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お手伝い上手な娘を見て思うこと

1歳を超えて二足歩行が安定し、自分の体を
自分の思うように動かせるようになった。
そんな娘は最近お手伝いが上手だ。

自分の着たパジャマを洗濯機に入れる
汚れたオムツやゴミをゴミ箱に捨てる
乾いたタオルを手で持って運んで棚にしまう
自分のスキンケア用品を棚から出す、しまう
など、教えていないはずなのにやってくれる。
こちらから促すこともなく、本人が自らすすんで
当たり前のことのように毎日やってくれるのだ。

新生児期から生粋の抱っこマンだった娘。
きっと抱っこされながら、わたしの手の動く先を
ずっと見ていたんだろう。
そうやって生活を覚えていったのだろう。

わたしたちは当たり前に日々生活をしているが、
その「生活」の仕方は誰に教わったことでも無い
ような気がする。
誰に教わることなく、自然と身についたもの。
きっと今の娘のようにわたしも母が生活をして
いる姿を見て身につけていったのだろう。

朝起きて、身支度を整え、朝食を取る。
片付けをして、朝の掃除や洗濯。
これが我が家のルーティン。
このルーティンが崩れるとちょっと気持ち悪い。

わたしはモンテッソーリ教育で育っているので
このような生活ルーティンや身なりを整える事
は、幼児期から徹底されていた気がする。
そしてそれはわたしにとって心地のいいものだ。

掃除をして環境を整えること、身なりを整え
清潔感を大切にすること。
当然の事のように両親も、先生も、周りの友人も
行っていたので誰に教わることなく当たり前の事
として自分も行ってきた。
「そういうものなんだ」と思ってきた。

それと同じように娘もきっと今わたしが行って
いる「生活」全般を当たり前のことのように感じ
自らもお手伝いという形で行っているのだろう。

良くも悪くも、幼い子どもは環境に左右される。
家庭環境はもちろん幼稚園や学校、習い事など
子どもにとって「今いる場所」は「世界」に
なっている。「世界」であり、それが全て。
だから、わたしのように朝からせっせと動く
ことが娘の中では当たり前の「生活」であり、
当然の事なのだ。
わたしは大人なので、朝1番に歯を磨かない人
もいれば、掃除機は毎日かけない人がいる事を
知っている。そしてそれが悪ではないことも
もちろん知っている。
しかし、娘は他の世界を知らない。
この件に関して娘にとって他に例外はない。
もう少し大きくなれば、自分と違う生活をして
いる人間に対して衝撃を受ける事もあるだろう。

果たしてこの「生活」は良いものなのか?
それはわからない。
自分の生活はおそらくマメな生活だ。
しかしわたしとしては生活力が身についてくれれば嬉しいな。といったところだ。
娘が成長して、このマメな生活が鬱陶しければ、
自分で必要のないところは断捨離してくれれば
良い。生活や習慣は強要しないようにしよう。

今の娘の世界はこの家の中だ。
だから、これから先もわたしや夫の行動を見て
娘は生活や習慣を覚えていくのだろう。

彼女の生活が少しでも豊かなものになるよう、
わたし自身の生活も豊かにしていこう。
そして、娘が自分の意思で生活を断捨離出来る
ようになった時には娘の意思で自分の生活を
確立していけるよう静かに見守ろう。
お手伝い上手な娘を見て、ふと思ったのだった。

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カメリア
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