沖縄人は時速40キロを守り続ける
石垣島について早々、沖縄人の洗礼を受けた。
石垣空港到着後に、タクシーに乗った時のことだ。旅行の布陣は私、子どもたち3人の合計4人。東京で留守番する夫からは「ローカル線があるから、電車で行けるよ……」と言われていたが、宿泊先に頼んで手配してもらっていた。子連れワンオペ旅行のキモは移動だ。電車やバスなどの公共交通機関を使ってはならない。ただでさえ乗客は不機嫌で、その中に「子ども」という爆弾を放り込むと、もう目も当てられない。不幸のはじまりでしかない。
タクシーが走り出すと、子どもたちは窓から見えるサトウキビ畑や、石垣牛や、「九月九日」だけ書かれた張り紙(やたらたくさんあった。もう十月なのだが。そもそもその日に何があるのだろうか……)などを眺めていた。ここまでは順調だった。
しかし、十分後には「お腹すいた」と騒ぎ出した。三人はケンカを始める。「世界で一番かわいい我が子」から「クソガキども」に豹変する瞬間だ。車内は地獄と化した……。
彼らが暴れるのも無理はない。私の認識違いでフライト中に食事が出されず、コンソメスープのみで空腹をしのいでいたのだ。フライトは遅れていたこともあり、空港に着くと、すぐに案内係に誘導されて、専用タクシーに乗ったから、朝からまともに食事をしていなかった。
申し訳なくなって運転手さんを見るが、まるで動じる様子はない。彼は少しくたびれた感じのする、優しい目をしたおじさんだった。彼の手元を見て驚いた。スピードメーターは時速40キロを指していたからだ。
彼はサトウキビ畑を見て長男が「あれなに?小麦?」というと、ぼそっと「サトウキビ……」とつぶやいた(その声量だと長男に届いていないと思うのだが)。パトカーが止まっているのを見て、子どもたちが興味津々だと「きっと事故ね……」と悲しい顔をしつつ、速度を落として、事故現場を見せてくれた。
愛想がいいわけではないが、決してこちらに合わせることもしない。子どもたちに「静かにしろ」というわけでもない。心地よい雰囲気にのまれて、子どもたちも大人しくなっていった。
これが東京だったら、どうだったんだろう。
きっと私は「もっと急いでくれますか?」と言うだろう。「察しろよ!」と思って、イライラしていたに違いない。都市では誰もが、他者の欲望でお金を稼いでいる。その欲望には終わりがない。際限ないレースを、たくさんの人と比較されながら生きる。それが都会の生活なのだ。
しかし、おじさんはそんな街とは無縁だった。道路標識を見る限り、どうやら道路は40キロ制限のようだ。だから時速40キロをちゃんと守り続けて、40分くらい走り続けた。そして車が山道に入り、少し下りにさしかかったところで、彼はゆっくりと車を停めた。
あたりには何もない。明らかに目的地ではない。「え?なに?」と騒ぐ子どもたちと「ひょっとして、ここでバラバラ殺人されるのか」と一瞬不安になる私である。彼は海を指さして、「あっち」と言った。
その先には、太陽が沈みつつあった。太陽は大きかった。すごく大きかった。彼は「フォトスポットね…」と恥ずかしそうにつぶやく。あまりに神々しくて、写真を撮ることすら忘れていたのだ。私がスマホを取り出すのを待つわけでもなく、おじさんは再度、車を発進させた。
その十分後、目的地に到着した。そのリゾートはよく使う系列なので、子どもたちは勝手知ったる様子である。私がフロントで説明を受けている隙に、一目散にバーに突撃する。そこでサンドイッチを貪るように食べ始めた。すぐ後に夕食を控えているのに。いつもなら雷を落としていただろう。
しかし、ここは沖縄だ。時速40キロの土地だ。自分が守りたいルールだけ守って、やってあげたいことだけやればいい。もう何でもよくなってきた。ふと、おじさんの哀愁ただよう瞳と、沈みゆく太陽を思い出す。ひょっとしたら彼も、どこか遠い昔に、大きな夢を諦めたのかもしれないな、と感じた。
私は隣に座って、子どもたちを眺めた。その時の私は、あのおじさんのような目をしていたに違いない。