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スコットランドの不思議な旅ーその[13]ーフィンドホーンの朝:ピアノとダンスと小さな失敗

2日目の朝。

おいしい朝食を食べて部屋に戻り、身支度を整えた私は、時間を持て余していた。遅れるのも嫌だし、部屋でじっとしているのも退屈だったので、午前のプログラムがある「ボールルーム」に早めに向かうことにした。

レセプション横の長い廊下を抜け、共同のきれいなトイレの前を通り、そのまた奥へ。ボールルームの扉をそっと開けて中を覗くと、まだ誰もいなかった。

部屋に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に懐かしい感覚がふわりと広がった。木の床は丁寧に磨かれ、まるで私が通っていたムーブメントアートのカレッジの教室のようだった。部屋の隅にはグランドピアノが鎮座している。

―弾きたい。

しばらくピアノの練習をしていなかったせいか、指先がムズムズした。思わず鍵盤に手を伸ばし、ポロローンと軽く音を鳴らしてみる。そのまま、数分間、心のままにポロンポロンと音を紡いでいると―

「!!!」

突然、ドアが勢いよく開き、フォーカライザーのSさんが入ってきた。彼女の表情は、うっすらと険しい。

あ、これ、やっちゃったやつだ……。

ピアノを弾いてはいけなかったのだ、と瞬時に悟った私は、すぐにSさんに謝った。

「ピアノを弾いてはいけなかったんですね。ごめんなさい!」

Sさんは首を横に振りながら、淡々と説明してくれた。

「そうなの。この部屋は使用できる時間が決まっているの。ドアの前にも書いてあるでしょう? 今日は日曜日だから、ここで働いている人たちはゆっくり寝ているかもしれない。だから、特に今朝はピアノを弾くのはダメなのよ。」

なるほど。ルールがあるのにはちゃんと理由があるのだ。

「分かりました。知らなかったとはいえ、ごめんなさい。」

そう伝えると、Sさんは「分かってくれたなら大丈夫」と優しく言ってくれた。

オーマイゴッド。しょっぱなからやらかしてしまったよ……トホホ。
何故、許可も取らずにピアノを弾いてしまったのか。自分のうかつさに頭を抱えたくなる。でも、心の中の小さなわたしがそっとつぶやく。

「だって、そこにピアノがあったから……。」

Sさんは続けた。

「あのね、平日で、決められた時間内なら弾いてもいいのよ。ただ、ここはコミュニティだからね。みんなが気持ちよく暮らせるようにルールがあるの。守ってくれてありがとう。」

フィンドホーンが、ただの「自由な村」ではなく、しっかりとした「共同体」として機能している理由が少し分かった気がした。
自由に見えて、その中には思いやりのルールがある。そのおかげで、ここでは人々が穏やかに共存できるのだろう。

ちょっと失敗しちゃったけど、いい学びを得られた。
そう思うことにして、気持ちを切り替えることにした。

9時半の少し前。

ひとり、またひとりとメンバーがボールルームに集まってきた。いよいよ、セイクレッドダンスの時間が始まる。

ーセイクレッドダンスとはー

セイクレッドダンスは1970年代、ブラジル人の芸術家ベルナール・ウォジエンによってフィンドホーンに紹介されたダンスだ。シンプルなステップと振り付けで、世界各国の音楽に合わせて踊る。

でも、それはただの「ダンス」ではない。

“今ここ”にいること。
自分の身体にしっかりと入り、グラウンディングすること。
自分が“全体”の一部であるのを感じること。
手を繋ぎ、輪になり、一緒に踊る仲間とのつながりを感じること。
天地とつながること。
祝福。
瞑想。
祈り。

そうした深いスピリチュアルな意味が込められたものだった。

私が学んだムーブメントアートの中にも、これに似た哲学があった。Harmony(調和)、Joy(喜び)、Gratitude(感謝)、Peace(平和)。
セイクレッドダンスは、ただ「ためになる」だけでなく、何よりも楽しいダンスだった。

ー手を繋ぐということー

フィンドホーンに行く前、ネットでセイクレッドダンスについて調べていたとき、あることが気になった。

「手を繋いで踊る」

私は発達障害傾向の影響で、他人に触れられることが苦手だった。握手やハグ、キス――それらは私にとって、喜びよりもむしろ痛みに近い感覚をもたらすものだった。

それでも、少しずつ克服してきた。セイクレッドダンスはどうだろう?

ダンスの前に、まずはアチューンメント(波長を合わせる時間)。

フィンドホーンでは、何かを始める前に必ずこの時間があるらしい。
手を繋ぎ、互いの存在を感じながら、呼吸を整え、波長を合わせる。そして最後に、ギュッと手を握り合って「準備OK」のサイン。

その瞬間、私は自分の緊張が少し溶けるのを感じた。

いよいよ、セイクレッドダンスの時間。

講師はSさん。彼女は優しく、一つひとつの動きを見せながら丁寧に説明してくれた。そして、理解できたかどうかをこまめに確認しながら、私たちに試しに踊らせてみる。そして、できたことを褒めまくり、勇気づける。

「大丈夫! すごくいい感じよ!」

そんな言葉をもらいながら、いよいよ本番。ケルト調の音楽に合わせ、皆で輪になって踊る。

私たちのメンバー10人のうち、セイクレッドダンスの経験者は2人だけ。ほとんどが初めてだった。にもかかわらず、驚くほどスムーズに動けた。

現在を踏みしめ、過去を確かめ、未来へと続く。

セイクレッドダンスは、ただのダンスではなく、一つの哲学だった。

私は当初、「輪になって踊る」と聞いて、盆踊りみたいなものだと思っていた。でも、それとはまったく違った。

音楽と動きの中で、私は一瞬だけ、本当に「全体の一部」になった気がした。

これは、単なるダンスの時間ではない。自分を解放し、世界とつながる時間なのだ。

それは心地良くも背筋も伸びる貴重な体験だったー。

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