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優しさと強さ

東日本大震災から、今日で13年が過ぎました。
13年という数字に戸惑いを感じている森のキノコです。

13年。
バックパックを背負い、娘を抱っこして東京駅のコンコースを走ることのできた自分は、もう、抱っこされていた娘に、小さなスーツケースをうまく操れず「ほら、何もたもたしてるの!」と東京駅のコンコースで言われるようになった月日。
しゃきしゃきしていた母も先日
「今度大きい地震が来たら逃げる体力がないわ・・・」と弱気になっていた。

それが「早かった」のか、「遅かったのか」は未だにわからない。

ただ、一瞬にして消えてしまったもの、徐々になくなっていったもの、その流れを見てきた13年だった。
それは誰かの家だったり、母の家もしかり。大切な人だったり、街や風景、あの時にあった「空気」
母の家のあった跡地は、1年ちょっと前に行ったときは、腰ほどの丈まで伸びた草で鬱蒼としていた。それを縫って歩いて土地の終わりに立つと見える太平洋。
13年前から海が近くなってきて、全てが一瞬に変わりながらも、それから帰るたびにまた、景色が変わり続けてきた。
今では電車の高架線が見え、家もぽつぽつと立ち密集している住宅も見える。

この13年は人の優しさに触れ、強く生きてきた人たちを見続けることができた。

13年が過ぎて、人の優しさ、人への優しさ、そして強く生きること、そして強く立ち上がること、これがあっての復興だなと思う。

色々、大なり小なりのもめごとはあるにしても、母は恵まれた環境に今は身を置くことができている。
もちろんそれは、母の「強さ」と「優しさ」の努力のものだとは思うのだけれど、周りの人たちの、特に「優しさ」に私は感謝せずにはいられない。
大変な思いをしてきたからこその強さと優しさを持つ人たちに助けられつつ、母は13年という月日と過ごすことができた。

1月に起きた能登半島沖での地震。少し見ることのできたニュースの切り抜きのようなもので、地元の人が協力し合って日々を乗り越えているものを見ることができたけれど、それも優しさと強さの人たちだった。

日本人であることに、誇りを持てる瞬間でもある。
日本人の素晴らしさは、見えること以上に、「感じられること」が多いと、地震があるたびに思うのだ。

これがこの13年に「被災したか家族を持つ、”ソト”で生きる人間」が感じ、思うこと。

最後に・・・。
また大地震が来る、と最近あちらこちらで見かけるけれど、大地震を経験し、被災した人達と話をして、強く感じたことは
「直感に従え」
ということ。
どうすれば助かるか、どうすれば安全か。
「~が言っているから」「~って決まりがあるから」以上に大事なのが「直感」であること。
そして優しさと強さでその地震の後を乗り越える。
そしてこれをできるのは日本国民が世界で一番「できる人たち」だと、私は信じている。

また来るであろう、と聞くたびに正直、心が折れてしまいそうになる。
でも、備え、そして「直感」を研ぎ澄ませ、小さな自然の変化に気づき、優しさと強さで乗り越える、これを忘れずに行こうと私は個人的に思うのだ。

と同時に、「ソト」にいる自分もそれを忘れず、すぐに飛んでいける健康と強さを常に持ち続けようと改めて思う13年目。
また次の1年がやってきます。
がんばれ、東北。
強さを取り戻そう、ニッポン!





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