言った。
そして、あの事故で私を守れなかった事を静かに詫びた。

叔父は何も悪くない。
私が勝手に歩いて道に出た。周りを見ずに。
運転手も、前方不注意だった。
しかし、自分しか保護者がいない場所で私を事故に遭わせてしまった事で、叔父はどれほど自分を責めただろう。
あの事故は、長い間に渡り叔父を苦しめていたのではないかと思うと、申し訳なくて涙が出た。

叔父はその日、お祝いだと言って、いつもよりたくさんお酒を飲んだ。
叔父と初めて乾杯したビールは、飲み慣れない私には苦かった。
普段は物静かな叔父が、顔をしかめた私を見て、真っ赤な顔で笑った。

それからしばらくして、叔父は私を浅草の神谷バーに連れ出した。
Ditoと一緒に電気ブランを飲む事が夢だったのだと、叔父は嬉しそうに小さな琥珀色のグラスを握った。
叔母が心配そうに見守る中、叔父のものより随分と色の薄いソーダ割りを、私はチビチビ飲んだ。
それは、オトナの味だった。

叔父はなぜ私と一緒に、電気ブランを飲みたかったのだろう。
それとも、神谷バーに特別な思い出があったのだろうか。
あの時は深く考えなかったが、今になってその理由が知りたくなるなんて、不思議なものだ。

叔母と一緒に、ドイツにも遊びに来てくれた。
大好きなビールを、どの街でも美味しそうに飲み、スーパーで棚にずらりと並ぶビールを見て目を丸くする姿は、とても可愛らしかった。
まだ飲んだことのないビールを探して買い求め、様々な感想を私に教えてくれた。
ドイツのビールはどれも美味しい。
それが、叔父の結論だ。

私はあの日、あの事故で、死んでいたかもしれない。
叔父もきっと、同じ事を考えていたのだろう。
だから、成人式を迎えた私を見届け、ホッとしたのではないだろうか。

生きていて良かった。
私のためではなく、叔父のために。
叔父をあれ以上苦しめずに済んで、本当に良かった。
生きている事そのものを、純粋に嬉しいと感じたのは、あの成人式の夜が初めてだ。

叔父は今、きっと父と一緒に、遠い空から私を見ている
ビールの苦さに顔をしかめた私を見た時のように、蜂に刺された私を、運が悪いヤツだと笑っているだろうか。

いつかまた叔父に会えたら、もう一度電気ブランで乾杯しよう。
その後は、ドイツビールだ。
もう私は、苦さに顔をしかめたりはしない。
グラスを傾けながら、私をなぜ神谷バーに連れて行ったのか、なぜ電気ブランだったのか、その理由を教えてもらおう。

この記事が、ちょうど250個目となりました。
いつも読んで下さりありがとうございます。

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