見出し画像

小説『灰色ポイズン』その26-食べることについて

遠くで小鳥のさえずる声がする。ウチの周りにこんな鳴き声の鳥がいたっけ…。

なんだかよく寝た気がする。でもまだ眠い…もう少し寝てられる。今日は何曜日だろう?水曜日だったら嶋村のおばちゃんの来る日だからホットパックの用意をしなくては…。突然遠くで校内放送のようなものが流れ始めた。何と言ってるのかまではわからない…
「わからない…」

「何がですか?」
そうっと目を開けると、目の前に薄いブルーのスクラブを着たナースが私を覗き込んでいた。
「おはようございます。ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」

目の前にいる人、見たことがある。誰だっけ?すごくやさしい人。私はまだ夢を見ているのだろうか。それにしてもリアルな夢だ。

「私がわかることならお答えしますよ。何がわからなくてお困りですか?」ナースが再び質問してきた。

あ、これは夢じゃない。ここは美菜子先生のいる病院、由流里病院だ。そしてこの聞き覚えのある、何もかもをふんわりと包み込むような声の持ち主はナースの吉野さんである。
いくら寝ぼけているからって、私はとんだおとぼけ者だ。よかった、段々頭がはっきりしてきた。

「吉野さん、おはようございます。あの、大丈夫です。私ちょっと寝ぼけていたようです」と私。

「そう、それなら良かったです。でも、何か気になることでもあればどうぞ聞いてくださいね。歳以外なら答えます」と吉野さんが言ってニヤッと笑った。

私は突然のことにポカンとした。
「あらやだ森野さん、ここ笑うとこですよ」
吉野さんは続けてそういうと電子体温計を渡してきた。私は反射的にそれを脇に挟んだ。程なくピロピロと音が鳴った。吉野さんが体温を読み「36.5度、異常なしです」と言った。

私はゆっくりとマットレスの上に起き上がり、埋め込み式の時計に目をやった。「まあ!もう8時?」
ちょうど朝ごはんが終わる頃だった。

吉野さんが朝のラウンドで、私があまりにもぐっすりと眠っていたと報告を受けて、起床時間を起きるまで待とうと話し合ったとのことだった。ドアの鍵を開けてもらい、部屋の前にある洗面所で顔を洗った。髪に申し訳ない程度にブラシをかけてうがいをした。部屋に入る前に横にドアが2つあるのが見えた。ここって3部屋あったんだ。

保護室の部屋の中に戻るとすぐに朝食が運ばれてきた。今日はロールパン2個にクロワッサン、きゅうりとミニトマトのサラダ、ゆで卵とウインナーソーセージ3本。飲み物はカフェインレスコーヒーのカフェオレ。

私はまず先にカフェインレスとは思えないカフェオレをひと口飲み、香りを楽しんだ。次にゆで卵の殻をむき、先割れスプーンで半分にした。次にスプーンでロールパンを縦に割った、2つに切れてしまわないように慎重に、底の方まではスプーンが行かないように。

そしてロールパンにバターとマヨネーズを塗り、きゅうりとウインナーソーセージを挟んだ。なんだかお腹空いていて、ロールパンの即席サンドは随分昔に泊まった城山ホテルの朝食のように美味しかった。もう1個のロールパンにはゆで卵ときゅうりを挟んだ。私はあっという間に朝食を平らげた。

途中で薬を持ってきた吉野さんが、うっとりした声で言った。
「森野さん、素敵。なんて美味しそうに召し上がるのでしょう」
私は一瞬驚いたが、
「昔からよく言われます。何があっても結構食べる方なんです」と言った。それから続けて
「でも時々食事の味がわからなくなることもあって。二十歳の頃に過食してました。普通は味がしなくなると食欲が落ちるのでしょうけど、私の場合は味がしなくて満足できないのでたくさん食べていましたね…」と話した。

吉野さんは、私の話すことに相槌を打ちながら聞いてくれた。そして私が話終わると薬を渡した。服薬が終わり、お決まりの飲んだことを確かめる口内チェックをすると、吉野さんに話した食事にまつわることを、よければぜひ院長先生にも話してみてくださいと言った。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集