体育なんか大嫌い
おいでませ。玻璃です。
私は体育が嫌いだ。
嫌いな理由は、持病と大きく関係している。
まず、体育着だ。
女子としては何とも屈辱的服装、ブルマー。これが嫌だった。
考えてみたら、下着のパンツの上にもう一枚紺色のパンツを穿いただけ。
このスタイルのために太ももが丸出し。
赤ちゃんの時、くっついていた手の指を切り離す手術で足の付け根の皮膚を取って移植した。
成長と共にその傷の位置が下に下がってきて、両太ももの前側にケロイドがあり、それがブルマーだと丸見えになる。
更に追い打ちをかけるように「裸足で体育をする」という教育が始まった。
体育館はもちろん校庭でも裸足だ。
そうなってくると、成人になってから手術することになっている右足のくっついた指もさらすことになる。
「どうしたの?」
と聞いてくる子はいなかったが、友達の目線が足元に下がるのを感じる度に身の置き所のなさを感じて切なくなった。
「普通の指が欲しい。傷のない皮膚が欲しい。」
特に美しい指が欲しいと望んではいない。ただ、右と左が同じ手足が欲しかった。
それだけでも切ないのに、持久走が死ぬほど辛かった。
当時私の持病のファブリー病は、まだ発見されておらず、誰も知らない病気。
その病気の症状で、寒い中、体温や心拍数が上がってくると手の先と足の先に疼痛が現れる。
針千本まとめて稲妻のような高速で刺されているような痛みが襲う。
風邪を引いて発熱した時や、温泉などの大きな熱めのお風呂に入った時も同じような症状が起こる。
いくら言っても先生たちにはわかってもらえない。
「言い訳せんで走れ。みんな走れば足は痛くなる。」
もう症状を言うことも諦めて、ゆっくり歩きながら走っていた。
「何サボっとるんか!さっさと走れ!」
まさに昭和の根性論。
私はただのサボり魔になっていた。
私にとっては、まさに自己肯定感が爆下がりする授業だった。
体育なんか大嫌い!
いつもそう言っていた私。
そんな自分を乗り越えたくて、マラソン大会の前に放課後、会場となる市民球場の外周を走る練習に一人で行った。
でも、だめだった。
どうしようもない激痛が襲ってくる。
痛みが治まるまでその場でうずくまって耐えた。
悔しくて悔しくて涙がこぼれた。
その後も
あいつは根性がない。
辛いことに取り組むのが嫌いな子。
そんなレッテルを貼られ続けているうちに、自分でも暗示にかかってやる気のない子になっていた。
ずっと…ずっと先生や親に「頑張れない子」と思われてきたことが辛かった。
でも、そんな私にも転機が訪れた。
23歳の頃からダンスを始めて、「頑張れる自分」を見つけられたのだ。
手足の痛みも20代後半からは消えてきた。(病気の特徴)
私だってこれもできる。
私だってあれもやれる。
自分の中にずっと巣食っていた黒い感情を飛び越える事ができた。
ただ、今はその反動からか頑張りすぎるクセがある。
頑張って好きなことに向かえる。
あの頃と違う自分が好き。
だが、そこにも大きな壁が立ち塞がる。
持病のためか身体が弱く、頑張りすぎると高熱が出て、何日もしんどくなる。
いつもいつも立ち上がったら突き落とされる…私にくっついてくる持病たち。
でもこれが私。
夢を諦めたくない。
きっと誰よりも自分が自分を応援している。
今までも、これからも…。
頑張れ、玻璃!
ではまた、お会いしましょう。