「覚悟の磨き方」を読んでみた
▪️本書の要点
吉田松陰は、30歳で生涯を終えた幕末の天才思想家である。優れた兵法家で、教育家でもあった。「松下村塾」を開き、そこから生まれた数多くのエリートたちが大改革「明治維新」を成し遂げた。
松陰は行動につながらない学問は無駄だと考えた。
現状維持を嫌い、思い立ったらすぐに行動して、「未来は自分の手で生み出せる」という自信を持ち続けた。何千年後の未来をも見据え、自身の学ぶ姿で弟子(友)を感化して、志を彼らにつないだ。
▪️本書の要約
吉田松陰という男
日本の近代化への扉をたたいた男
1853年、ペリーは黒船を連れて鎖国下の日本にやってきた。突然の外国艦隊の来航、そして大砲三発の威嚇発射に、江戸は驚天動地の大騒ぎとなった。圧倒的な技術力の違いに、江戸幕府は沈黙してしまった。
ところが、多くの人々が意気消沈しているなか、ただ一人、西洋を追い抜こうと意気込む25歳の若者がいた。それが吉田松陰だ。
松陰は兵法の専門家であり、西洋諸国を倒そうとしていた。だが、黒船の大砲の威力を目にして、外国のやり方を学んだ方がいいと考えを改めた。
当時は海外渡航をすれば死刑であったが、松陰は翌年の黒船の再来航時に、荒波を越えて、黒船の甲板に乗り込んだ。
彼は次のように言い残している。
誰よりも熱くて冷静な天才思想家
松陰はしきたりを破り、自分の信念を貫く情熱家であった。
その一方で、どこでも本を読む、大変な勉強家でもあった。密航で逮捕された後、松陰は江戸から故郷の長州藩(山口県)の萩へと送られ、牢獄で出会った様々な境遇の囚人たちを弟子にすることになる。仮釈放後、松下(まつもと)村という小さな村で塾をはじめた。それが後に伝説となった「松下村塾」である。
松下村塾では、夜を徹して書き写した教科書を用いて、二間の狭い校舎で、松陰が学問を教えていた。その期間はわずか2年半だった。だが、高杉晋作や伊藤博文をはじめとして、結果的に総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創設者2名という数多くのエリートを輩出した。
松陰はなぜこのような教育ができたのだろうか。
彼は、いかに生きるかという志を立てることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれると信じていた。
門下生を友人として扱い、入塾希望者には「教えるというようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」と寄り添った。教育は、教える者の生き方が学ぶ者を感化してはじめてその成果が得られる。そうした松陰の姿勢が、日本を変える人材を生んだ。
松陰はただの教育者では終わらなかった。幕府の大老・井伊直弼と老中・間部詮勝のやり方に憤慨した松陰は、長州藩に彼らの暗殺用の武器の提供を頼み込み、また牢獄に入ることとなる。弟子たちは、彼を止めようとしたがかなわなかった。
そして、松陰は自ら「間部詮勝の暗殺計画」を暴露し、「安政の大獄」の犠牲となった。
松陰は30歳で生涯を閉じたが、松下村塾の弟子たちは彼の思いを継ぎ、後に史上最大の改革「明治維新」を起こすこととなる。この改革は、現在にいたる豊かな近代国家の礎となった。
▪️ポイント
心(MIND)
動きながら準備する
本書では、心(MIND)、士(LEADERSHIP)、志(VISION)、知(WISDOM)、友(FELLOW)、死(SPIRIT)の章ごとに、松陰の考えと言葉の超訳が紹介されている。
要約では、心、志、友、死の言葉の一部をとりあげる。
何かをひらめいたとき、すぐに行動を起こせない人は、いつになってもはじめることができない。
そして、十分な知識、道具、気力が完璧にそろう時期が来てからと考える。だが、いくら準備をしても、それらが事の成否を決めることはない。少しでも成功に近づくためには、素早い第一歩が欠かせない。そのうえで、多くの問題点に気づき、丁寧に改善することが大切なのだ。
よく行動する人は、実際に動かないとわからないと知っているため、知識は必要最低限でいいと考える。その分失敗も多いが、それで「順調」だと思っている。「一歩を踏み出す」行為を続ければ、脳がそれを勝手に正当化してくれる。
松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた。大切なことは、不安をなくすことではなく、いかにはやくその失敗を重ねるかだ。そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を持ち続けることである。
何を、どう選ぶのか(松陰の言葉)
自分にとっての利益を増やそうとすると、判断基準がぶれていく。逆に、自分の利益を一番後回しにすれば、どんな選択でも物事は気持ちよく進んでいく。
大事なことは、「なにを、どう手に入れるか」ではなく、「どんな気持ちを感じたいか」である。
たとえ美しくて広い家を手に入れたとしても、やさしい気持ちになれないのなら、それは貧しい人生である。
先行きの不安に心を奪われないようにするためには、自分自身の鍛錬に集中し、「全力を出し切るので、あとは天命に任せる」という心構えでいるのがよい。
非凡な人の普通(松陰の言葉)
自分はそこらへんの連中とは違うと考えている人こそ、まさに「非凡」である。ただなにかを真剣に追いかけていれば、いつか自然と「非凡な人」になっている。
凡人はまわりから浮いていることを恥じ、賢人は細かいことを気にする自分を恥じる。凡人は外見が地味であることを恥じ、賢人は中身が伴っていないことを恥じる。
志(VISION)
慣れ親しんだ場所から出る(松陰の言葉)
ひとりの人間には多くの可能性があり、その可能性を制限できるのは「自分」だけである。人間は、過去の自分の助言を聞いて安全・安心な選択をするが、それでは本当にやりたいことはできない。
志は現状維持を否定する。
今、手にしている現実は、過去の選択の結果であり、未来は、今まさに心で決めたことによって決まる。
これをやらなければなにもはじまらないと感じて行動するのは、良い結果や称賛のためではなく、ただ強く心からの充実感を得たかったからだ。慣れ親しんだ場所から出たときに、自分にとって本当の人生が始まる。評判は傷ついても、生き方は傷つかない。生き方を傷つけるのは、自分だけである。
時代に新しい風を吹かす(松陰の言葉)
自分の信念を貫こうとすると「極端だ」と言われてしまうものだ。だが、まわりから「極端だ」と言われるくらいでなければ、この濁った世の中に新しいものは生み出せない。
「絶対こうする」と思い続ける状態は、ある種の狂気である。だが、その狂気を持っている人は幸せである。大事なのは「自分はどう生きたいか」という方針にしたがって生きることである。それが人の道というものだ。
無尽蔵に掘り出せるもの(松陰の言葉)
自分の外にあることは、求めたからといって得られるものではない。外にあることとは、「お金持ちになる」「有名になる」「人脈ができる」といったことであるが、このようなものに心を尽くすのは馬鹿げている。
一方で、自分の内側にあるものは、求めればいくらでも得ることができる。それは、人を思いやる気持ち、損得抜きでやるべきと思うことをやる気持ち、知らなかったことを知ろうとする気持ち、仲間との約束を守る気持ちなどだ。これらを求めれば求めるほど、自分と自分を取り巻く世界のことが好きになる。
友(FELLOW)
自分が先頭を切る
まずは自分から熱くなり、自分から動き出す。
すると一緒に熱くなってくれる人が必ず現れる。好きか嫌いかをはっきり言い続ければ、まわりに新しい友が集まり、「事を成し遂げる空気」が生まれるだろう。同じ志に向かって、ともに歩める友人は貴重だ。
松陰は人を信じやすく、誰よりも優しく、またずばぬけて熱くなりやすかった。その熱さに本気で付き合えるひとだけが、松陰の友であり続けた。会わなくなった友がいても、それは絆が切れたわけではない。本音をぶつけ合った者同士はいつまでも心の中でつながっているものだ。志半ばで命を落とした松陰の意志を受けて、明治維新が起こったように。
お互いの誇りを尊重する(松陰の言葉)
皆が納得していることには異論を示し、誰かがずば抜けて好きなことには敬意を示す。皆が信じ込んでいるものには疑問を投げかけ、その人ならではのものには敬意を示す。これこそが、一つの集団が活躍するために欠かせないルールだ。
駄目なものに尽くすこそ価値がある(松陰の言葉)
チームに勢いがあって盛り上がっているときは、誰もが忠義を立てるものだ。しかし、勢いが衰えてくると、裏切る人が増えていく。最後まで踏ん張れなかった人は、どれだけずば抜けた才能や技術があったとしても尊敬できない。駄目なものに尽くすこそ価値がある。
すばらしいリーダーのもとで、がんばる人はいくらでもいる。どうしようもないリーダーのもとで、がんばれるからこそすごいのだ。ほめられてがんばる人も珍しくない。怒られてもがんばれるからこそ強くなるのだ。物事を成就させる方法はただひとつ。それは「覚悟すること」である。
人間だから裏表もあれば打算もある。しかし、誠の心でやり遂げた出来事は、いつまでも人の胸を打ち続けるものだ。
死(SPIRIT)
終わりを意識する
「死」は静かに、着実に歩み寄ってくることもあれば、突然やってくることもある。誰しもいつかは必ず対面するものだ。人間だけが人生の終わりを意識できる。
本気で生きるということは、「わずかな残り時間でなにができるか」を必死で考えることによく似ている。やり残していることを臆せずにやる。死を意識すれば、人の「生」は否応なく正解を導き出すはずだ。
松陰は死罪とわかりながら、海外への密航を試みた。そして、牢獄で一生を終えると知りながら、人生とはなにかを学び、人に教え続けた。
人生は四季を巡る(松陰の言葉)
もうすぐこの世を去るというのに、こんなにおだやかな気持ちでいられるのは、春夏秋冬、四季の移り変わりを考えていたからだ。
春に種をまいて、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬が来れば貯蔵する。春と夏にがんばった分、秋がくると農民は収穫を祝い、村に歓喜の声があふれる。
私は30歳で人生を終えようとしている。いまだ、なにひとつできたことはなく、このまま死ぬのは惜しい。なにも花を咲かせず、実をつけなかった。だが、私自身のことを考えれば、やっぱり実りを迎える時期がきたと思うのだ。
農業は1年で一回りするが、人の寿命は決まっていない。その人にふさわしい春夏秋冬があるような気がする。私は30歳で四季を終えた。私の実りが熟れた実なのか、モミガラなのかはわからない。
しかし、もしあなたたちの中に、私のささやかな志を受け継いでやろうという気概のある方がいたら、これほどうれしいことはない。いつか皆で収穫を祝おうじゃないか。その光景を夢に見ながら、私はもういくことにする。
▪️すゝめ
松陰は読書の大切さにもふれている。本を通して、先人が残してくれた知識を得られるうえに、彼らが何かを成し遂げるために歩いた道のりを知ることができるからだ。
数多くの英雄たちを感化した天才思想家・松陰の言葉はシンプルで力強く、胸に迫るものがある。松陰が命をかけて残そうとした知恵を味わううえで、本書は格好の入門書になってくれる。これを入り口に他の関連書籍を読み、自身の行動に反映していけば、やがて大きな変化が生まれるのではないだろうか。