傷の手当
おいでませ。玻璃です。
駅からの帰り道、ゾワゾワ私の背中を這いまわる寒気たち。
一回下宿に戻ったらもう外に出れないかもしれない。
そう思って、帰りにスーパーに寄り、飲み物やパンなどを買った。
下宿近くの公衆電話ボックスに立ち寄る。
中学からの友人で夏休みに一緒に東京に行ったひろべえに電話をかけてみた。
彼女はお勉強ができたので市内の偏差値高めの学校に通っていた。
「あら、玻璃ちゃん。私、今帰ったところ。どうしたん?なんか声が変やない?」
「ヤバい。熱が出て来とる。寒気がすごいんよ。」
「明日まで何とかなりそう?明日学校の帰りに寄るから。」
そういって、その日は電話を切った。
案の定、夜中には高熱が出た。
顔だけ熱いのに背中は寒い。
学校を休んで、布団に包まって時を過ごした。
早めの夕方、約束通りひろべえが来てくれた。自宅から持ってきてくれたカゼ薬、そしてスーパーで買ってきてくれた飲み物と食料が有り難かったし、それよりも何よりも顔を出してくれた友人への感謝の気持ちで涙が出た。
心細かったんだ…私…。
この胸の苦しい感じは寂しさだったんだ…。
張っていた「気」がフーッと緩んだ。
その日、私は常備している「写ルンです」でセラー服姿にエプロンをつけてご飯を作って洗い物までしてくれたひろべえをこっそり撮影した。
そして二人で夏休みにディズニーランドに行ったときに買ったミニーちゃんのカチューシャを付けた熱で真っ赤な顔をしている私の写真をひろべえにも撮ってもらった。
今でもその写真を見るたびにあの時の感情が私の心の中に一気に戻ってくる。
来年3月にまたジュリーのライブに彼女と行くのだが、改めてあの時のお礼を言おう。
そして、小学生からの友人「レッタン」ことゆみちゃん。
(「正義は勝つ」の回を参照)
彼女とは高校も同じで、列車通学はいつも一緒だった。
その時に私たちの間で流行っていたのは、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」だ。
これを毎週観て爆笑ポイントを話し合うのが恒例となっていた。
確か土曜日の夜に放送だった気がするが、私の下宿では室内アンテナが電波をキャッチできず、砂嵐状態だったためにゆみちゃんが録画しておいてくれたものをバイトのない平日にゆみちゃんのお宅にお邪魔して視聴していた。
ゲラゲラ笑い転げていると、ゆみちゃんのお母さんがお仕事から帰ってくる。
「玻璃ちゃん、今日も良かったらごはん食べていかん?」
「いえ、大丈夫です。」(やった~!という心の声)
「いや、もう買い物してきたから食べて行ってくれんと困るんよ。」
「あ、じゃいただきます!」
家庭の味。人が作ったものってなんでこんなに美味しいん?
調子に乗って何度もごちそうになった。
あの時のことを思い出すと、今でも感謝の心でいっぱいになる。
私はいろんな人に支えられている。
一人で暮らしているけど、決して一人ではない。
いろんなことが思うようにいかない事もあるし、高校生の私の器にはあふれ出てしまう事が起きてしまった。
でもそのあふれ出たものを更に大きな器で受け止めてくれる人たちがいる。
まるで日本酒をスレスレまで入れた桝からあふれ出る酒を受けるお皿のように。
あれ?私ってめっちゃ幸せじゃない?
だから私は今でも基本的に「人」が好きだ。
「人」によって傷つくこともあるけれど、その傷の手当てをしてくれるのもまた「人」。
寒さも本格的になってきた。
もうすぐ高校生活最後の冬休みがやってくる。
ではまたお会いしましょう。