私と読書―自己紹介に代えて
このnoteを書き出すにあたって、何を書こうか迷っているが、おそらく書評を中心に投稿していくことになるだろうから、まずは私が読書という営みにどう向き合ってきたかについて書きたいと思う。
私自身は、子どものころから比較的本を読むことが好きだった。幼少期には、寝る前に母親に本の読み聞かせをしてもらっていたし、母の仕事の関係で、家に本がたくさんあり、自然に手にとって読んでいた。特に読書が好きになるきっかけとなった本は、小学校低学年のときに読んだねじめ正一『高円寺純情商店街』新潮文庫(1992年)だ。小学生には難しい漢字が多く、読めないところもあったのだが、ストーリーが面白くて気にならなかった。それからいろいろな本に手を出すようになっていったのだが、母が持ち帰る本は特定の分野(ミステリーや推理小説)に偏りがちで、だんだん飽きてきた。そこで、学校の図書室や地域の図書館に行って、いろいろな分野の本に手を出すようになった。あの頃の、息をつくのも忘れてのめり込んでいた時の感覚は忘れられない。
高校生になると、部活や勉強で忙しく、図書館で本を借りたことは一度もなかった。読書の習慣は続いていたけれど、熱中して読む時間は各段に少なくなってしまった。その頃の友人に、「おまえ、本読まないだろ?」と言われたことを覚えている。読書量が減っただけでなく、どうやら知性を感じさせることもなくなっていたらしい(笑)。
再び本との距離が縮まったのは、母からの助言がきっかけだった。母は読書ノートをつけていて、読んだ本の感想を書き留めていた。それは一行だけの簡単なものだったが、メモをしておけば、読んだ本のことを忘れないという。一行ぐらいの簡単なものなら自分にもできるかもしれないと思って、大学入学前の正月から私も読書ノートを書き始めた。最初のうちは本当に一行しか感想を書いていなくて、今読み返しても、本の内容を思い出すことができない。これではだめだと思うようになって、2行、3行と分量は増えていった。
そのうちに、奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい』(ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2009年)という本に出会い、読書ノートの書き方は大きく変わった。この本には次のことが書いてある。
読書ノートで本を手放す。それは、とりもなおさず、本当に気に入った本だけをいつでも手が届く本棚に並べておけることにつながります。本当にいい本だけを手もとに残して、本を捨てていくことは緊張感を伴います。最後の別れになってしまう可能性があるからです。だから、せめて読書ノートという「語らいの記憶」を残しておくことがその慰めになります。
本との出会いも一期一会。もう出会うことはないかもしれない本との交流を大切にするために、たくさんのことを書き留めないといけないと思うようになった。それからは本からの抜き書きや、それについて考えたことなどを、時間をかけて書き留めるようにしている。ノートに書き留めた様々なことが、その後の自分を助けてくれたし、これからも自分を導いてくれる標になってくれるだろうと思う。
このブログでは、私が本を読んで考え、紡ぎ出した言葉―「はらわた語」を記していきたい。今までは本と私の「対話」だったけれど、ステップを進めて、その輪を広げたらどうなるのか、とても楽しみだ。