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追悼 八巻秀先生
駒澤大学の八巻先生が急逝された。
あまりにも突然で、あまりにもショックで、気持ちが追いついていない。
なにしろ、今週末二日間の対面研修をものすごく楽しみにしていたところだったのだ。
訃報はその研修の中止という形でもたらされたが、メールを読んであまりのことに冗談かと思ったほどだ。
8月11日に心タンポナーデにて急逝
とメールにはあった。
そのメールに前後して、研修仲間から連絡があり、昨日14日のお通夜に一緒に出席することができた。
駅で待ち合わせて、仲間の一人の顔を見た途端、初めて涙がこぼれた。
たぶんそれまでは、現実感がなかったのだろう。ただひたすらどうしようどうしようと動揺するばかりだった。
数名でお通夜に参列、飾られた写真の笑顔はいつもどおり、まぶしいばかりだし、棺の中のお顔は眠るようで、相変わらず実感はない。
突然の連絡にも関わらず、多数の弔問客がいて、みんな同じように動揺した表情だった。
本当にご本人が一番驚いているのではないかというぐらい、突然のことだった。
HPを見ても学会発表や講演など、これからの予定がびっしりなのだ。
誰もが呆然としていた。
八巻先生の経歴や執筆などは、ご存じの方も多いと思うので、ご本人のHPに委ねるけれど、私にとっては常に
「新しい世界を開いてくれる人」
だった。
最初は産業カウンセラーの講座で家族療法の講座を受けたのが始まりで、十年ほどになるだろうか。
この講座で、「個人ではなく、関係性」「コンテンツではなく、コンテクスト」という目からウロコの概念を体験することになる。
今にして思えば、1対1の世界からの脱却がここから始まったのかもしれない。
これ以降、遠距離介護が始まって大変な時期だったのだけれど、先生の講座はなるべく受講するようになり、そのうち個人で開催していらした「外ゼミ」という、社会人向けのゼミに参加するようになって、現在にいたる。
リフレクティング、アドラー心理学、そしてオープンダイアローグと現在の私の重要な核を成すものの多くを先生に教わった。
先生の講座はいつも楽しく、安全で、元気がもらえる、まさに「勇気づけ」の場だった。
研修仲間の中には、毎月スーパーバイズを受けていたり、自分で開くダイアローグの場の相談をしたりと、とても深く会っていた人たちも多い。皆これからどうするのかと途方にくれていた。
それに比べると、私は先生のこともあまり知らず、年に何度か研修や講演を聞き、年を重ねてきたのだけれど、心の底で何かあれば先生に相談すればいいと思っていたところがある。
実際にするかどうかは別として、いつもできる、安心できるその場所があると思っているだけで、勇気が出るのだ。
その場所を失ってしまった。
足元が崩れるようなというのはこういうことをいうのだと思う。
カウンセラーを突然喪ったクライアントの気持ちがきっとこうだね、と誰かが言った。
本当にそうだと思う。
ただ、クライアントと違うのは、私たちには仲間がいて、今回も一緒にいることができた。
週末は予定されていた研修のスケジュールのとおり、皆で自主勉協会をすることにしている。
そして私たちだけでなく、おそらくたくさんのそういった集まりがあるだろう。
志は半ばになったかもしれないけれど、先生のまいた種は、地道でも、ゆっくり、確実に育っている。
先生、本当にありがとうございます。
今闇夜に取り残されたような私たちですが、手を取り合って、進んで行きます。
どうぞ、あの笑顔で、天から私たちを見守ってください。
心からの哀悼と感謝を捧げます。
そして、先生のご家族、関係者とともにたくさんのクライアントの方々にも心落ち着く時が早く訪れますように…