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ベルギー三都物語②ブリュージュ

2つ目の街は、ブリュージュ。
オランダ語Bruggeブルッヘ
フランス語Bruges ブリュージュ
本記事ではブリュージュと記載。

この名前は橋を意味し、運河が流れる街にいくつもの橋が架かっている事が由来のよう。
その様子から、北のヴェネツィアとも呼ばれているそうだ。
街はブルージュ歴史地区として、世界遺産に登録されている。

この街へは一度だけ日帰りで訪れていたが、今回はゆっくりと滞在し、この街の美しさを満喫した。

聖母教会

ヘントの祭壇画と同じく、この教会にあるミケランジェロの聖母子像も、映画ミケランジェロプロジェクトの中で取り上げられている。
イタリア以外で彼の作品があるのは、ルーブル美術館とエルミタージュ美術館、そしてこのブリュージュの3箇所だけだそうだ。

作品はMouscron家によって注文され、彼はここフランドル地方の織物で財を成したかた。
ナポレオンとナチスに掠奪されながらも、こうして今もこの教会にこの作品があるのは、まさにMomunents Menの方々の努力の結果だ。
映画の中では、この像は参拝者の手の届く場所に飾られていたが、私が訪れた時にはこのように遠くの祭壇にあり近づけなかった。

ズーム機能でようやく表情が分かる

聖血礼拝堂

この建物は当初、伯爵家の個人的な礼拝堂として建てられた。
当主ティエリー・ダルザスは12世紀中頃に第二回十字軍遠征に参加し、その際にイエス・キリストの血を持ち帰り、この建物が保管場所に選ばれた。
そのため、小さいながらもバジリカと呼ばれ、一般教会よりも高い位置に定められている。

聖血が保管されているのは二階部分で、豪華な内装だ。

教会内部の聖血の絵

聖血を拝めるのは時間が決まっており、教会内の少し高く設置された場所で、聖職者のかたが座る前に置かれている。
一人一人その階段を登り、聖血を拝める。

聖血は写真撮影不可のため教会内展示物の写真

市庁舎とブルク広場

街の中心地、市役所とブルク広場。
壮大な建物の前に大きなクリスマスツリーが立ち、夜はより一層華やかだ。

市庁舎二階部分は、有料だが見学ができる。
ホールは素晴らしい装飾。

奥の部屋には、オーディオを使いブルージュの歴史を学ぶコーナーが設けられており、運河を通して街が繁栄した様子なども良く分かる。

ブルージュの鐘楼 

マルクト広場に建つ鐘楼。
ヘントの鐘楼に並び、ベルギーとフランスの鐘楼群の一つとして、世界遺産登録されている。

高さ83m、366段の階段を登る。
クリスマスマーケットで賑わう夜の街を、鐘楼から眺める。

ベギン会修道院  

1245年フランドル伯爵夫人により設立された修道院。
中世ヨーロッパより始まった女性達による自立支援集団で、フランドル地方独特の自治体である。その形態が珍しいため、30ほどの建物が纏められ世界遺産にも登録されている。

ここは、オードリー・ヘップバーン主演の尼僧物語の舞台としても使われたそうだ。

ミンネワーテル公園 

この公園には美しい別名があり、その名も愛の湖公園。
ミンネンと呼ばれる水の精がいると信じらていた事や、ここがミンネという女性の悲しい恋の物語の場であった事などから、このような名前が付けられたそう。
白鳥がのどかに泳ぐ姿が印象的。

メムリンク美術館(旧聖ヨハネ施療院)

初期フランドル派の巨匠と呼ばれるハンス・メムリンクの名前を冠する美術館。
元々病院だった場所に、メムリンクが作品を寄贈した事がこの美術館の始まりだという。

かつての医療の様子が分かる展示が多数。

旅行用薬箱

美術館スペース。

ベルギー七不思議の一つに数えられる聖ウルスナの遺物箱も保管されている。
リエージュを訪れた際にも、このベルギー七不思議の一つを見る事ができた。

グルーニング美術館

この街を再訪する目的となった美術館。

ヤン・ファン・エイク
ファン・デル・バールの聖母子
前日見たヘントの子羊は、大きなガラスケースに入っており、近くで見るには限界があった。こちらでは、彼の細密描写を心ゆくまで味わった。

本の字まで読めそうだ
絨毯と宝石の描写が素晴らしい

マルガレータ・ファン・エイクの肖像画
ヤンが妻を描いた作品だ。

ブリューゲル

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 
聖母の肖像を描くルカ

ハンス・メムリンク
モレールの三連祭壇画


ボッシュ 最後の審判

作品が多く収めきれないので、美術館については別の記事に纏めたい。

ヤン・ファン・エイク広場

彼の出生については、はっきりと分かっていないらしいが、ブルージュに家を買い、妻マーガレットと共に住んでいた事は判明している。
名声と富、全てを手に入れた彼が最後に選んだ街、それがブリュージュ。
美しい街並みが、更に特別なものに感じられてくる。

ホテル クラウンプラザ

ヤン・ファン・エイクは、この街にあった聖ドナトゥス大聖堂の墓地に埋葬された。
後に1442年になってから、ランベルト・ファン・エイクの指示のもと、遺体が発掘され、同大聖堂内に埋葬されたのだそうだ。
しかし、この大聖堂はフランス革命の最中に破壊されてしまったという。
かつての大聖堂跡地は広場となっており、隣接した場所にはホテルが建ち、地下に遺跡が残っている。
調べた時には誰でも見学できるとあったのだが、現地に行ってみると、ガイド付の見学のみになったのだと残念そうに答えてくださった。
私の今回のベルギー三都物語は、ヤン・ファン・エイクを巡る旅。
彼が最期に眠りについた場所を知ることができ良かった。

少しだけ遺跡部分が見える

宿泊は、別のホテルを予約した。
この街のイメージ写真は、鐘楼と運河が見える場所から撮られたものが多い。

そんな最高の場所に建つのは、ホテルDuc de Bourgogne。
上の写真、右側の白い建物だ。
次回訪れる時は是非ここに泊まりたいと願っていたので、旅の予定の10か月前に予約した。

ホテルを反対側から見た写真

希望通りの角部屋を使わせていただいたので、朝早く起きて日が明けていくのを眺め、夜も窓辺に座り、美しく照らされた風景を飽きずに見ていた。

朝食も、一番見晴らしの良い席を使わせて下さった。

ホテル兼レストランなので、ベルギーで食べたかったムール貝を夕飯にいただいた。
フライドポテトも、ベルギー発祥と言われておりとても美味しい。
デザートには、タルトタタンも。

大好きな白ワイン蒸し

街はクリスマス一色。

クリスマスマーケットでは、リエージュ風の生地に、生クリームとカラメルソースのワッフルを。

この街は、フランドル地方の重要商業都市だった。
ダイヤモンド取引で知られているアントワープやアムステルダム。
ブリュージュは一足早く、1370年にはダイヤモンド原石の取引がスタートしていたそうだ。
ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く研磨技術を考案したのも、15世紀にブリュージュにいた金細工職人ローデウェイク氏。
ブルゴーニュ公爵宮廷は、ブリュージュの街を中心に高級ジュエリーの産業を起こし、その事が街の繁栄に大きく影響した。
その歴史を伝える博物館があったが、残念ながら時間不足だった。

かつての栄華が、今もなお街の隅々で感じられる。
古い建物や街並みの残る美しい街ブリュージュで、ヤン・ファン・エイクは生き、そして静かな眠りについたのだ。

旅の続きはこちら。

ベルギー三都物語のスタートはヘント。

クリスマスマーケット記事まとめ

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