甘える先があるから、人は自立できる
「こんなに頑張っているのに、上手く行かない。私はあともうどのくらい頑張ればいいんだろう」という気持ちに苛まれ、ネットで見つけた無料カウンセリングにメールを送ったことがある。
これまでのことを詳細に書いた。(詳しくはここでは書けないが、現状を打破しようともがいたが、形にならなかったこと)
そしてその回答を要約すると、「あなたは自立しすぎたんですよ」というような旨のことを言われ、とても驚いた。
自立への勘違い
「自立している人」というふうに聞くと、パッとイメージするのは、バリバリ仕事をしていて、経済的にも精神的にも依存していない人。かつ自分の芯があって、ブレない人だったからだ。
実家暮らしフリーターの私は早く自立しなければ!と躍起になっていた。右へも左へもいけないため、これ以上どうしたらいいのか、ということをずっと考えていた。もっと頑張らなきゃならないのだろう、でももう、疲れてしまってこれ以上何もしたくない。
自分にとってできることはたくさんしてきた、もうこれ以上何をしたらいいというのだろうか。
それに対して言われたのが、「あなたはすごい行動力があって、自立しすぎたんです」。そんなふうに考えたことすらなかった。まあ、経済的には自立できていないのだが。
「自立しようとしすぎた」ことで、結果的に「自立できなくなっていた」
私は人に相談したり、自分の意図を伝えるということが非常に苦手だ。でも世間ではそれを「人に甘える(頼る)」というらしい。
なぜ苦手なのかということを自問自答し続けたけれど、結局答えは今もわからない。
ただこれが、生きていく上でとても大切なのだということを最近になってやっとわかった。
自分がやろうとしていること、意図していること、困っていることを打ち明けられずに、ただ1人でどうにかしようとしていたからこそ、自立が叶わなかったのだ。
どうしてそこまで病的に、1人でなんとかしようとしていたのだろう。どうしてそこまで、人に自分の意図を知られたくないと思うようになったのだろう。
恐らく生い立ちがかなり影響しているのだが、個人的なことなので割愛する。
そしてさらに、「今後結婚してもしなくても、人に甘えられるように(頼れるように)なることで、あなたが生きやすくなるのなら、それはとても素敵なことだと思いませんか?」
「それをした上で本当の意味で自分は愛されている、と思いながら生きていけたら幸せだと思いませんか?」というようなことを言われた。
こういったカウンセリングの中には怪しいものもあるので、迂闊におすすめはできないのだが、(数年前に、この手の別のカウンセリングで嫌な思いをしたこともある)ずっと同じ場所をぐるぐるし続けてきた私にとっては、新しい視点であり、まさに突破口とも言える回答だったのだ。