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小説「夏眠」:サマー•ハイバネーション[10]ー電話の向こうにある孤独

葉菜は初診から一週間が経ったが
薬の効果はまだ感じられなくて焦っていた。

むしろ、心なしか体が重く、気力がますます失われていくようだった。次の診察までの一週間をどうやって乗り切るか、その考えが葉菜の頭をぐるぐると巡っていた。

「どうしよう…本当にこれで良くなるのかな…」

ある日の昼過ぎ、会社に向かうべき時間に目が覚めた。結局、また遅刻だ。慌てて服を着替えようとするが、頭がぼんやりしてボタンを掛け違える。そのままの状態で、家を飛び出して駅へ向かった。しかし、途中で気づいた。バッグの中に財布も携帯も入っていない。

「もう…何やってんの、私…」

半分呆れながらも、また家に戻って必要な物を取り、再び駅へと急ぐ。だが、その頃にはすでに疲れ果て、電車に乗った瞬間、座席に崩れ込んでしまった。

仕事に向かう途中、何とか気を奮い立たせようと、同僚の後輩、林育美に電話をかけた。林さんは、いつも明るくて、悩んでいる時に少しでも元気づけてくれる存在だった。しかし、その日はなぜか電話が繋がらず、虚しい着信音だけが耳に残った。

「今日はついてないな…」

一方で、何もかもがうまくいかないこの状況が、どこか滑稽にも思えた。自分の失敗に笑ってしまう葉菜がいた。笑うしかないのだ。そうしなければ、心の中に溜まっていく暗い雲に押し潰されそうだった。

結局、その日も会社に遅れてまともには行けず、仕事が山積みになっていることを想像するだけで気が滅入った。
夜になると、いつものように孤独が胸を締めつける。葉菜は、少し前にかけて繋がらなかった電話相談ダイヤルにもう一度かけた。やっぱり「ひかりの電話」はすべての回線が繋がらなかった。まるで世界中の全てが葉菜から遠ざかっているかのようだった。

「八方塞がりって、こういうことなのかな…」

そんな皮肉な考えが頭をよぎった。絶望感が押し寄せる中で、なぜか自分自身の状況が、映画のワンシーンのように思えてきた。悲しくて、滑稽で、でも現実だ。葉菜はふと、自分が映画の主人公だったら、どんなエンディングを迎えるのだろうと想像してみた。

その夜、ベッドに横たわりながら、葉菜は心の中で自分に問いかけた。

「このまま、何も変わらなかったら、どうしよう…」

自問自答を繰り返すうちに、彼女の心の中には、小さな希望と大きな絶望が同居していた。明日もまた、同じような日々が続くかもしれない。それでも、少しだけ笑える失敗を積み重ねながら、葉菜は自分に言い聞かせるしかなかった。

「やっていくしかないんだ。」

その言葉が、彼女にとって唯一の支えであり、同時に重い枷でもあった。
それに「ひかりの電話」がこんなに何回かけても通じないってことは辛い気持ちの人は私だけではないってことよね。私も大変だけど皆んな、大変なんだ。

私にとってポリアンナイズム的な考え方は無理があって苦手だけど今はそう考えて自分を励まそう。
苦しいのは私だけじゃない。
全国の「ひかりの電話」の向こうにその電話の数だけ、いやそれ以上に孤独があるんだ。
とにかく私だけじゃない...。

※ポリアンナイズム:現在の状況に大きな問題が生じているにもかかわらず、良い
面だけを見て、悪い面を見ないようにする傾向

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