「必要なもの」と「欲しいもの」は全く別物というお話。
9歳の息子と5歳の娘がいる我が家では、「ゲームは買わないこと」になっている。
この教育方針は、夫と私の間の暗黙の了解。
特に深く話し合ったことはなかった。
いや、話し合う必要はないと思っていた。
なぜならゲームを一度買えば、特に息子がハマるのはわかっているから。
夢中になると周りの声が全く聞こえなくなる息子は、寝る間も惜しんでゲームに没頭するに違いない。
平日は学校とサッカーと宿題に追われてピーピー言っているのに、ゲームする時間の余裕なんてあるわけない。
週末になれば、キャンプにサッカーの試合にと、ゲームでは味わえない楽しみにかなり忙しい。
そこにはゲームが入る一分の隙などあるまい。
しかしある日、息子からこんな相談を受けた。
「友達がみんなゲームをしているから、ゲームの話ばっかりするの。ぜんぜん話についていけないんだ。」
と、かなりしょんぼりした様子の息子。
それを聞いた私は平静を装いながらも、心の中でこう思った。
「ゲームはない方がいい」と、本人と相談もせずに親が勝手に決めつけていたことを反省した。
友達と話が合わないと、さぞかし学校がつまんないだろうと思った私。
そこで、「ゲーム欲しい?友達ともっとお話したいよね?」と聞いてみたら、意外にも息子はこう言った。
「友達と話を合わせるためにゲーム買うのは違う気がする。」
なるほど・・・そうですね。
ですけど、友達と話ができなくて困るという問題は解決しないのでは??
考え込んでいる私に、息子は次のような提案を持ちかけてきた。
「ゲームは買わなくてもいいから、今流行っているゲームの攻略本を買って!基本的な言葉がわかれば、僕も話についていけるから。」
なんと!そんな方法で君は満足できるのかい?むしろ凄いんですけど。
そういえば、4人の子供がいる私の友達も、絶対に子供にゲームを買わないようにしていると言っていた。
その代わり、Youtubeでゲーム動画を見て、友達の会話についていっていると話していた。
ならば、我が家は読解力をもつけるために、ゲームの攻略本を買ってみようという流れになった。
ところが、いざ買う段階になって、突如として息子が言った。
「やっぱりもう買わなくていいや。」
実は、風邪を引いて2日ほど学校を休んでいる間に、ゲームの攻略本に対する熱意がなくなったという。
本当はゲーム攻略本ではなく、やっぱりゲームそのものが欲しいのではないかと質問してみると・・・
「ゲームはときどきでいいの。だから買わなくていい。中毒になりそうで怖いしね。」
と、あっさり却下された。てっきり、ゲームが欲しいと言えば怒られると思って言えないのかと思っていたが、そうでもないようだ。
では、改めて別の質問をしてみた。
小学3年生の息子にとってサンタさんは、どんなプレゼントでもくれる凄い人。心から欲しい1品をリクエストするに違いない。
「スパイダーマンの全身スーツ!」
「え?なんで?来年のハロウィンに仮装でもするつもりなの?」とつっこみたい気持ちをおさえ、
「スパイダーマンのスーツを着て何するの?」と聞くと・・・
「僕ね、全身スパイダーマンになりきって、雪の中を全速力で走りたいんだ!」
息子の大きな目からは、ワクワクの感情が溢れ出ていた。
そうだよね〜。本当に欲しいものを語る時って、このテンションだよね。
息子はやっぱりゲームが欲しいというわけではないと納得した。
と同時に、なぜにスパイダーマン?と思ったけど。(むしろ、こっちの気持ちが大きい)
「必要なもの」と「欲しいもの」の間には、天と地ほどの「感情のボルテージ」に差があると息子にあらためて教えられた。
そして、欲しいものには「実用性」や「理屈」などなく、本人にしかわからないワクワク感がある。
手に入った時のことを想像すると、思わず嬉しくなってしまう。
そんな「欲しいもの」が、存在するだけでも幸せなことだと思う。
息子は私に忘れかけてた「大切なこと」を思い出させてくれた。
私は「これって無駄だよね」と思い、「欲しいもの」を理屈で「必要のないもの」のカテゴリーに分類していた。
少しは息子のまっすぐな心を見習って、これからは自分に素直に優しくなろう。
息子よ、ありがとう。君の気持ちをサンタさんに伝えておくね。