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『ゲシュタルトの祈り』と『武者小路実篤の言葉』は似ているね
『ゲシュタルトの祈り』をSNSの記事で久しぶりに見かけた。
「私は私、あなたはあなた。
私がこの世に生きているのは、あなたの期待に応えるためではない。
また、あなたがこの世に生きているのは、私の期待に応えるためではない。
私は私。あなたはあなた。
縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。」
悩 んだり苦しんだりするのは「こうあらねばならない」という「〜べきという」考え方が常に頭にある人達にあるようです。御多分に洩れずかく言う私もそういう風に考えがちな時代を経てきた。
苦しかったよね。
自分がこうしているのだから、相手も当然自分に対してそうするのが当然であるとか、自分がやった分だけは相手も自分に返すべきだ!
もしくは、それは人に否定されることが苦手の人に多いのかも。
お互いに強制しあわない。または、干渉しあわない人間関係も、人間関係を適度に保つ方法だと思う。
健全な人間関係にはある程度の距離感が必要不可欠。
「ゲシュタルトの祈り」とは、ドイツの心理学者フレデリック・S・パールズ(1893~1970年)がローラ夫人と共に創設した「ゲシュタルト療法」で使われる「祈り」です。
「君は君、我は我なり。 されど仲良き。」
という武者小路実篤の言葉は、あなたにはあなたの考え方があり、私には私の考え方がある。 考え方はちがっていてもお互いにその考え方を尊重しあえたらあなたと私の間には深い友情が育つ事でしょう ということだと思う。
古今東西で人間関係について考えだした言葉は似てくるものなんですね。