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ワンオクのwherever you areが大好きで聴くだけで泣きそうになる。 歌詞が自己受容の真髄というか(理由はいらない、ただ可愛いキミがほしいだけみたいなところ)。 ステイタスじゃなく、相手の「ありのままの存在」を肯定することが表現されている歌だと思っている。

    • 「同じレベル同士の人間が引き合う」と言うと、なんかもやる。正確には「同じくらいの自尊心の人同士が引き合う」だと思う。表面的に嫌な人と縁を切っても、自尊心が低いままならあまり意味がない。相手より自尊心が高くなると、自然と相手は居心地が悪くなり自分から去っていく

      • 自分は自分のままでいい。自己受容、自分を肯定するという意味は、自分に何の脚色もしないということだ。 最初から私は私のままでよかった。それ以上でもそれ以下でもない。 何かをしたから存在していいとか、そういうことじゃないんだ。

        • 甘える先があるから、人は自立できる

          「こんなに頑張っているのに、上手く行かない。私はあともうどのくらい頑張ればいいんだろう」という気持ちに苛まれ、ネットで見つけた無料カウンセリングにメールを送ったことがある。 これまでのことを詳細に書いた。(詳しくはここでは書けないが、現状を打破しようともがいたが、形にならなかったこと) そしてその回答を要約すると、「あなたは自立しすぎたんですよ」というような旨のことを言われ、とても驚いた。 自立への勘違い 「自立している人」というふうに聞くと、パッとイメージするのは、

        ワンオクのwherever you areが大好きで聴くだけで泣きそうになる。 歌詞が自己受容の真髄というか(理由はいらない、ただ可愛いキミがほしいだけみたいなところ)。 ステイタスじゃなく、相手の「ありのままの存在」を肯定することが表現されている歌だと思っている。

        • 「同じレベル同士の人間が引き合う」と言うと、なんかもやる。正確には「同じくらいの自尊心の人同士が引き合う」だと思う。表面的に嫌な人と縁を切っても、自尊心が低いままならあまり意味がない。相手より自尊心が高くなると、自然と相手は居心地が悪くなり自分から去っていく

        • 自分は自分のままでいい。自己受容、自分を肯定するという意味は、自分に何の脚色もしないということだ。 最初から私は私のままでよかった。それ以上でもそれ以下でもない。 何かをしたから存在していいとか、そういうことじゃないんだ。

        • 甘える先があるから、人は自立できる

          私がこうした方がいいのかな?こうなのかな?って考えることなんか、なんの力もないんだよな。私が認識できる領域よりも、ずっと高いところから私を見ている何かには逆らえない。

          私がこうした方がいいのかな?こうなのかな?って考えることなんか、なんの力もないんだよな。私が認識できる領域よりも、ずっと高いところから私を見ている何かには逆らえない。

          相手にベクトルが向いておらず、自分にしか意識がいっていない人との会話は、とても長く苦痛なものに感じる。

          相手にベクトルが向いておらず、自分にしか意識がいっていない人との会話は、とても長く苦痛なものに感じる。

          体調不良な上やらなきゃならないことが多すぎて病む。パンクすらできない。いつも大変な状況でも精神的に誰にも頼れなくてただ病むしかできない、もどかしい。

          体調不良な上やらなきゃならないことが多すぎて病む。パンクすらできない。いつも大変な状況でも精神的に誰にも頼れなくてただ病むしかできない、もどかしい。

          薬で胃がやられてメンタルも同時にやられてる。体調もなかなか良くならない。 こういう時、ずっと良くならなかったらどうしようってすぐ不安になる。

          薬で胃がやられてメンタルも同時にやられてる。体調もなかなか良くならない。 こういう時、ずっと良くならなかったらどうしようってすぐ不安になる。

          「こうした方がいい」みたいな世間一般的な常識は一旦置いといて、自分の意欲が湧くことをやる🙃

          「こうした方がいい」みたいな世間一般的な常識は一旦置いといて、自分の意欲が湧くことをやる🙃

          人の顕在的なニーズを満たすのではなく、潜在的な望みを汲み取る

          精神面に色々アプローチしても上手くいかない時、自分の潜在的に望んでいることってなんだろう、ということをずっと考えていた。 顕在的な欲求は手段、潜在的な欲求は目的 「人ともう関わりたくない」と思っているとき、潜在的な望みは「人と関わらない」ということではない。それは顕在的に思っていること(顕在的な望み)である。本当の望みは「自分の意図を伝えた上で、その人と仲良くしたかった」ということである。 「本当は仲良くしたかった」ということが叶えられなかったため、人と関わること自体を

          人の顕在的なニーズを満たすのではなく、潜在的な望みを汲み取る

          精神の不調はこれまでの自分の崩壊と再生

          壮大な内容(?)であるが、こういう内容を好きに書けるのがnoteのいいところだ。昨今、いろんなプラットホームがあるけど、noteは比較的優しいと思う(嫌なコメントも来るけど・・・)。 破壊と再生は必ずセット。新たな自分になっていく過程 物事の崩壊とは、これまでの自分の概念が壊れることである。今まで自分の物の捉え方、考え方、大切にしていたことが壊れていく。それは、現実世界(自分の意識)そのものの崩壊である。そして崩壊とともに訪れるのが再生である。(あまりにダメージが強すぎた

          精神の不調はこれまでの自分の崩壊と再生

          場の責任を負う必要はない。望まない役割は積極的に手放していく

          加藤諦三著「無理しない方が愛される」をあらためて読んでいた。加藤諦三氏の著書は大抵、辛辣な言葉が並ぶ。鬱状態がひどい時に読むとあまりよくなかった。文脈を健全に受け止められず、どこまでも自己否定してしまう。 しかし、優しくも厳しい叱責と捉えるくらい健全な精神になってくると、それは自分にとって必要な考え方だと思える。 場の空気に敏感な人間は空気を読めるとされているが、本人は感じたくもないものを感じ、考えたくもないものを考えてしまい、いちいち疲弊する。 負わなくていい責任を無

          場の責任を負う必要はない。望まない役割は積極的に手放していく

          なぜ人は無意識のうちに手段が目的にすり替わるのか

          どんな人も結局は「心地いい精神状態」とか「達成感や幸福感を得ること」を目的にして生きていると思う。 そして日常の細やかな出来事は、結局それらを叶えるための手段でしかないはずなのに、気づけばすぐその手段を目的にしてしまう。 重要度が高いものほど手段が目的になりやすい 例としてすぐ思い浮かぶのが、恋愛とか結婚とか仕事とか、友達とか住むところだ。 それら全て、幸福感や充足感を得るための手段に過ぎない。幸福感や充足感を得たいから恋愛とか結婚をしたり、友達と会って話したり、仕事

          なぜ人は無意識のうちに手段が目的にすり替わるのか

          集団で期待される役割

          今回は、ちょっと倫理的にこんな考え方はどうなんだという内容になっているかもしれない。 ただ私が言いたいのは、被害者にも非があるとかそういった旨のことではなく、人と人との間で何かしらのトラブルが起きる時、こういう仕組みになっているのではないか?という推測である。 人間関係=物理的情報場+非言語情報場 人間関係は、物理的な情報を共有する場(その人間関係が集まる会社、友人グループ・サークルなどの団体、組織)と非言語的情報を共有する場(集団内で期待される役割、目的や信念などを共

          集団で期待される役割

          うまくやれなかった自分を許す

          学生時代、友人グループの中で1人、どうしても苦手だった子がいた。違和感を覚えながらも共通の友人も多くいたため、なんとなくやり過ごしていた。 具体的に違和感というのは、その子はとにかく自分以外の人間が話題の中心になっていると不機嫌になったり、急に無視してきたりすることだった。(細かく言えばもっとあったのだが、ただの悪口の羅列になるのでこの辺りに留めておく)。 この頃学生だったのもあって、自分と割と合う子がどういう性格かとか、そんなことを考えたこともなかった。よくわからないま

          うまくやれなかった自分を許す

          私には目的がある。ただおかしな話、その目的が言語化できない。でもそれっぽい形にはしてみせようと思っている。

          私には目的がある。ただおかしな話、その目的が言語化できない。でもそれっぽい形にはしてみせようと思っている。