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Happy Women's Map 山形県鶴岡市 裁判所が認めた女霊能力者 長南 登志恵 女史 / Court-Certified Female Psychic, Ms. Toshie Chounan

「諸人のためとしあらば 我が身こそ 水火の中をもいとうものかは」
“If I were to serve others, would I have to endure fire and water?”

長南 年恵(本名 登志恵) 女史
Ms. Toshie Chounan / Osanami
1863 - 1907
山形県鶴岡市 生誕
Born in Turuoka-city, Yamagata-ke

長南 年恵(本名 登志恵)女史は、日本の裁判所も認めた女霊能力者。彼女の神託「霊水」を求めて日本全国から大勢の人々が押し寄せました。
Ms. Toshie Chonan (real name Toshie) is a female psychic recognized by the Japanese courts. Decent people flocked from all over Japan to seek her oracle's ``reisui.''

「極楽娘」
 登志恵は庄内藩士・長南寛信の娘として誕生。明治政府の改革の波に乗り遅れまいと苦労する家族の中で、登志恵は小学校に入学することなく、城下町長山小路(今の山王寺町)の大棚・岸本宗和のもとへ子守奉公に出されます。奉公に出て間もなく、年恵はしばしば予言めいた言葉を口にするようになります。その予言はことごとく的中し、奉公先には 評判を聞きつけた相談者がひっきりなしに訪れます。やがて周囲から「本格的に巫女として開業してはどうか」と促された登志恵は、御嶽山を信仰する御教の行者から巫術を習い「大講義」の位を授かります。まもなく鶴岡市陽光町にある橋のたもとで行屋を開きます。

「霊水」
 明治新政府が「迷信や占い、狐憑きなどの近代化を妨げるも のは厳重に取り締まるべし」という指令を出してからも、庄内地方では出羽三山信仰の影響が色濃く残り加持祈祷が盛んで、病気の際にも医者ではなく行者や巫女をよく頼ります。登志恵の行屋はたいそうな繁盛ぶりで、成人とは思えない容姿と、天真らんまんな性格から「極楽娘」「年恵観音」の名で親しまれ、評判が日ごとに高まります。なかでも「霊水引寄せ霊媒」はあらゆる病に効くとして人が押し寄せます。病人の名札を貼って持って来させた空瓶を、厳重に封をして祭壇の前に並べると、登志恵の神降ろしで瓶にすす-つと色も量も様々な水が入っていくのです。

「詐欺容疑」
 登志恵は「みだりに吉凶禍福を説き、また詐欺行為を以て愚民を惑わし世を毒するもの」として山形県監獄鶴岡支署に逮捕・拘置されます。夏の盛りで蚊がブンブン飛びまわる中、獄吏が蚊帳を持って行っても断る登志恵を蚊はいっこうに刺しません。食事を持って行っても手をつけず、排泄の形跡もなく、身体検査では一斗樽(18L)を両手に下げて歩きまわります。どこからともなく笛・ひちりき・琴・鈴・太鼓などの合奏が鳴り響いたり、縦横無尽に筆を振るって見事な書また墨絵を描きます。前署長の求めに応じて、監房内で神に願って授かった霊水1瓶・守礼1枚・経文1部・散薬一服を手渡します。「一体この娘は何者なのか」正体がわからないまま、証拠不十分でうやむやになって釈放されます。

「霊能力の証明方法」
 大阪で商売を営む実弟の雄吉は、姉逮捕の知らせを受けると鶴岡へ舞い戻って、鶴岡支署に登志恵の霊力の証明願を提出したり、京都大学で科学的に証明してもらおうと登志恵を大阪へと転居させます。妖怪を科学的に研究する哲学者・井上円了に掛け合いますが実現しません。その間も「生き神が来る」と聞きつけた人々が登志恵のもとに連日押しかけます。登志恵は信者らに取り囲まれながら伊勢神宮参りに出かけたり、信者らから逃れるように富士山に3か月こもったりします。雄吉が大阪朝日新聞の知人記者に現場取材を依頼して記事を書いてもらうと、登志恵は再び詐欺容疑で拘置されます。雄吉は拘置を不服として上告、神戸地方裁判所で再審理が行われることになります。

「御霊水裁判」
 1900(明治33)年12月14日、「この法廷でも霊水を出せるか?」「おやすいことことですが、一寸身を隠す場所を貸していただきたい。」裁判長・判事・検事・弁護士らは、新築中の電話室を丹念に調べ片づけると、登志恵を裸にして身体はじめ衣服を検査、裁判長自ら封をした2合入り空瓶を自ら登志恵に手渡します。大勢の見守る中、静かに電話室に入っていった登志恵は5分後に内部からコツコツ合図します。扉が開かれると茶褐色の液体が満たされた小瓶を裁判官の机の上に安置します。「この薬は何病に効くのか?」「万病に効きます。特に何病に効く薬と神様にお願いしたわけではありませぬから。」「この薬をもらっておいて欲しいか?」「宜しうございます。」証拠不十分で早々に無罪判決が下ります。

「神様と相撲」
 翌年、騒ぎに嫌気がさした登志恵は郷里へと帰って鶴岡で巫術を続け、登志恵は訪ねてくる信者らと同じ苦痛を味わいながら一心不乱に祈祷をします。7年後に44歳の若さで逝去します。登志恵は果物と生水を常食とし、疑い深い弟に何度も湯水を飲まされて苦しんで吐血します。綱引き・腕相撲・重い物の持ち比べ競走に笑い興じ、大の男3・4人が掛かっても負け知らずで、身長140cmそこそこで酒樽を両手に持って走ります。ある寒い日の信者会で「こんなに寒い日には、甘酒でも飲もうよ」登志恵が空の茶碗を差し出すと見る間に甘酒が湧き出てきます。登志恵が信者らの為に風呂に水を張ると薪炭を火にくべることなく湯になります。山王日枝神社・大日山井岡寺・龍王尊善寳寺の参詣に度々出かけ、信者たちを待たせて奥の宮でドタンバタン「神様とすもうを取っていた」。死後、 信者らが鶴岡市南岳寺に霊堂を建立。雄吉は心霊研究家のにまとめられます。

-『山形新聞』(2015/04/26 やまがた再発見)
-『大阪朝日新聞』(1900年7月9日 女活神の真相)
-『大阪朝日新聞』(1900年12月14日 女生神の試験)
-「長南年恵物語」(浅野和三郎 著 / 日本心霊科学協会1930年)
-「心霊研究 50(5)(591)」(日本心霊科学協会1996)
-『全国長南会通信27号』(2007年1月1日 長南年恵100年祭)

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