本音を言わないと健康にならない
意外と、本音を言えずに来たのが、私たち日本人なのではないか?と思う。
子どもの頃から、親や先生の意にそぐわない事を言おうものなら、否定されてきた人も多いのではないだろうか?
そうなると、会話もごくごくありふれた、天気の話から始まって・・・という薄っぺらい会話を次から次へと出せる人が話し上手ということになっていく。
ただ、それは、本当に人と分かち合いたい話なのか?ということにもなる。
なぜ、そんなことが起きてしまうのか?を考えてみたい。
◆建前と本音
人には、なんでも思った通りに言いたい「本音」の部分と、
自分をかっこよく見せたい、良く思われたい「建前」の部分がある。
建前は、役割・ステータスなど、一定の水準を上回っているように、振る舞うこと。
作り笑顔も、一種の建前になるでしょう。
建前があることで、作り笑顔など、「感じの良い人」という演出をするのには、必要になってくる。
人は誰しも、嫌われたくないと思うし、嫌っているということを見せることも好ましくないと思っている。
だから、建前で振る舞うことは、人間関係をスムーズにするものにもなりうる。
そう、人間関係を良好に保つために、時として建前を発動するのだ。
◆建前でい続けることの弊害
しかし、建前を続けることにも、弊害はある。
それは、一定以上の関係性を築くのには適してないということ。
仲良くなりたい、もっと、深いことを分かち合いたいと思うとき、建前は邪魔になってくる。
また、建前でいるということは、その背景には、「本音」が見え隠れするということに他ならない。
常に、ハートの心理(本音)と、頭で理解する心理(建前)の2つの思考が存在し続けるということは、その乖離をどこかで解消していかないと、自分自身の中で重苦しいものになってしまう。
◆本音と健康
個人的に、本音というのは、「本当の音」偽りのない音(波動)だと思ってます。
音に気持ちの良い音(和音)があるのと同時に、不協和音という不快な音も存在する。
本音と建て前では、不協和音を生じてしまうと思うのです。
不快な音を聞き続けてたら、人はどうなるでしょう?
そんな実験は、しなくとも、普段の生活の中に実感することはあるのではないでしょうか?
「聞きたくない」のに「聞かされる」状況というのは精神的にもよろしくないですよね。
なので、ホンのちょこっとの時間のために、建前を発動するのは、アリだとしても、ずっと続けるものではないのは、わかりますよね?
◆本音を伝える訓練をするところ
本来であれば、本音を伝える環境として最適なのは「家庭」だとは思います。
しかし、その家庭も、だんだんと関係性が希薄になっていったり、また人数が少ないがゆえに、その家庭内で心を開ける人がいなかったりすると、なかなか難しくなってきます。
一昔前の、大家族であれば、親と仲が良くなくても、おじいちゃん・おばあちゃんが、数少ない本音を打ち明けられる相手として、存在することも可能だったと思うのですが、今は、家族が「分離」しがちな中では、それすらも難しくなってきています。
次に、学校やお友達などの小さなコミュニティを通じて、そういった気の合う関係の人が見つかればいいですが、それすら、「小さなコミュニティ」なわけで、そこで「気の合う」人がいないと、また、孤独や自分の思いを伝える事もできないまま過ごしていってしまうことになるわけです。
大人になれば、社会人となって、入る会社の中で、見つかればいいですが、最後には、会社外のコミュニティなどで、自分の居場所を見つける感じになっていくことでしょう。
ただ、幸い、現代では、インターネットが普及して、私が子供の頃よりは、いろんな情報、いろんな環境に触れることができるのが、ありがたいことですね。
◆感じることを言う「感話のススメ」
人に話すとき、本音が言えない人の根底にあるのは、
「自分の話は、聞いてもらう価値がないのではないか?」という、自己肯定感の低さから来るものでしょう。
これは、私自身にも時々襲ってくる、とてつもない、≪強敵≫です(苦笑)
これだけ、文章を書いておいて何を言うのか?と思うでしょうが、決して、話すのが、うまいわけではないので、書く方に走っているというのが、正直なところでしょう。
大事なことは、どんな話をしても、否定されることのない環境というのも大事ですが、どんなに年端のいかない人でも、聞いてもらえる話があるのです。
それが、「感話」と呼ばれるもので、≪あなた自身が、感じたことを話す≫という点がキーポイントです。
知っていることを教えるというのは、常に相手より、何かを知っていないといけないですし、その相手が年配だったり、その道の専門家だったりすると、そんな人相手に、自分は何が話せるだろう?と思ってしまうでしょう。
でも、「感じること」を話すのは、いくつからでもできること。
そして、「感性」というのは、人それぞれであり、それこそが、個性なのです。だから、年端のいかない子供でも、綺麗なものを見て「あれ、綺麗」と言えることも、立派な感話なのです。
しかし、いくら感話が、何歳からでもできるとはいえ、感話の中身は、充実させていきたいものです。
◆心の鎧をつけるということ
さて、建前で話す癖がついている人の傾向として、「心の鎧を付けている」ことがあるでしょう。
この鎧があることで、自分自身が強気に振る舞えるというのもあるでしょう。
また、社会でいろんな人と渡り合えるときにも必要なことなのかもしれません。
そう。これまで生きていくのに、あなたを守っていてくれたもの。
ただ、これは、いつまでも纏うものではない。
いつかは、その鎧を脱ぐ時が来る。
心配しないで、その鎧を脱げるようになった先は、もっと素敵な世界になるはずだから。
◆すべての人に本音である必要はない
さて、建前という鎧を脱ぎ捨て、本音で話す決意ができたとして、最初に言っておこうと思います。
全ての人が、あなたに合うわけではないです。
むしろ、合わない人の方が多いかもしれません。
そりゃ、そうですよね。これまで、気の合う人を探す方が難しかったわけですから。
それは、建前でいることが当たり前すぎて、本音で話す相手ではなかった可能性もあります。
でも、それ以上に、本音で話したとしても、そもそも、分かり合えない可能性あります。
だから、自分の本音を言う相手は慎重に選んでいって、探していってください。
大事なのは、「否定されない関係性」であること。
中には、そういう関係性でいましょうと、環境を作っているところもあります。
いわゆる、「(精神的)安心安全の場」ですね。
そういった環境が用意されているところで、発言していくことも、本音を出しやすい自分になる良いステップとなることでしょう。
◆自分自身に嘘をつかないことが自分らしくいることの第一歩
全ての人に、本音を話す必要はない。
でも、絶対に外してはいけない相手がいます。
それは、自分自身です。
意外かもしれませんが、案外、人は自分自身に対しても、嘘をつくことがあるのです。
「自分は〇〇したいのに、人にこう言われたから」という感じで、自分の気持ち・感情・感じていることを蓋してしまう。
一番良いのは、ノートなどを用意して、自分にだけに宛てた、自分の気持ち、感じたことを書くということですね。
書き方に特にルールはないですが、とにかく、感じていることを書いていくこと。
先ほどの、「自分は〇〇したいのに、人にこう言われたから」と書いたら、こう言われて、自分はまだ自信がないから、この人の言うことは正しいのかな?と思う。でも、しっくりこない。〇〇したいことは悪いことなのだろうか?と、
自分に話しかけるように、書いてみてください。
ある意味、一人チャット状態です。
でも、この一人チャットが、自分自身の本音を吐き出すのに、かなり有効なのです。
これは、心理学でいうところの、エンプティチェアの効果があります。
エンプティチェアについては、ここでは、説明は割愛しますので、気になる方は、検索してみてくださいね。(話の流れ上、重要ではない&下手な説明を加えない方が良いと判断したためです。決して、説明の放棄はありませんので、そこのところはご理解ください)
普段の生活では、この一人チャットも落ち着いてできてないことも多いのではないでしょうか?
そうなると、自分の頭の中も建前の方が、大部分を占めてしまいます。
自分の本音は、粛々と自分自身の言葉を書き連ねるところから、だんだんと内から湧いてきます。
こればかりは、やってみての実感となると思います。
なので、実際にやってみてくださいね。
あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。
今回も記事をお読みいただきありがとうございました。
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