母の愛の鎖
おいでませ。玻璃です。
いつの時代も17歳と言えば、洒落っ気が一番出る頃ではないだろうか。
当然私も例外ではない。
髪型を常に気にして、休みの日には、ピチピチに弾ける肌に必要のない化粧を施す。
今、あの肌を手に入れることができたなら、きっと日焼け止めだけで、堂々と銀座に出かけるだろう。
だが、私には決定的なコンプレックスがあった。それは…
「若白髪」
耳の後ろのあたりをかき上げると白髪が多量に顔を出す。
今の白髪と性質は違うが、髪を結んだりするとあちこち白髪が主張してくる。
いろんな髪形を試したいお年頃の私にとっては、あの選択しか残されていない。
「白髪染め」
この頃の私は、今のように美容院に行って染めてもらうという考えはなく、お店で買ったビゲンなどの自分でやる白髪染めを使っていた。
みんなはブリーチしたりしていたが、私は髪の色を抜くより逆に色を入れたいのだ。
染めてしばらくはいいが、時間の経過とともに色が抜けて茶髪になっていく。しかも、白髪部分は更に明るいトーンに。
さすがに学校で注意される。
うちの学校は、傘も紺か黒の折り畳み傘のみオッケーという謎の決まりがあるような学校だ。
当然、私の髪の色はアウト。
学年指導だったトミナガ先生が特にうるさく言ってきた。
このトミナガ先生は舞姉さんが在学中に卓球部の顧問だった先生だ。
ハシモト先生と同様、
「姉ちゃんはそんなことせんかったのに、お前は何なんじゃ?」
と、姉の話を持ち出してくる。
腹が立った私は、家に帰って母に訴えた。
「また、舞姉ちゃんと比べて怒られた。私だって好きで髪染めとるわけじゃないのに。」
その次の日の午後、担任のチビしんに呼び出された。
「今帰られたが、お前のお母さんが来られて、白髪染めの事を話されて行かれたぞ。」
「え?うちの母親が?」
母はチビしんにこう言ったそうだ。
「娘は好きで染めとるわけじゃないんですよ。あの年頃の娘が白髪だらけというのはいくら何でも不憫じゃないかと私は思うんですよ。なるべく茶色くならないようにこちらでも注意するので、認めてもらえませんでしょうか?」
そして、トミナガ先生にも
「先生、舞がお世話になりました。妹の玻璃は妹とはいえ、舞とは別の人間ですから、どうか舞と比べるような発言はしないでやってほしいと思います。」
と言ったそうだ。
通る道理か通らない道理かは別として、ビックリの後にジーンと来た。
私には、学校に来るなんて一言も言わなかったのに。
結局、チビしんは
「学校から毛染めを認めると大声では言えんから、ここだけの話にして…俺はとりあえず反対はせん。でも、茶色はいけん。黒をキープするようにな。」
家に帰って、母に
「お母さん学校行ったんて?」
「うん、玻璃ちゃんの気持ちを親として伝えてきたわ。
これから先も玻璃ちゃんが自分の手におえんと思った時はお母さんに相談しぃね。
なんでもやってあげるわけにはいかんけど、お母さんはアンタを守るのが役目やから。大人が出ていくタイミングではいくらでも出て行って意見も言うし、一緒に謝ってもあげるからね。隠し事はせんでね。」
いや、お母さん、めっちゃ甘々ですやん。末っ子に甘すぎやない?
これ以降でもいろんな場面で母は、私を守ってくれた。
そのためか、私は末っ子の甘えん坊でなかなか「ここ!」という時に自分で踏ん張ることができなかった。
でも、そんな私が自分が母親になった時から一変した。
母の姿を思い出し、全力で子供を守って来たつもりだ。
確かに子供のためなら頭は下げられる。
喧嘩もできる。
先日、子育て中の娘が小児科で嫌な思いをしたときに言っていた。
「子供たちのためならいろんなものと戦えるんだね。お母さんもよくやってたよね。」
お母さん、あなたの甘々だったかもしれない母の愛は、ちゃんと鎖のように孫娘にまで繋がりましたよ。
ではまたお会いしましょう。
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