覚悟もヴィジョンもない地方移住のススメ
*投げ銭制です。無料で最後まで読めます。時々近所や青森の風景写真を挿入しているので、そちらもお楽しみください。
移住のハードルが下がった20年
僕は20年近く前に東京から青森市に引っ越してきた。当時は自治体などによる移住者支援の動きはまだ全然なかったし、実際都会から地方に移住する人も少なかった。
いや、実際にはけっこういたのかもしれないが、情報が少ないのでそのように感じていたと言うほうが正しいか。
ところがここ20年の間にインターネットやSNSなどのデジタルプラットフォームが格段に進化し、通販システムなど物流面の発展もあった。日本のどこにいても情報にアクセスでき、欲しいものは手に入り、外の世界や都会ともつながることが可能になった。
田舎暮らしのハードルが、物理面で徐々に下がっていく20年だった。リモートワークは、そうした時代の集大成と言ってもいいかもしれない。
逆輸入デュアラーの未来
コロナ禍直前、デュアラーという生活様式が注目を集めはじめていた。デュアラーさんたちが地方に拠点を置く例が増え、その街が活性化するのは大歓迎なのだが、デュアラーを迎える地方在住者側の僕から見ると、ちょっと気になる部分もあった。
デュアラーって、結局「都会→地方」のベクトルしかないのだ。都会でインカム手段を確保した人が、地方にも生活拠点を設ける。基本的にこのコースしかない。田舎の人が田舎でインカムを確立して、都会にも拠点を置くという輸出型?デュアラーの話は聞かない。
あえて悪意のある表現を使うと、都会人による田舎のいいとこどりなのであり、あくまで都会人ならではの夢なのだ。地方で生まれ育った人たちに夢や希望を与えるものではないんだなあという感じがする。しかし、コロナ禍によりリモートワークという考え方が生まれた。
「逆輸入型デュアラー」がこれから増えるんじゃないか。つまり、地方で生まれ育ち一度都会へ出た人が、インカムを確立して再び故郷にも拠点を置くようになるというパターンだ。
地方には、愛郷心が豊かでほんとうは地元で何かやりたいけれど、仕方なく都会に出ていくという若者もけっこういるから、リモートワーク→逆輸入デュアラーは希望の道になりそうだ。
地方暮らしのためのツールが揃い、移住者支援も盛んになったことで、地方への移住は物理的にかなりハードルが下がった。でも、心理的にはどうなんだろうかと感じる時もある。
地方移住成功者の属性5つ
地方移住が徐々に増えゆくこの20年の間に、移住成功のロールモデルみたいな人たちをとりあげる記事や本人たちの発信をよく目にするようになった。その中でけっこう目につくのが、移住したもののけっきょく出ていってしまった人たちに対する評だ。シンプルにまとめると次のような意味になる。
覚悟やヴィジョンが足りなかった。
この20年間で、地方移住に成功するとされている人の属性はある程度確立されたように思う。大きく分けて以下の5つのどれかになる。
①都会でインカムを確保済み
②第一次産業を含めた地域経済に積極的にコミット
③地域のコミュニティに積極的にコミット
④配偶者が出身者か、在住の家族がいる
⑤アウトドアスポーツの愛好家
デュアラーでもUターンでもアイターンでもいいのだが、とにかく「都会→地方」という移住を成功させたロールモデル本人の発信や、または取材した記事を読むと、基本的にメインのネタはこの5つの「成功条件」に収斂される。
実際その通りだし、実際そうした情報はとても役に立つ。おまけに自治体は移住者支援に積極的なところが多い。僕が引っ越す時にこうした情報や支援があれば、だいぶ楽だったのかもなあと思うこともある。でも一方で、ちょっと尻込みしてしまったかもしれない。
僕はダメ人間なので、覚悟やヴィジョンなどと言われると途端に心理的なハードルが上がる。というか、僕は特に覚悟もヴィジョンもなく青森市に引っ越してきたから、そうした言葉に違和感を感じてしまうのだろう。
5つの属性を持ちあわせなくても移住はうまくいく(こともある)
僕も東京から移住して今はクリエイター(というかライター)をやってるので「お前だって、都会人による田舎のいいとこどりじゃないか」とツッコミたくなった人もいるかもしれない。でも、むしろ僕は真逆の人間だ。
青森に来た時は失業状態で、青森駅に着いた時、財布には2千円しか残っていなかった。4月に越したのに最初の職探しは年末まで難航し、そのあともう一度失業した。ライターなんてやってなかったし、生きていくのにいっぱいいっぱいで、海抜で言ったらゼロメートル地点だったと思う。
僕の恥ずかしい個人史はこの辺にする。言いたいのは僕のクリエイターとしてのキャリアはここ青森市ではじまったし、ここに暮らしたまま続けたいということだ。つまり、地元に留まって何かやりたいという人と心情的には同じだし、そういうことができる街であって欲しいと願っている。
さらに言うと、僕は上で挙げた①~⑤のどれにも当てはまらない。①については上に書いた通り。基本的に人と連帯して何かやるのは苦手だし、人付き合いもうまくない。いわゆる「つながり」があまり作れない。お店を出したり積極的にローカルメディアに関わったりするでもなく結婚や子育てをするでもなく、アウトドアスポーツも嫌いだ。そして極めつけは、車が運転できない。
それでも、僕はこの青森市がこれまで住んだどの街より好きだし、この街の暮らしをそれなりに楽しんでいる。ライターの仕事は波が激しく、正直安定した収入ではないし、実際生活は楽じゃない。でも、やっぱりこの街の生活が好きだ。このまま死ぬまで暮らしてもいいのかもな、くらいには思えている。移住成功者と言ってもいいのではないだろうか。
移住ばなしから「余白」が消えた
だから、移住には覚悟やヴィジョンが必要なのだと言われると正直、違和感を持つ。というか、もう移住ネタの話はそればかりで、あまり余白がない。そのほかの部分が、あまり見えてこない。
いったいいつから移住は、絶対に成功させなきゃいけないビジネスモデルのようなものになってしまったのだろう。そんなたいそうなものだったっけ。別に失敗したっていいし、たかだか個人の人生の一部のはずじゃなかったの?
つまり「事前の準備」の話がほとんどなのだ。移住者支援には少なくないお金や手間がかかるから、それを無駄にしたくない自治体側の本音みたいなものが染み出ているのかもしれない。また、一人の移住に、多くの人がかかわるようになったということもあるのだろう。
だから、「こういう準備をした人が移住後の人生を楽しめる」という発信が増える。成功例が増えて欲しい、役立てて欲しいという善意からのものだということはわかる。ただ、それは裏を返せば、こういう人でなければ厳しいと事前段階で「それ以外の人」をカットしているということになるのでは。
移住前の僕はまさにその枠外にいたので、心理的なハードルがものすごく高くなったはずだ。自分には無理かも、と思ってしまうのだ。事前の準備は確かに必要で、見通しが甘いのもほめられるようなことじゃない。移住前の当時の僕が青森市に移住相談に行ったら「もう少しマジメに考えないとキツいですよ」と説教されただろう。
でも、あれーこんなはずじゃなかったなんていくらでもあることのはずなのに、いつの間にか「成功への道のり」みたいなのが具体的になり、そのメソッドを踏襲できる人とできない人を分けてしまうようになった。そして移住志望者の失敗に対して、ちょっと厳しくなってしまった。
事前の準備も必要だけど
実際は①~⑤に当てはまる人も、僕のようにどれにも当てはまらない人も、移住に成功した人が一定数いる。事前の覚悟やヴィジョンをしっかり持っていた人もいれば、まったくなかった人もいるだろう。でも、逆にうまくいかず出ていった人もいる。その差はどこから生まれたのだろうか。個人的には、順序が逆なのではと考えている。
移住がうまくいった人たちはきっと、事前の対策がぴったり当たったのではなくて、あとから失点をこつこつと取り返したんじゃないだろうか。
事前のプランで思い描いていたものが大文字の「しあわせ」だとすると、こんなはずではなかったという失望のあとにこつこつ取り返していくのは小文字の「日々のささやかなしあわせ」だ。
ちょっとスピリチュアルめいてきたから(笑)もう少し具体的に行こう。移住先が都会だろうと田舎だろうと、移住にはいくつかの「当たり」と「ハズレ」が必ずある。それは、ロールモデルのような人たちにもきっとあったはずだ。そして今は、当たりのほうの話しか触れられなくなっている。でも肝はむしろハズレのほうにあると僕は思っているのだ。
でも「失点を取り返す」にはコツというか、モードのようなものが必要かもしれない。ただしこれは事前の準備とは違って、あまり人もスキルも選ばない。覚悟やヴィジョンとは違う。
「日常のささやかなしあわせ」は、天空の城ラピュタのシータのようにある日突然空から降ってはこない。淡々とした日常の中にそっと埋もれているのを見つけていくように出合うものだ。
僕は青森市で、人生でいちばん「持たざる」時期を長く過ごしたから、はっきり言って「こんなはずではなかった」のつるべ打ちだった。それでもそんな日常の中で、いつも「でもまあ、今がいちばん楽しいかもな」と思ってきた。ポジティヴな性格だからではない。むしろネガティヴ。でもそのままだと辛いから、コツコツと日常のささやかなしあわせを拾うようにした。
あとから失点を取り返すためのコツ4つ
僕なりに心がけていることをいくつか挙げたい。
1)電車やバスに乗る時はスマホを見るのをやめ、車窓風景を眺める
2)散歩中積極的に「歩いたことがない道」を選ぶ
3)SNS用ではなく、メモ代わりにカメラで写真を撮る
4)住めば都の視点を持つ
補足すると、1)~3)は結局同じことを言っている。見慣れた風景でも日々の見え方の違いとかあるし、見過ごしている場所とかもある。知らない道を歩くと、近所でも別の角度から見えて新鮮だ。フレッシュさを保つには工夫が必要だと思う。でも「努力する」ほどのことでもなく、誰でもできることばかりかと。
また、ちょっといい感じの風景をカメラで撮るようにするとその辺の景色のいいところを見つけたくなる。目の前の景色に対する意識が少しだけ変わるのだ。SNSにアップするという目的を持つと、逆に狙いすぎてしまって気軽に撮らなくなるし、承認欲求がかかわってくると厄介だ。あくまで個人的なメモ代わり。
ロールモデルになった人たちも僕のような行き当たりばったりの移住者も、うまく定住モードに入れた人はきっと毎日、そういうささやかな楽しみを感じ取っている。だから目論見違いがあっても、あとで少しずつ取り返せる。やりかたは人それぞれだろうけど、とりあえず僕は具体的には1)~3)を心がけている。
移住と恋愛の共通点?
移住と恋愛や結婚はちょっと似ている。恋人や配偶者に飽きたと言う人は決まって「釣った魚に餌はやらない」タイプで、要するに目を向けなくなっただけだし、触れ合う時間も短くしたからにすぎない。
相手の良さを味わい尽くす前に投げ出している。相手の魅力がなくなったのではなく、魅力を見つけることをやめたのだ。移住先に対するスタンスも同じだと思う。
と同時に4)が重要だ。移住にはお金がかかるしどうせなら失敗したくはない。でも、あまり「ここにしかないもの」とか「替えのきかない何か」を求めないほうがいいように思う。そういうものは、たぶんどこに行っても見つからない。
僕は青森市での暮らしが好きだし、今まで住んだ街の中でいちばんだと思っているけれど、他の街に引っ越したらそこが「新しいいちばん」になるだろうとも思っている。そもそもずっと付き合っている彼女の就職先がここに決まったから移住しただけで、別にどこの街でも良かった。
それに1)~3)で楽しんでいる景色も、ありふれたものばかり。いくらでも替えがきくし、どこにでもある。それくらいでいいんじゃないだろうか。地元っ子の愛郷心と同じような思い入れを感じなくてもいいし、大文字の「しあわせ」を求め過ぎると疲れてしまう。自分なりの好きを大事にしたい。
これもまた恋愛と同じで、相手は別にスーパーマンやスーパーウーマンじゃなくふつうの人だけど、なぜか好きなものでしょう。そしてわざわざトロフィーワイフみたく自慢したりもしないはず。移住先に対してもそういうささやかな愛情を感じられれば、そこがどこであれそれなりに楽しめるんじゃないかと思う。
やっかみもあるけれど
正直言うと、自分も地方移住のロールモデルみたいになりたかったなという気持ちもないではない。と言うか、意見を聞きに来たり取材されたりしてちやほやされたかった(笑)。
ただ僕の移住には人が真似したい要素はまったくないので、ロールモデル的な役割を担うのは無理だと悟った。ここまで書いてきたことの中には、ロールモデルの人たちに対するやっかみがなくもない。それはフェアに書いておきたい。
ロールモデルの人たちは移住に際してほんとうにしっかり準備したんだろうし、移住後も地元の社会に溶け込むよう努力したと思う。なので、そういう部分に価値を置くのは当然だし、重点的に発信する。
ただそれはトータルで見た時に何に焦点を合わせるかということであって、実際は「あとから失点を取り返す」こともけっこう効いていると思っている。僕は覚悟もヴィジョンもなかった口なので、当然「あとから」のほうに重きを置く。
ありふれた景色を毎日見て、時々は違う道を通って、ささやかなしあわせをコツコツと貯めていく。長い間住んでいるといつかプラスに転じている。そんな感じ。
覚悟やヴィジョンがなく移住してもそうやって取り返せることもあるので、あまり構えずに移住してみて欲しい。
(終わり)
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