ありがとう。さようなら。
おいでませ。玻璃です。
秋風が吹き寒さを感じ始めた頃、ガンで入院中のフチばあちゃんの痛みが強くなってきた。
あの頃は、今のように痛みのコントロールをきちんとしながら苦痛をなるべく感じないように…というのは難しく、次の痛み止めを使えるまでの時間は地獄のような痛みに耐えなければならなかった。
激しい痛みにも、小さい頃から忍耐を強いられたフチばあちゃんは歯を食いしばって耐えたという。
看病に母は付きっきりだったがさすがに限界もあり、舞姉さんが帰郷して看病を手伝っていた。
私は学校帰りにお見舞いに立ち寄ったが、調子のいいばあちゃんに会える機会は日に日に減っていった。
トメおばあちゃんとのお別れもまだ鮮明で、
「次はばあちゃん?」
と考えたくもない事が浮かび、涙がこみあげて喉が詰まったような息苦しさを感じた。
たまたま痛みが楽な時に会えると、
「玻璃ちゃん、よう来たね。帰りにお菓子を買って帰りぃね。」
と、何年も使っている味わいのあるがま口財布から、折りたたんだ千円札を一枚出して渡してくれた。
「ありがとう。ばあちゃん、今日は痛くないん?」
「ん~、今日はなんぼかマシやね。」
と、いつもの優しくて穏やかな笑顔を私に見せてくれた。
子供と言っても小学5年生の私は、その笑顔が今にも消えてしまいそうな事はしっかりと感じ取っていた。
本格的な北風が吹き、街はあちこちでクリスマスの装い。
その頃には、ばあちゃんは強い痛み止めでほとんど会話ができなかった。
そして冬休みに入り、街はクリスマスからお正月にお色直しをして、道行く人も足早になる昭和55年の歳の暮れ。
朝からだるく、なんだか熱っぽい。
だんだん寒気もしてきた。
ばあちゃんの看病に忙しくしていた母もさすがに私が辛そうなので病院へ連れて行ってくれた。
診断は「水疱瘡」。
幼い頃に患っていなかったらしい。
大きくなってからの水疱瘡は酷くなると聞いていたが、本当に辛かった。
その頃にはわからなかったが、持病のファブリー病のせいで高熱中は激しい手足の痛みが更に私を苦しめた。
「ああ、もうすぐお正月なのに…。」
みんな仕事やばあちゃんの病院で出払った一人の武家屋敷の居間。
コタツに入りながら毛布にも包まって、年末の特番を観て痛みを紛らせていた。
母が帰ってきて、ばあちゃんの様子を聞いても具合の悪い私に心配をかけさせないように「大丈夫、大丈夫。」というばかり。
父はさすがに機嫌が悪く、ばあちゃんの話は切り出せなかった。
昭和55年最後の日。
ばあちゃん危篤の知らせが入った。
私は一緒に病院に行ったのか家にいたのか、どうしても思い出せない。
神様にその日の記憶を消されたようにぶっつりとその日の記憶がない。
そして除夜の鐘が鳴り昭和56年になってすぐ、まだ夜が明けない時間にフチばあちゃんは息を引き取った。
ばあちゃん、宇宙より広く底なしの深い愛情をありがとう。
そして…さようなら。
では、またお会いしましょう。