「調和の教室」はどうやってできる?
教師として調和の教室づくりを意識して学級経営(学校では、クラスづくりのことを「学級経営」と言っています)をしてきましたが、どうやってやってきたのか言語化するのが難しかったし、それを伝えようとする必要もとくに感じていませんでした。
何かメソッドを取り入れているわけでもない。〇〇教育を取り入れて実践してしてきました!ってものでもない。
ただ、いろんな教育書や脳科学、心理学の本を読んで共感し、イエナプランだとかアドラー心理学だとか、サドベリー教育モンテッソーリ教育・・そういうものが気になって知ろうとしてきたので、影響は受けてきていると思います。
とにかく、それらに私が惹かれるのは【本質だから】だと思うのです。
「そうだったのか!知らなかった!!」というよりは
「やっぱりそうだよね!そうあるべきだよね!教育って。」
っていう感覚が強いです。
子どもは本来自分の輝きをもってうまれてきていて、教育はそれを引き出す助けとなるもの。
何かを教えてできるようにさせることではない。
という考えはずっとずっと自分の中にあって、自分の中にあるそういう想いを確認するために、学んできた気がします。
そう意味ではこれまで私が学級でやってきたことは、自分にとっては当たり前で、感覚でやってきたことだから言語化できない。
というのもある。
でも、他の人はこういう感覚でやっていないんだろうなということは他のクラスと交換授業をするとわかる。
あと、クラスが新しくなるとわかる。
学級経営、だれかのやり方を批判したいわけじゃない、私のこれってすごいでしょ!って言いたいわけでもない。実際すごいのは子どもの方であって私ではない。
とにかく私にとって自分の調和の教室づくりについて語ることは挑戦なのですが、やってみたくなったので、ちょっと挑戦してみることにします。
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私の子ども観は「子どもにはそれぞれの才能(輝き)をもって生まれてきている。そして子どもはその才能を発揮したがっている。」というものである。
学校では「教室をそれぞれのよさを発揮し合う場にしたい。」
という想いで学級経営をしてきました。
互いの違いを認め合う、できない相手がいたらそれを理解してあげられる思いやり。助け合う集団でありながら高め合う集団。
私自身はどうやってそれを実現しようとしていたのかというと、子どもの中にあるよさを見つけて誰よりも、時に本人よりもそれを信じて応援していました。
あと、子どもは教室で間違えることを恐れている節があるので、「間違えても大丈夫」ということを伝えるだけでなく、そういう雰囲気を作ること。
あーやっぱり言語化できない!
そういうことじゃないのよ。そうなんだけど、そうじゃないの。
もちろん、そういうことを日々ひとつひとつ積み上げること、大切。でも言葉に表しているうちになんか違うものになっている!
感じることなの。今子どもがどういう状態であるのか、何を感じているのか、何を言いたいと思っているのか、
感じること。
それをめちゃくちゃしてました。
授業中に私はそれをしているんだけど、私が感じ取っていることを子どもにも気づいてもらわないとできないのです。慣れてない子どもはOFFになるの。それをいつもONにするように投げかけてました。
子どもの側がONになってないと感じとれないのですよ。
板書しているときも子どもが今何を想っているのかを背中で感じ取っているのだけれど、慣れていない子たちはOFFだから伝わってこない。「先生今こっちみてないから、ぼんやりしてて平気」くらいに思ってる。
それを「そうじゃないから!」って私が言うから、最初は意味不明だと子どもから思われる。
「先生はいつも全身で君たちを感じ取ってるから」って。さらに、「君たちも同じことができるからやって!」って言ってた。そういう言葉じゃなかったかもしれないのですが、OFFにならないように投げかけてた。
それをひたすら続けているうちに子ども達もそのONがわかってきて、ONになると私だけでなく友達の言ってることや思っていることに対して深い理解でできるようになる。
そうすると調和するの。
相手への信頼とか、相手がどう感じているかとかお互いにわかるようになるから。
だから調和の教室を創るのは子ども。子ども主体。
でも「そういう調和の教室がここにできる!」という教師の意図と、子どもの感覚をONにする働きかけは必要。
で、
これって多分やっている人あまりいないと思う。というかそういう領域があるってたいていの人にはわからないのじゃないかなって思うの。
感覚のON状態は見えるものじゃないから、わからない。
私にもよくわかっていなかった。私が何をしてきていたのか。
「うちのクラスの子達ってすごいなー」とか、「秋以降クラスってよくなるよねー」って思うだけ。
でも、クラス替えして4月になるとわかる。子ども達がOFFだから。
そして、他のクラスにいって授業するとわかる。先生がそうやって授業してないから子どもの側がOFFになってる。もちろん発問に対して発言しているし、授業としては回っている。でも、子ども達がOFFだったら私が感じ取っている教室の空気感はできていないの。
だから、他の人がしていないようなこと、しようとも思わないような学級経営の仕方をしてきたんだなーって思うんだけれど、これって説明できないのよ。
そして、やっぱりすごいのは子どもの方で、私のその言外の感覚を受け取って伸びようとしていくんだよね。
中には受け取れない子もいます。それはそれで仕方ない。やっぱり人にはステージがある。理解できなかったり、理解したくないステージにいる子もいる。だから私のこの「感覚ON学級経営」をすればみなさん子ども主体で思いやりも育ってうまくいきますよ!って話でもない。
実際、私はいつも自分の力の足りなさを感じて悩んでいた。
今はもう流行らないのかもしれないけれど、学校では「教室はまちがうところだ」という本に見られるように、まちがったっていい。わらっちゃいけない。どんどん間違えよう!というようなやり方もあり、
たしか本はそんなような内容だったかと思うのですが、なんか私には違和感なの。
「間違えたっていい」って、「間違えたらいけない」が前提にあるような気がして。
信頼し合う集団づくりがまず第一なのではないかと思う。そうしたら間違うこととかそういうことはどうでもいいという領域が現れる。
信頼し合う。
って、「お友達を信頼しましょう!」って言ってできるものではない。だから、そういう集団にしていきたいと思ってもすぐに簡単にはできない。
教室で起こるいろいろをどういう姿勢で対峙し乗り越えていくか。そこに愛があるかを子どもは見ているし、そのいろいろを乗り越えながら子どもとの信頼を築き、子ども同士の信頼関係も築くことができるようサポートしてく。
時間がかかるし、その1年間で伝わらないこともある。
エネルギーのいる作業を1つ1つ丁寧に積み上げてできることなんだと改めて思います。
感覚ONの子どもは相手が「本物であるのかどうか」を感じ取ることができるため、ごまかしのない自分であることも求められる。もちろん、完ぺきな人間になる必要はない。でも「この人は心からその言葉を話しているのか」「愛から言っているのか」ということを子ども達は見抜くから、うわべとか建前が通じなくなる。ただの役割で話すと信頼してもらえない。
【私がしてきた調和の教室づくり≪まとめ≫】
①子どもの感覚をONにする働きかけと自分も子どものが今どういう状態でいるのかを感じ取れるようONでいること
②「調和の教室がここにできる!」という意図と子どもの潜在的な力を信じる信念
③信頼関係を築くために、ごまかしのない自分でいること。愛から子どもに接すること。
学校であったこと、感じてきたことを話すのって楽しいな♪って気づきがあったので、ラジオで話しています。聞いてくださったらうれしいです(^▽^)/
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