両親にやる気がなく困っています
毒親に育てられた夫と暮らす妻
幸せパンダです。
ぎっくり腰になりかけてなんとか
回避しましたが腰痛が治りません。
背中の筋肉がばきばきに固まって
いたのを改善しても、今度は
おしりの上の筋肉が凝り固まって
後右膝の痛みがでてきました。
右膝も旋回しているのを治したいし
体の事を調べたいですが、なまけて
います。
最近よく実家に帰るようになった
私ですが、両親とじっくり話が
できていて、父が認知症が進んで
しまいましたが両親との時間を
今は大切にできていることが
嬉しいです。
その代わり子供たちとの時間が
減っていて体は1つしかないので
悩んでいることでもあります。
認知症が進んだ父に、なんとか
元気を出して外に歩きにいける
くらい回復してほしいと願う
私は、どうしたら父のやる気が
でるか今一生懸命考えています。
老い=やる気を失う
これは最近両親と密にせっしていて
思うことなのですが、とにかく
両親ともに何もかもめんどくさ
がっています。
母はそれでも父を支える為に気を
はっていてましですが、父はやる気を
とことん失っています。
家に行くと寝室でテレビを見ている
父に挨拶をして父の目を見ると
黒い瞳をしていますが、言葉は
『おーきてくれたんか』といって
いますが目は一瞬誰かなという
感じで私を見ていて、親戚の方など
忘れていないか心配になって
聞いてみたら、まだ覚えて
いるみたいで以前の父に戻ります。
受け答えもはっきりしていて、
その時は瞳の色も綺麗な黒色を
しています。
母の事も最近気になっていて、母も
難病を抱えていて目の症状にでる
病気なのですが、たまに瞳の色が
濁っている時があります。
母の歩き方も歩幅が狭くなり
おばあさんの歩き方になって
いるし、両親ともに認知症に
なったらどうしようと不安が
よぎります。
認知症と足の関係について
と歯と認知症の研究をしたい
くらいです。
最近寝不足とビタミンD不足で
マイナス思考ぎみです。
それでも実家に行く時は50分
かけて自転車で行きます。
自転車に乗って歌を歌いながら
ピアノを演奏している気分に
なってみたり、おもしろい
お店を見つけたり外の景色を
見ながら運動不足を解消して
います。
話は戻りますが父はもう
歩く気を無くしてしまっていて
もう車いすに乗ってもいい
なんなら乗りたいと思って
しまっています。
トイレに行くなどは歩行が
できているので外も歩く
事ができるはずです。
私がついていくから行こうと
行っても気乗りしません。
外出先で歩けなくなると
力の弱い私はどうにもできずに
困らせてしまうという思いが
あるみたいです。
車いすを借りてもしもの為にと
安心材料に引いて行って
父に歩いてもらおうかなど
考えましたが車椅子に乗りたい
などを余計に考えてしまうのでは
ないかと思うのです。
私はどうしても父に歩いてほしい
元から運動嫌いで、家で運動や
体操もしません。
介護のことを教えてくれた方が
老人の会で体操教室があることを
教えてくれましたが、父には
ふれあい喫茶の方がいいんじゃない
かと思っていますが、でもその場所
まで歩けるレベルではないですし
誰かに送迎してもらうことはでき
ますが、車に乗るのも一苦労
に今後なっていくかもしれません。
夫に私は父が幸せではないと
思っていないか?と聞かれました。
父は年は取りたくないとか
苦労かけるな!とか都度都度
いっているので、自分ができること
が少なくなっていて葛藤している
のではないかと思うというと
それもあるかもしれないけれど
案外幸せに思っているのかも
しれないというのです。
やるたくないものはやらない
選択をしているし、前までは
1日1回は外出していたのに
今は家で引きこもっているので
なんとかもう1度杖をついても
外に歩きに一緒に行ってほしいと
思っていますが、父にしたら
たちあがるのもめんどう、こける
のも怖い、歩くのがめんどくさい
家にいれば最低限歩いていれば
いい、めんどくさいことは
やらなくて済んでいる今は
それで幸せだというのです。
私からしたら1日中テレビをみて
何がおもしろいの?と思います。
暇だと思って北島三郎や五木ひろしの
CDも持っていって、音楽聞く?
と聞いても今はいいといいます。
父も自律神経がみだれているので
耳回ししてよ!気が付いた時に
している?と聞いてもしていない
ので、一緒に耳回しをしたり
座ってできる足の運動を母に
教えたりしますが、極端に
筋肉が衰えているとやる気も
なくなるみたいです。
最近老人に目が行くように
なりましたが80歳を余裕で
こえている方が自転車に
乗っているのを見て関心します。
ご家族からしたらやめてほしい
のにやめてくれないと悩んで
いると思います。実際私の祖父も
元気な時に自転車からこけて
太ももの太い付け根の骨折を
してしまい、またたくまに認知症が
はじまり、事態が急変したので
押し車がはずかしかったら
荷物を運ぶカートがあるので
今はおしゃれなものがたくさん
売られています。
足に自信がない年齢になって
いたら今すぐ変えたほうが
いいです。
私はまだまだいけると思って
いる人が1番やっかいですが
今となってはそんなくらい
やる気がある方は素晴らしいと
思います。そのやる気を少し
父に分けてほしいです。
両親と義父の話になり、義父は
元気かと聞くので元気と答え、
なにげに私が義父は1人で
車を運転しお墓参りをするというと
母が運転大丈夫?と聞きます。
義父は70歳いっているのかな?
そういえばちゃんとした年を
知らないな!そうとう私は
興味ないんだろうな!
義父の運転をずっと見たことが
なかったので、運転中危ない
場面がないのか気になって、
帰って夫に聞いてみると、
もう運転するなと伝えていると
聞きました。
以前の私ならほっておいたの
ですが、少し義父が心配になり
夫に義父の事を聞いたことは
進歩なんじゃないかと思います。
私の父は70歳まで大工の仕事を
していましたが、引退して
しばらくは車の運転をして
いましたが、1度危ない場面を
偶然みてしまい、なんとか父を
説得して免許返納をしてもらい
ました。
はじめはブーブーいっていましたが
今は返納してくれて本当に
よかったと思っています。
車の運転だけでなく、この体の
動きができなければ自転車の
運転もやめるべきだというのを
テレビでやってくれないかと
切実に思います。
年配の方のテレビに対する思いは
そうとう強いので、テレビがいうと
信じて自転車に乗ることを
やめる方がでてきて、自転車に乗らず
押し車を使っていてもはずかしく
ないんだよ!それは誇らしいこと
なんだよと社会の目がならないかと
期待しています。
義父の話になりますが
義父は耳が悪いので、数年前に私は
補聴器を進めましたが絶対に嫌だと
いいます。
私は補聴器をつけているから老人だとか
若い人は思わないといいました。
どちらかというと何度も聞き返して
きたり、聞こえないからと大きな声で
話さなくてはいけないくらいなら
補聴器をつけてほしいと思って
いいましたが、そこで私はまた義父を
かえようと思っていたのですね!
老いはみとめざる負えません。
耳が悪くなったのも入れ歯があって
いないせいなのですが、それをいっても
信じてくれないだろうし、入れ歯を
変えればお金もいるし、補聴器も20万
くらいするというとそんな高いお金は
無理だといいます。
義父はお金はあるんです、でも自分に
使う事はもったいないと思っています。
補聴器もピンからきりまであるので
もしかしたら安いものがあるかもしれ
ませんが、そういう問題でもない
ようです。
私が捨てセリフに、じゃあ足の悪い
方が杖をついて歩いていたら
カッコ悪いと思うのですか?と
聞くとそんなことは思わない、そんな
差別は俺はしないといいます。
ここを改善したらもっと豊かな生活が
送ることができるのにと歯がゆい
思いはこれからも続きそうです。