重度介護で学んだこと〜悩まない。考える。〜
父の介護をして自分が大きく成長できたことのひとつが「自身の悩みに対する対応」です。
もともと石橋を叩いて壊すよね
と言われたほど慎重派の私ですが、
今は悩むことはほぼありません。
それは
悩む=結局前に進んでない
作業になってしまっていたことに
気がついたからです。
父がALSと診断されて全介護必要になってから、
最初はよくひとりで泣いていました。
それは父がつらそうで、
変えられない現状を嘆いていたんだと思います。
でもある時、そんな自分を俯瞰して考えたら
この時間無意味だな、自分に目を向けすぎていたなと。
私が泣いても父のために何にもならないなぁと。
例えばどこかを怪我した時、
その傷口をたくさんいじって、もっと傷を開くことをする人なんてほとんどいないと思います。
すぐに消毒をして止血しようとなります。
これは精神面でも同じ。
悩んでもそこから進めないところで
傷をいじり続けるのは無意味だなぁと。
悩むことがでてきたら、
それを解決するためには何をしたら良いか考える方にシフトしようと決めました。
なぜこれが重度訪問の介護から学んだのかと言うと、父の病は現状を嘆いても、良くなるものではなかったからです。
かわいそうと思うだけでは
父のために何の助けにもならない。
それなら悩むより
父のためにできることは何なのか考え、
行動する時間に当てようと決めました。
それからは父を思って涙が出てきた時は、
父が困っていることをスマホのメモに書いて
それに対する解決案を考えていく時間にあてるようになりました。
父は数年前に天国へ旅立ちましたが、
悩んでる時間がないほど、父のためにできることを考えられたので、もちろん計り知れない寂しさはあったけど、やり残したことへの後悔は少ない状態で看取れたと思います。
ただこれほどやっても全く後悔のない看取りは
難しいということも痛感しました。
あのとき、できることを考える方に
シフトチェンジできて良かったと
心から感じました。
そしていまは、この経験から
幸せとはなにか
本当の意味で
わかった気がします。
自分の足で歩けて
ご飯が食べられて
かぞくがそばにいてくれる。
こんな日常がどれほど恵まれていて
しあわせなことか父が教えてくれました。
いまは朝起きて朝日を見るだけで
この上ない幸せを感じるし
以前は自分が疲れているとつい、
夫に勝手に期待をし、こうしてくれたらなぁと思ってしまっていたことも
自分が勝手に生み出している感情なんだと
知ることができたから、
より一層感謝できるようになりました。
喜びも怒りも悲しみも相手によって生み出されるものと思いがちですが、全て自分が生み出してるものだということも、本当の意味で理解することができました。
相手に求め、期待しだしたらキリがない。
でも自身で幸せを見つけていくこともキリがない。
だったら、どんなに小さなことでも
感謝してたくさん幸せを感じて
すごしたほうが人生がより彩り豊かに
なっていくと思います。
困難も自分を成長させてくれます。
その時は大変でも、乗り越えた時
自信となって自分に返ってきてくれます。
だから、今辛い人も希望を捨てないでほしいです。
とりとめない、ひとりごとのようなブログ
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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「人生の行く手には幸せと不幸が共にある。
幸せに満ちた時と慎むことを忘れず、
不幸でつらくとも勇気を持って…」
音大附属高校時代、シューマンについて調べ物の時に見つけたと恩師が手紙に書いて贈ってくださった言葉です。