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久米島の夜は更けて DISCO TEKE-TEN Vol.3

 何度も言いますが限りなく事実に近いフィクションです。 

 アルミホイルを壁に貼って古い壁を隠したりして毎日ちょっとづつ内装を手作りすることも大事な作業だ。島で手に入るもので工夫しながら作った店の完成は閉店の前日だったけれど。なんとか店の形も出来て、島の人たちとも仲良くやらせてもらって毎日の生活は続いていった。そんなおり2番目に若いタカヒロが早朝から深夜までの生活に嫌気がさしたようで帰りたいと言い出した。大事な戦力なので困ったが引き留めたところでイヤイヤ仕事をやられても支障が出るのでそこまでのギャラを払って送り出した。でも沖縄本島に渡ったタカヒロは数日過ごして東京には帰らず、結局寂しくなってまた戻ってきた。今思えば本島に遊びに行きたかっただけような気がする。ともかくフルメンバーが揃ったところにもう一人の問題児が現れた。ある日昼間ビーチでパラソルの穴掘りをしていると、遠くから
「マサリーン」
と叫びながら男が走ってくる。そいつは目の前まで走ってきて
「来ちゃった」。
と言った。西宮の従兄弟のヨシノブだった。
来ちゃったってあんた呼んでもないし、そもそもなんで俺が久米島にいること知ってるの?聞くと大阪に里帰りしていたお袋が俺が久米島で店やってるから行ってみたら。と言われて仕事をやめて大阪から来たらしい。しかし連絡もなしでこっちの状況もわからず仕事までやめていきなり来るかね普通。お袋もお袋で無責任にもほどがあると思ったが、まあ来ちゃったものは仕方がない。みんなに紹介して仲間として店に参加することになった。
そしてこいつは店が終わってもそのまま大阪に帰らず東京に着いてきて数年一緒に行動する中で次々と事件を起こしてくれるのだが、その話はまた今度書ける範囲で、、

 久米島にはいろいろな生き物がいるが特に危険なのはハブだ。当時でも年に数人の方が噛まれて亡くなると聞いた。そのハブを殺すために10数年ほど前にマングース作戦というのをやったらしい。ところがその作戦は大失敗。イメージとしてマングースはハブと戦うイメージがあるが、あれは見せ物小屋の時だけで普段はあえてハブを取りにはいかないようで、それを知らないでマングースを野に放ったら野生化してしまって、ハブではない農作物とかを荒らす害獣になってしまったらしい。ありがちな話だ。ハブはサトウキビ畑にいくとけっこういる。そのハブを捕まえてハブ酒を作っている工場に持っていくと一匹5千円で買ってくれるという情報を聞いて、それは行かねばと数回チャレンジしたが捕まえることは出来なかった。ハブ酒の中に一年間瓶付にされていたハブが蓋を開けた途端に噛んだというnewsも見たことがあるくらいなので精力増強にはきっと効果があるんじゃないかと思う。そして海にも毒を持った生き物は多い。ハブは一応血清があるので、噛まれた箇所が壊死するくらいで済む可能性あるが、海蛇の毒はその何倍で血清がある蛇も少なく噛まれたらかなりの確率で死ぬらしい。中でも最高に怖いのは貝の毒。海にもぐったら蓋のない貝は絶対に触るなと教えられた。蓋のない貝を上から触ると口が伸びてきて手を噛まれる。貝の毒には血清がないので(当時)噛まれたらもうおしまいだと聞かされた。全ての蓋のない貝が毒を持っているわけではないがその見分けはつかないので素人は絶対に手を出すなと。そして日常やっかいなのは他にもいて、刺されると命に関わるとかはないがしばらく痛みで動けない毛虫やらムカデやら、草むらや畑はデンジャラスな場所だ。ただ危険な生き物は久米島に限ったことではないのでどこの島でも同じようなものだろうし、そんな危険よりも当時透明度東洋一といわれた”はての浜”など素晴らしい魅力の方が勝るだろう。

 ”はての浜”はイーフビーチから船に乗っていく砂浜だけの島だ、いろいろなミュージシャンがPVをそこで撮っているので行ったことなくても見たことのある人は多いだろう。ローテーションで”はての浜”担当になった時にはお客を連れて小型の船で向かい、シュノーケリングなどで楽しませた。現在はちゃんとしていると思うが当時(あくまでこの話の中の)はその辺りも適当で、初めてシュノーケリングをする俺がお客に聞かれれば教えるという感じだった。始めて足ヒレをつけて砂浜から海に入るときに「後ろ向き歩くと歩きやすいかも」。などとお客と一緒に検証しながらシュノーケリングするなんてことは現在ならアウトに違いないが、珊瑚礁と極才色の小さな魚がたくさん泳いでいるこの世界は平和だ。テグスに針をつけ往復の船から垂らすだけで、到着するころには真ブルーな魚が釣れていている。その場で兄さんたちが捌いて醤油かけて食べさせてくれたが最高に美味しかった。ジェットスキーで引っ張るバナナボートやアクティビティは充実していたと思う。しかもそこにはスタッフ以外は、たまーに来る男子大学生のグループ以外女性客しかいないのだからすごい世界だった。

 久米島のスポットには海だけでなく鍾乳洞があるの知ってるだろうか。”ヤジヤーガマ”という鍾乳洞があって昼間は公開されている、現在はガイドとかいてちゃんとしているようだが、当時は入り口でヘルメットと懐中電灯渡されてかってに入っていくシステムだった。そこには強面予備軍チームに誘われて何度か探検に行った。ある日閉店まで残っていた4,5人の女性客とこれまた残っていた島の強面予備軍さんたちと鍾乳洞に探検に行こうという話になった。店を閉め全員で真夜中の鍾乳洞に向かった。鍾乳洞に降りていく階段には毛虫やムカデがいるので走って通り抜けないと、もし刺されて動けなくなったら熱を感知する夜行性のハブさんいっらしゃい状態になってしまう。飛ぶように駆け降りて行った。鍾乳洞の入り口につくとその脇にもう一つ石が積まれて塞がれた洞窟があった。なんですかと尋ねると、登ってみなと言われよじ登って上から覗き込むと、中には大量の髑髏が放置されていた。聞くと数百年前まで姥捨山だったとのことで、その時のものがずっと残されているとのこと。島のどうしても名前が思い出せない孝一さん(仮名)が中に入っていき、俺が被っていた水色の帽子を髑髏に被して、「ほらーっ」と持ち上げた孝一さんが立っているのは髑髏の山の上。なんて罰当たりなことを!呪われる!と思って手を合わせて謝っていると、今度は別の髑髏を拾い上げて、右手と左手の髑髏をガンとぶつけて割れなかった方を「こっちの勝ち」。とかもう無茶苦茶だ。やめましょうと説得して出てきた孝一さんはちょっと不満そうだったけど、その帽子はもういらないからあげますと言って機嫌が少しもどったのでとにかく目的の鍾乳洞に入ることにした。他のみんなはよじ登っては見ていないので見ないでよかったとおもう。そしてみんなで懐中電灯を手に中にしばらく進むと昼間公開されている一番奥の地点に辿り着いた。鍾乳洞の中はひんやり涼しくて虫もいないし、ライトに照らし出された鍾乳石はとても幻想的だった。終点に来て引き返して帰るのかと思ったら、人が一人四つん這いになってやっと通れるかという穴に進んでいく。え、いけるんですかとみんなで後に続く。普段は危険なので封鎖されている穴も地元の人はよく知っていてどんどん進んでいく。女の子たちはキャッキャ言いながら怖いーといってタカヒロたちにしがみついていて、最後尾の俺とよっさんはうるせーな全くとかぶつぶつ言いながら腰まで水に浸かる箇所とかを通り抜けて行った。途中天井から下がる尖った鍾乳石でよっさんがガリっと背中を引っ掛けて血を流してるし、みんなそこらかしこで頭をぶつけながら奥へ奥へとすすんでいく。何度か少し広いエリアに出て順番を入れ替えるなどしながら進んでいき、最後に体をまっすぐに伸ばさないと通れないような穴を通り抜けるとなんだか明るい。そして波の音がする。鍾乳洞は海まで続いていたのだ。洞窟の出口に向かうと海上に浮かぶ大きな月が俺たちを照らしてくれた。本当に美しい光景だった。そこから海岸沿いを歩いていくと久米島空港の滑走路が見えてくる。久米島空港の滑走路は海岸沿いにあって滑走路の端っこは昼間でも海側から入っていけるのだ。昼間に行くと滑走路の着陸する一番手間の岩にいると、飛行機が自分の上をギリギリに飛んで着陸するという瞬間を体験出来るスポットなのだが、その日は月に明るく照らされた真夜中の滑走路をみんなで歩いた。鍾乳洞の駐車場に置いてきた車を誰が取りにいたのか記憶が曖昧で思い出せないが、こうして一晩の冒険は終了した。

 そして俺たちの「店」という冒険と夏も終わりに近づいていた。

続く。

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