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小説「ダーリンとマダム」:ピカデリーサーカスの奇跡 第8話最終話:永遠の友情

ピカデリーサーカスの公園で、私とダーリンは久しぶりに再会した。そして、その後いつもの階段に戻って腰掛け、周りの賑わいを感じながら、私たちは静かに話を始めた。

「マダム、今日は特別な日なんだ」と彼は微笑みながら言った。私は彼の言葉に首をかしげた。

「特別な日?」

「そうさ。実は、今日で僕たちが初めて出会った日からちょうど3年経つんだ」

驚きとともに、私はその日のことを思い出した。ホームレスの彼に出会い、いろいろな話をした日。あの日から、私たちの奇妙で美しい友情が始まったのだ。

あの日彼は私に教えてくれた。彼にはにはたくさんのエンジェルがついているから、エンジェルのお使いみたいな人によく会うと。そして通りすがりの婦人からクロワッサンを分けてもらってその彼女も私もが僕にとってはエンジェルだと。だから、そんなに私一人で彼のことを心配しなくていいと差し出した。コインを数枚返してきた。そう,あれが彼との友情の始まりだった。
今、思い出しても懐かしく感動で顔が紅葉する。人を助けるつもりが色々と教えられて恥ずかしさと有り難さがないまぜになったあの日。


「そんなに経つんだね。今日はあの時ほどには寒くはないけど」と私が言うと、ダーリンは静かに頷いた。

「そうさ。だから、今日は君に感謝を伝えたかったんだ。今日何となく会える気がしてたんだ。マダム、君と出会ってから、僕の人生は変わったよ」

「私も同じ気持ちよ、ダーリン」と私は答えた。

その後、ダーリンは最近の出来事を話し始めた。刑務所に入る前のこと、そしてその後のことを。


「その後のことだけどね。僕はある日、ホームレスに戻った。そして、この階段にいつものように腰掛けていたんだ。するとビールをくれる人がいた。それまで長い間ずっとお酒は飲んでいなかったんだけど、せっかくだし、何だかその日はムシャクシャしていたから飲んでしまえと思って飲んだんだ。そしたら、そのすぐ後で金を恵むどころかひどい言葉を吐いて立ち去ろうとした通行人がいてさ。ムカついちまって、つい殴りかかった...」
彼は言いづらそうに声をかすらせて一呼吸置いた。そして話を続けた。

「そして...僕は、相手の顔面に一発食らわせてしまったんだ。すぐに誰かが警察を呼んでその場で逮捕された。相手が訴えてきたけど僕には、賠償金を払えるあてもないから、刑務所に入っていたのさ」
と彼はゆっくりとした口調で話してくれた。

私は涙ぐみながら彼が無事だったことを喜び、ハグしていいかを聞いて抱き合った。

握手は今までもしたことがあった。でもお互いシャイで、彼は西洋人にもかかわらず、私はイギリス在住が長いのにもかかわらず、これまで短いハグさえしたことがなかったのだ。彼は「長い間連絡しないでごめん、ごめんよ」と私に向かって繰り返した。
私は彼にハグしながら言った「大丈夫、大丈夫。生きててくれてありがとう。私に会ってくれてありがとう」と彼に呪文のように言った。

そうして私は、今現在彼がどうしているのかを尋ね始めた。
彼はコートの袖で顔を拭いながら再び話してくれた。それは、こういうことだった。

彼が先ほど座っていた元の指定席にホームレスとして座っていたわけではないということ。そして刑務所に入ったおかげで、コンピューターの操作やその他のソーシャルスキル、仕事を得るためのセッションを受けたこと。更に犯したことに対しては大変申し訳ないと思っていることなどを次々と話してくれた。

しかも、彼は刑務所に入っていた半年の間に刑務所内で働いて得たお金を貯めていた。それは皮肉なことに外にいた頃よりもずっと多い金額だった。それから、何よりも良い話があった。それは10年ほど音信不通だったお兄さんと警察を通じて連絡が取れたことだった。そうしてお兄さんと色々話し合いを重ねているうちにロンドンを去る決心をしたのだと言った。

私は彼の言葉に胸が痛んだが、同時に彼の新しいスタートを心から応援したいと思った。

「ダーリン、あなたが新しい人生を歩み始めることを応援するわ。でも、寂しくなるわね」

「マダム、君に会えて本当に良かったよ。君のおかげで色々と考えることができた。君がいつも僕の話をちゃんと聞いてくれたからだよ。離れていてもこれからも僕たちの友情は続いていくんだ」

その言葉に、私は涙をこらえながら大きく頷いた。そして、彼をハグし、「そうね。ありがとう、ダーリン。これからも頑張ってね」と言った。

彼が刑務所にいる間お兄さんは何度も面会に来てくれて、その度に色々な話をしたという。彼がロンドンに出稼ぎに行かなければならなかったのは、お兄さんの色な不甲斐なさが原因だったと謝ってくれたことを事細かに話してくれたのだった。

それから、ダーリンは生まれ育った町に帰る決心をし、地元で再スタートを切ると言った。だからもうしばらくピカデリーサーカスには訪れないということだった。

「マダム、良くも悪くも僕はこのピカデリーサーカスの階段で新しい人生が始まった。そして、マダムや他のエンジェルたちと出会った。これは事実だ。僕はフィクションは苦手だ。ね、そうだろう?」
と彼は声を震わせて言った。

私はというと、溢れ出る涙をこらえて大きく頷いた。
「ダーリン、そうよ。これは、現実よ。全てを話してくれて嬉しいわ。ありがとう」と言い、またいつかどこかで会おうと言って涙を拭った。

その後、私は彼の言葉を何度も思い出しながら、自分自身と向き合うことの大切さを学んだ。彼との出会いが、私に勇気を与えてくれたのだ。

それからいつの間にか何年も経った。
私には現在、彼がどうしているのかわからない。
でもただ一つ確実に言えることがある。
それは、私たちの友情はずっと続いているということ。

リアルなところでは、最後までお互い名前も知らずに「ダーリン」そして「マダム」と呼び合った私達の関係は終わった。
しかし、私が今でもピカデリーサーカスを訪れると、時々「マダム」という彼の声が耳に響いてくる。
私の生涯で最も変わった、けれどもこの上なくピュアな関係だった。

「ゴッド ブレス ユー!」
思い出のピカデリーサーカスの公園で。

      ○                ○                 ○

それからの私はというと、以前と比べたら雲泥の差dr自分自身と向き合う時間が増えた。ダーリンとの出会いと別れは私の心に大きな影響を与え、彼の言葉が私の中で何度も反芻された。
私もまた、彼のように自分の過去と向き合わなければならないと感じるようになっていった。

そして私は決心した。心理学とカウンセリングを学び、自分の機能不全の家族と向き合うことで、私自身の成長を果たそうと。

まずは近くの大学の夜間講座に通い始めた。
毎週、講師の話を聞きながら、自分の中に眠っていた感情が次々と呼び覚まされるのを感じた。
最初は辛かった。過去の辛い記憶が鮮明に蘇り、涙が止まらない夜もあった。

だが、それでも私は続けた。教育カウンセリングの実習を通じて、自分自身の感情を整理し、他人と向き合う術を学んだ。
そして、そこで出会った講師のカウンセラー達から勉強とは別にカウンセリングを受けることにした。

自分と対峙するということは想像以上に過酷であり,また一方で人間的な心の成長をするのに素晴らしいものでもあった。

そして、時を経てついに私にその日が訪れた。
それは、家族と向き合う日だ。私は、日本に一時帰国をした際に家族と会うことにしたのだ。
私が、家族に黙って日本を出てからゆうに7年の歳月が経っていた。

前もって連絡して母の暮らす公営住宅で家族3人で会うことにした。
私はその日、母と兄を前にしっかりと立ち、自分の気持ちを正直に伝えた。黙って日本を去ったことに対しての謝罪を始めに伝えた。それから、これまでの辛かった経験、痛み、そして今の私の決意を。

「私たちはお互いに多くの誤解と痛みを抱えてきたけれど、これからはその痛みを乗り越えていきたい。私たちは新しいスタートを切ることができる。そう信じている」
と私は涙を浮かべながら言った。

母は何も言わず静かに涙を流していた。兄は私の言葉を聞いて深く頷いた。その瞬間、私たちの間にあった長年の壁が少しずつ崩れ始めたのを感じた。私達はまた家族としての新しい道を歩み始めるのだ。

その日から、私たちは少しずつだが、確実に変わり始めた。家族としての絆を再構築し、お互いの気持ちを理解し合えるようになっていった。
そして、私もまた一歩一歩、仕事にせよ、家族の問題の修復にせよ確実に前に進むことができるようになった。

それができたのもダーリンとの出会いのおかげだ。ダーリンと友情が彼からの学びが私に勇気を与えてくれた。
そして、彼との思い出が私を支えてくれた。彼がいなければ、私はここまで来ることができなかっただろう。
彼への感謝の気持ちを胸に、私はこれからも前を向いて歩んでいく。

エピローグ

数年後、私は心理カウンセラーとして働くようになった。多くの人々と向き合い、彼らの心の痛みを癒す手助けをすることが私の使命となった。そして、私自身もまた、成長し続けている。

ある日、カウンセリングセッションの合間に、ふとピカデリーサーカスの思い出が蘇った。ダーリンと過ごした日々、彼との会話、彼の温かさと強さ。そのすべてが私の心に深く刻まれている。

「ありがとう、ダーリン」と、私は心の中で静かに呟いた。彼との出会いが私の人生を変えた。

今でも時折、ピカデリーサーカスを訪れると、彼の姿が見える気がする。声だってあの日のように私の内側でこだまする「ホワイトティーにシュガー5つ!」
そして彼の声が聞こえる度に、私は微笑んでしまう。私の心の中で、彼との友情は永遠だから。

The End

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