人類は平等だぁぁぁーー!!! 書類選考をしないで全員面接をした結果 田舎の公務員の疲労
うちは臨時に人が必要となるときは任期付き職員という名目で人を雇う。昔は非常勤職員と言っていた。
期間限定(と言っても最長5年であった…)、勤務時間が短く、あまり責任もないお役目である。ただし、給料は低い。一昔前は買い手市場だったので、役場の仕事というだけで、わんさと応募がきた。一度採用されると、雇用期間内はまずクビにはされない。不況下では大人気だったのである。
その時は、町の会館の1つに常駐して、会館の受付や使用者数の集計など、会館の運営事務をしてくれる人を2名募集することになった。
まぁ、肉体労働もなく、クレーマーがいなければ基本は天国である。これは倍率が高いぞ…。僕は直感した。
最初にハローワークで募集をかけた時点で、先着20人までとする。そして、履歴書から、10人まで絞り込む。最後は面接で2名に決定。これで行こう。
僕は上司に説明した。課長補佐と課長。面接する方々だ。
おもむろに課長補佐は目を瞑った。
「天は人の上に人を作らず。」
補佐の魂に火をつけてしまったようである。
「原田クン。履歴書でどこを落とすんだい?年齢、性別、学歴かい?
どこに落とす要素があるんだい?人間皆、いいところを持っている。それは書類で分かるものなのか?」
補佐は熱く語りだした。
分かる。こう言っては悪いが、履歴書の書き方だけである程度人となりが見える。当時は手書きだが、字が統一感を持って書かれているか。誤字があるか。字を間違ったときはどう対処しているか。そもそも間違いがないように作ったのか。志望動機は適切か。
このあたりをざっと見るだけで、お役所のお仕事に馴染めそうか絞れるのである。
補佐の情熱のダメ出しは続いた。
「応募者を先着で切る訳にはいかない。応募期間の中で応募があったのなら、機会を与えるのが道理というものだ。役所たるもの公正公平を第一とすべし!!全員面接しよう!!」
大変なのは面接をする彼らである。選ばれる方も大変だが、面接官は面接をすればするほど疲れるので、絞れるなら絞った方が良いのである。
しかし、いつもは羊のような補佐が、目覚めたゴジラのように人類平等の炎を吐きまくっている。その勢いは、戸惑う人類には止められなかった。今回は応募があったら即全員面接となったのである。
応募は一週間で60人であった。会館を1日貸し切り、面接の段取りを組んだ。
僕は応募者一人ひとりに来てほしい時間を伝え、当日は受付しつつ、応募者を面接会場に案内する。
課長と補佐は1人5分を持ち時間に面接する。
皆さん流石に応募するだけあって時間通りに来てくれ、受付はスムーズに進行した。
面接も、使命感か熟練の技か。こちらも時間通りであった。最後あたりは疲れて誰がどの印象だか分からなくなってしまったとか何とか。
面接を受ける側からすれば、やはり良くも悪しくも初めの方が印象に残りやすいであろう。応募は早めをオススメする。
結果は予測したとおりであった。僕なりに履歴書と受付した感じで合格しそうな人を覚えていたのだが、やはり彼らであった。
履歴書は簡潔とさと丁寧さを併せ持ち、社会人として落ち着いていて、物腰がこなれている。
「この人に受付をさせたら、クレーマーもいなしてしまいそう」という感じが出ている事務経験者2人であった。
「この人が応募しただけで他が終わる」という適材がいる。今回は揃ったのである。
全員面接で、確かに全員にチャンスは与えられた。それはいいことだと思う。ここで大逆転できた可能性もあった。
しかし、今回は順当に決まり、落ちた58人の時間を奪うことにもなってしまった。
こう言っては悪いが、履歴書を見ただけで望み薄の方もいたのである。鉛筆書きや、使いまわしすぎたよれよれの履歴書とかである。そんな人をわざわざ呼びつけて、どちらにしても落とす。それは少し残酷だった気がする。
ただし、公務員は、民間では重視される損得、効率、そして人間が持つ好悪の情。これらを排して、公平公正を考えなければならない時が確かにある。
履歴書でまず選んだら、面接は元事務員が主な面接対象となり、他の属性を持つ方か面接にこぎつけるのは難しかったかもしれない。
でも、僕がやっぱり思ったのは「落ちた人たちゴメンね」であった。
上司たちはどう感じたのは分からない。しかし、数年後の次の募集では、僕が考えた段取りになっていたのである。