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『ありのままでいる』ことについてー

ありのままの自分ってなんだろう?
素直な自分。自分の気持ちに正直になっていられている状態。
でも、喜怒哀楽をストレートにいつでも誰に対してもどんな場所ででも出していいわけではない。
穏やかで、自然体でいること。人や不安感などの心配ごとに支配されない自分の素の状態が「ありのまま」ってことだと思う。

運命に抵抗したり、無理に我慢をしたり、身の丈に合わない精神的な背伸びをしたり、自分に嘘をついたりと、そんなしんどいことは捨てて、素直な自分になろう、という感じ。
淀みのない自分らしい心でいれば、周りに左右されない自分でいられる。

運命とか、起きること出会うことに良し悪しをつけず、評価をせずに、大きな流れや自然に身を委ねること。まるでサーファーのように。
サーファーは、海の波をコントロールしようとはしない。自分の力で波を抑え込もうとするのではなく、その波にうまく乗り、自分をその流れに委ねることで、リズムよくバランスを保ちながら進んでいく。波は次から次へとやってくるが、その一つ一つを受け入れ、その時々で最善の形で乗り越えていく。
あるがままの現実を受け入れて「今ここ」に身を置いていく。
すると、どんなことがあろうと、大きな波が来ようと、精神が揺らぐことなく、淡々と、堂々と「生きる」ことができるのだと思う。

どこにいようが、どんな相手であろうが、自分らしく自然体でいよう。
へりくだったり、必要以上に格好つけたり、我慢して耐えたり、無理やりに背伸びして自分を大きく見せようとしたりするのはストレスになる。
自分に嘘をついてその場を取り繕って一見うまくいったように見えていても、必ずボロが出るものだし、そういうのは無理をしているってことだから、まず長続きはしない。

自分らしく自然体でいる!ってことは、口で言うほど簡単ではないと思う。
でもね、自分は他の人にはなれないし、他人も私にはなれない。それぞれみんなが「自分という人間を全うすること」、これが自然に生きることだと思う。

喜怒哀楽の中でもっとも厄介な感情が怒りかもしれない。
その怒りは事実を曲げて解釈したり、人間関係を難しくさせたりして、後に悪影響を及ぼし、大きくなる。
それでは、怒りを気にせずに穏やかな心を保つために私たちができることってなんだろう?

怒りのピークは6秒だと言われている。怒りに捉われずに、その6秒をコントロールできたら、穏やかになれる。

怒りや苛立ちは、「自分は被害者だ」という被害者意識からくる。それって「自分という存在は脆く、すぐに小さなことで脅かされてしまう」の裏返し。
「何ものにも揺さぶられない自分」という自分軸を持てば、心乱されないのだと思う。そこに行き着くのが難しいことだけど。

常にポジティブでなければ!辛くても前向きでいるべき―そんなのは辛すぎる。
我々は生身の人間だもの。気分の波があるのは当然。

本当は落ち込んでいるのに笑顔を絶やさない。本当は泣きたいけど元気に振る舞う。
落ち込んでいる時は、落ち込んでいてもいいんじゃない!
無理に前向きになろうとせず、事柄に抗わず。
ありのままの素直な自分でいると、自分自身も楽になり、結果として周りにも良い影響を与えることになる。

我々は欲望や執着、怒りなどの厄介な感情にとらわれやすい生き物だ。
そこで、それらに支配されない方法を知っていると知らないよりは雲泥の差がある。
人生を送るのに、何ものにも支配されないで、自由で穏やかな心、ありのままの素直な自分でいるということ。

それから、関わる相手に期待して、自分の都合で自分が束の間の安心ができるように相手をコントロールしないこと。
そういう欲や執着があると、心を乱される。難しいことだけど、自分はもう十分満たされていると気づけば、気持ちが楽になる。

たとえ相手が間違っていると思っても、頭ごなしに非難せずに、「何かそうならざるを得ない理由でもあるのか?」「仕方がないな」と両者の視点をバランスよく持てれば、心を乱さずに済むようになる。

本当は悲しいのに笑顔でいる、泣きたいのに元気よくする。
そんなに無理に前向きになる必要はない。
自分に嘘をつかずにいれば、生きるのが楽になる。そして自分が楽だと、その恩恵は周りにも伝わって、周りも楽になっていく。
とまあ、そんなもんじゃないでしょうか。

そんなことを目指していけたら良いなあ!
「良いです!」と思いに耽る今日この頃の私であった。

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