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できることは、ほんのすこし ~対人支援の心がけ~
仕事をするときの心がけと言えば、手を抜かないとか、相手の立場になるとか、いろいろあると言えばあるのだけれど、ここ数年はほぼ、これにつきる。
自分にできることは、ほんのすこしであることを、忘れないこと。
対人支援(対人援助という言い方は上下を感じて苦手💦)の仕事なので、その目的を突き詰めると、その人にとって、何かしらの変化を求めて行動することがほとんどである。
イメージしたとおりになることもあるけれど、ならないことも多い。
当たり前である。
機械のプログラミングでさえ、慣れないうちは思う通り動かせない。
まして相手は人であり、事態を動かすためには何人もの人が関わる。その人達のすべてが自分の思い通りに動いてくれるなんて、あるわけがない。
でもイメージ通りでないからといって、それが悪いこととは限らない。
イメージ以上のことが起きることもあるし、想定外だけど、そっちのほうがいいよね、ということも多い。
所詮、自分の思惑なんて限られたものなのだ。
そして、もし、うまく行ったら、それは自分のせいではなく、本人を含め、かかわった人たちが奇跡のように気持ちをそろえてできた結果だと、受け止め、思い切り喜ぶのだ。
自分がやったことの結果でものごとが動いた、その人が変わったなどと誤解すると、人を変えよう、自分にはそれができるなどというとんでもない気持ちになり、相手の気持ちを置いてきぼりにしやすい。
誰かが誰かを動かすこと、ましてや人を変えることなど、できるはずもない。
できたように見えるときは
もしかしたら、今その場にはかかわっていないけれど、過去にその人に関わった人たちがまいてくれた種が、たまたま実る時期に、自分が居合わせただけかもしれない。
もしかしたら関係者ではない、誰かの言葉が、これまで動かせなかった本人の気持ちにひびいたのかもしれない。
もしかしたら、
もしかしたら、
そんな風に考えて、いつも自分を戒める。
人の気持ちは計り知れず、その中身が何からどうなるのかなんて、そんなに簡単ではない。
支援者といってもできることは本当にささやかで、個人的には、全体の5パーセントぐらいかなと思っている。
もしかしたら、1パーセントぐらいかもしれないけど、ちょっと淋しいので5パーセントにしておこう(笑)
その5パーセントも、直接何かをするというよりは、本人が自分の力や気持ちに気づけるようにすることだと思っている。直接的なものではない。
うまくいくのは本人や、周囲の人々を含めた環境のチカラがほとんど。
でも、そのささやかなことが少しでも役に立つのであればと、日々仕事をしている。
うまくいったら、思い切り一緒に喜び、うまくいかないときは、いつか種が実ることを願って。
それが私の仕事の心がけ。