The White Lounge
私は、何を見せられていたのだろう。
ぼーっとする頭のまま、エンドロールが終わってゆっくり灯りが戻ってきた館内にそのまま身体を預ける。なんだか今の感覚を誰にも奪われたくなくて、何も流さずイヤホンをつけ、家路につく。
映画館を出てからの街の雑踏でさえ、映画の一幕のように感じる。
言葉にならない感情だらけ、noteの形になれたのはほんの一部
あとは私だけの小さくずっしりとしたお守りに。
" The White Lounge "
息を飲む瞬間しかなかった。
あまりにも、さらけ出されているように思えた。
大森元貴の人生、哲学そのもの、にも見えたし
それと同時に私自身の姿をも見せられていたように感じた。
よかったら予告映像を見てみてほしい。
ただのライブ映像とは大違いだから。
大森元貴も、やっぱりあまりに人間であるように見えた。
きっと、間違いなく。泥臭くて滑稽な、一人の人間だった。
誰もが隠してしまいたくなるような深い孤独も痛みも、自身への疑念も怒りも。すべてがあまりに鮮烈に、痛いほどに激しく、突き刺すように冷たく、そこに在った。
ただただ、圧倒されるしかなかった。涙が、勝手に流れ落ちていく。
希望を歌う唄なのにつらくてたまらなかったり
孤独を叫ぶ唄に切り裂かれながらもちょっと救われたり
普通のライブでも感じる感覚だけど、ホワンジの場合は歌唱だけにとどまらない世界観が全身に訴えかけてくる。こればかりは映画本編を観ないと伝わらない感覚になるのかもしれない。迫力が、ただただすごかった。
唯一ミセスの音楽に対してだけは正直にいられたときの私は、きっと間違っていなかったんだな、と思った。
それにしても、あまりにも私に突き刺さるクリエイティブしかなかった。
私がジャズダンスに一目惚れして始めたのも、上映中何度も納得がいった。私がやりたかったのは、まさにこんな世界観の一部になることだったんだ。そりゃこれだけ惹かれるわけだ。
なにより。
目まぐるしく変化する毎日に不安と焦りがこびりついて離れない今。
それでも私が私でいること、
私が、人間でいることを許せた、
そんな気がしたのが、そうちょっとだけ思えたのが嬉しかった。
見ることができて、本当によかった。