Frame
好きな風景
というのは、誰しも一つぐらいはあるのではないだろうか。
「旅先で観た青い海」
「家のベランダから見える都市と空」
「どこまでも続くような道と地平線」
同じように
絵画の好きな構図
というのもあるのではないだろうか。
「テーブルと花瓶と窓」
「川と船と橋」
「人と道と山」
それぞれに良さがある。
私は風景なら海があるのが好みだし、絵画だと奥行きがあるものをずっと観ていたりする。
こういった好みというのは映画にも繋がると思っていて、今回取り上げる作品は画面の絵作りが素晴らしかった。
映画「世界の終わりから」
紀里谷和明監督の最新作である。
私はYouTubeで映画批評をよく観るのだが、この映画について取り上げているものが少なく、この映画の良さが世間に届いていないではと思い、このnoteが「世界の終わりから」を観るきっかけになったら嬉しい。
ストーリーだが、家族もいなく進学も難しい高校生"ハナ”のところにある日、政府の関係者が訪れて「君が世界を救える」と言われるところから始まる。
ストーリー(脚本)も秀逸なのだが、各シーンの絵面のクオリティがかなり高い。もちろん、そもそも映画というのはシーンの絵面のクオリティが高いのは当たり前なのだが、他よりもそのレベルが一段も二段も上なのである。
これは私の推論だが、紀里谷監督というのは頭の中にかなり緻密にシーンのイメージを作ることができ、尚且つそれを具現化(映画化)できる能力に長けている人なのだろう。
紀里谷監督の過去作「CASSHERN」「GOEMON」「ラスト・ナイツ」は以前に観たが、今回ほど好みではなかったという記憶である。そんな中で今作にどハマりしたのはなぜだろうか。過去三作品を観た時から最新作を観た時までの私自身の変化について振り返ってみて分かった。
ここ最近(といっても数年単位なのだが)美術館巡りをしていることが影響し、今回の「世界の終わりから」の絵作りについて注目できたのだ。
美術館巡りをしているといっても、画家について詳しいわけでもないし、○○派について話せるわけでもない。自分にとって好きな構図の絵を探しに美術館へ足を運んでいるのだ。
絵画におけるお気に入りの構図を観ている時のなんとも言えない昂揚感は、美術館でしか感じられないし言語化もできない。そんな昂揚感を「世界の終わりから」を観ながらも感じたわけで、美術館巡りが映画の見方にも影響したわけだ。
こういう風に影響し合うことは別に映画と美術館だけにあるわけではなく、仕事の段取りを組むことが料理をする時の片付けも含めた進め方に繋がることなど様々あるだろう。結局のところ、日々ある様々なことは有機的に繋がるし、だからこそ様々なものに触れることでそれらに気づけるのだ。
何かを信じることも大事だが、それと同時に本当にそうなのかと疑問に思うことも同じく大事である。そういうスタンスでいるためには、様々なものを知ろうとする姿勢を持ち続ける必要があり、これは「世界の終わりから」も投げ掛けられていると私は思う。
自分の枠組み(frame)は自分が決められるのだからこそ、それをどうするか。自分の中に様々なものへ対する情熱という名の炎(flame)を持ちながら、映画や絵画を観て考えてみてはどうだろうか。