母親の自由の無さ
月曜日、独身時代からの友達と久々に逢った。
子どもなしで大人だけ。
4月ぶりぐらいだったけど、なぜこんなに逢えないのか。
母ってしんどいな、と思う理由の一つだ。
10時過ぎ〜19時半まで、ぶっ通しで喋ったけど、
時間がまぁ足りない足りない。
まず、気づいたら13時で驚く。
そして、次に気づいたときには18時だった。
「え、体感2〜3時間だよね?」
そんな会話が繰り返される(笑)
写真も撮らずに喋っていたけど、
彼女との出会いは、私が18歳のころ。
文字通り"何でも話せる人"である。
そして、非人道的な発言をしても、
さらに上をいってくれるような人でもある。
だから、言葉を選ばずに話しやすいし、
あまり人には言えないことも話せている。
彼女は、私よりだいぶ先に子どもを産んだけど
それからも関係は変わっていない。
女性の友情って、産前産後で変化していくのが
自然で、疎遠になっていくことも多いけど、
彼女は全然違った。
だから、彼女が既婚で私が独身でも
変わらず逢えていた。
もちろん母になって変わった部分はあるだろう。
でも、根本は変わっていないから、
私たちの関係性は変わらないんだと思う。
変わったけど変わらない
彼女の存在には本当に感謝している。
帰宅するときに感じたことを書こう。
すーごく楽しかった。
本当に楽しかった。
でも、次に子どもなしでこんなふうに
逢えるのはいつになるんだろう?
また半年ぐらい空いてしまうのか。
母親って、やっぱり自由がなさすぎる
と、私は切なく感じた。
子どもが成長したら
また自由はやってくるだろうけど、
"いま"逢いたいんだよなぁ。
"いま"話したいんだよなぁ。