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まだやってる?本音と建て前のある生き方

こんにちは。
心理学出身の傾聴もできる夢かなコーチ、つっちーです。
いつも読んでくださる方も、初めましての方も、読みに来てくださりありがとうございます。
普段は、こうやってブログを書いたり、100の願望リストのワークショップをやったりして、クライアントさんの夢実現、現実創造のお手伝いをしております。
最近では、100の願望リストWSに参加するだけでも、夢が叶ったよ、いろいろ変化が起きたよ、という口コミをいただくまでになりました。

今回のタイトルにある、
「まだやってる?本音と建前のある生き方」なんですが、私個人としては、親世代が、非常に建前が強い人でして、いかに、世間から見て恥ずかしくないか、そういうことを繕っている人間だったな~と思います。
見た目立派に見えるとか、きちんとしていると、外面は良かったと思います。

私が小さい頃から住んでた地域って、個別名称を言うと、
「え!?」と驚かれるぐらいの高級住宅地で、大人になってからは、なるべく、「〇区です」程度にぼやかして、自己紹介してたんです。

別に言っても良いんですが、その瞬間、相手の頭の中に、なんか、違うバイアスが掛っているのが、目に見えてわかるんです。
(※バイアスが掛るとは、「偏見」とか「先入観」という意味です)
もちろん、逆に貧困層とかではないので、良い方のバイアスだから、遠慮なく言っても良いのでしょうが、私にとって、「ありのままに見てもらえない」ことの方が、問題に感じてたんですね。

両親としては、特に父親にとっては、ステータスの方が実利よりも、大事にしているから、「私は、〇〇に住んでいて、仕事は○○で・・」と言えるのが嬉しかったんでしょうね。

つまり・・・何が言いたいかというと、
「本音と建前の乖離がある生き方って、昭和な生き方だな」って、思っているところがあったんです。

私の年齢になると、昭和、平成、令和と3世代またがってきている訳で、時代を経るごとに、いかに「自分らしくあるか」とか、「本音・本心に繋がること」の大事さが浸透していっている氣がしてたんですね。

でも、私のクライアントさんも、そうですが、
「こんなに、本音とか本心を、家庭内や外でべらべら話すことできないですよ」ということを言われることもあり、

「あれ?思ったより、まだ、みんな、本音と建前を使い分けているコミュニケーションが多いの?」と思ったんですね。

私としては、一世代前のコミュニケーションだと思ってたので、親世代で、そういう会話になるならともかく、同世代や、その下の世代でも、「本音と建て前は使い分けるもの」という意識が強く残っているのかも?と、思ったんです。

そもそも、使い分けている実感もないかもしれないです。
違和感がなければ、それがおかしいとも思わない訳ですから。

あまりにも、私が仙人ボケしているのかもしれませんが、別に山にこもっている氣はしてませんでしたが、やはり、もう都会的な生き方は、かなり厳しいな~と思っているところがあったので、
「あらあら、里の人たちは大変だね?」なんて、言ってしまいそうです。

本音と建て前がある生き方が、どのような影響を及ぼすのか、深ぼっていきましょう


◆建前があることで、自分自身に素直になれない

他人に対して、建て前で接するということは、本当の自分自身に対しても、本音がわからず、自分がどうしたいのか?が素直に出てこれなくなってしまいます。

これが、他人軸で生きて、自分の軸を見失った状態と言えるでしょう。

私たちは、幸せになりたい、成功したいと思って生きている
それには、大勢の他者から認められる、承認・賞賛されることが良いのでは?と勘違いする人も多いでしょう。

もちろん、芸能界やスポーツ選手など、テレビに出たりして、派手な世界で生きている人は、高収入を得ていたりすることでしょう。

一方で、芸能界やスポーツ界で活躍していても、プライベートが守られないということで、芸能界やスポーツ界を去っていく人もいます。

特に一世を風靡した女優さんやアイドルタレントが、家庭に入り、普通の主婦、普通のお母さんになっていく人もいます。
要は、建前や芸能界のように【魅せる】世界にいることが快感の人もいれば、一定のところまでは、求められたことはきちんとやるけれど、氣持ち、本音としては、当たり前の穏やかな生活が欲しい、自分の小さな幸せを守りたいという思いが強くなる人に分かれるのでしょう。

人は、どんなに他人から承認・賞賛されようとも、自分自身がそれを受け止めなければ、ただの外野からの黄色い声にしか感じられないのです。

逆に、その黄色い声が、自分を満たしてくれるものと思ってしまったとき、自分自身の本当の声、本音を聞く力を見失ってしまうのです。

承認・賞賛が得られているうちは良いでしょう。
でも、何かの拍子で、「私って、人から認められてないのかも、愛されてないのかも?」と思ったら、途端に、自分の中の【無価値観】が湧いてきてしまいます。

でも、「私って、認められてない?愛されてない?」と思うのは、エゴキンマンの声が発動してしまっています。
「お前には価値がない、私には価値がない」
そんな声に支配されると、途端に人は力を失っていきます。

ただ、そういう時こそ、心の中の小さな自分に
「(私が)愛してなくてごめんね、本当はどうしたいのかな?どんなふうに感じているのかな?」と聞くチャンスでもあります。

本音の自分は、本当に小さいんです。
小さい声で呟いているんです。

それを、外の声の方が大きいから、無視してしまうんです。

建前でいきるというのは、本音の自分の声を聞くより、他者の大きい声を優先してしまうから、建前が生まれるんです。

◆本音と建て前をうまく使っているつもりでも

もちろん、建前をうまく使ってこそ、人とのコミュニケーションが円滑にできる部分はあります。

例えば、集団の人との会話の中で、段々と自分に興味のない話題になってきた時に、
「ちょっと、用事があるので、失礼しますね」と言って、集団の会話から抜けることは、ちょっとした建前の氣遣いだと思います。

あからさまに、
「その話題は氣に入らないから、もう、抜けるね」と言ったら、相手をカチンとさせてしまうことでしょう。

ただ、自分の心の中で、
「あぁ、この話題で会話するのは嫌だな」と感じていることは、きちんと受け止めてあげる。

今は、【自分を愛してあげましょう】と言うけれど、これを100%完璧にやっている人は少ないと思うんです。

私自身、「会話は全力で聞く」姿勢ですし
(逆に、全力でないと聞けないというのもある。聴力などの問題で)
人の悪口大会が始まったときに、
「人の悪口言うなら、もう帰ります!」って言いたいけれど、(波風経つし、早く終わってくれないかなぁ)と思いながら、ズルズルと話を聞いてしまったりして、帰るときには、

(こういう時は、「そういう悪口とか、言うなら帰ります!」って言うのが、自分を愛してるってことになるのかなぁ。そこまで勇氣の出ないヘタレな自分もいるしなぁ。ただ、次からは、お誘いに乗りにくくなっちゃったな)と思いながら帰る自分がいました。

本音と建て前を使い分けているつもりでも、段々と本音は隠せなくなってきてしまいます。
まぁ、建て前を使ってまで付き合いたい相手と居続けるメリットは、私にはあまりないので、自然と関係性は薄くなっていきます。

これが、利害関係があると(例えば、会社の上司と部下の関係など)上司からの誘いは断りにくかったり、お客様からの頼み事は断れなかったり、することがあると思います。
そういう時は、自分の本音を理解しつつ、建前を発動させる。

ただ、中には、建前で接してくるのを、「都合のいい人」認定して、図に乗ってくる人もいるでしょう。
そういう時は、「都合のいい人認定」を外すべく、本音をぶつけて、お断りする。

一番、最悪なのは、建前を重視するあまりに、自分の心の声を無視してしまうこと。
これが、実は、「モヤモヤ」とか「違和感」という形で残ってしまうのです。

そして、モヤモヤや違和感を感じつつも、それが何なのか?というのを、自分の心の声、本音と対話してないから、「おかしいな」「おかしいな」と思いながら、現実を生きてしまいます。

◆本音で話せる相手を作る

これは、一番いいのは、自分自身が本音を話す、話し相手になってあげることです。

でも、これまで、建前だとか、人とうまくやっていくように、という価値観で生きてきた人には、ジャーナリング(日記のように自分の氣持ち、感情をノートに書く作業)をしていても、本音がわかりにくいです。
ただ、現状に対する、なぜ?なぜ?がグルグルするだけ。

今でこそ、
「安心、安全な場づくり」という表現が、あちこちで、チラホラと聞けるようになりましたが、私が社会人になるまでは、そんな場がある実感もなかったです。

私自身、人に傾聴してもらった体験が、カウンセリングを勉強している際に、一緒に勉強していたカウンセリング仲間との練習場面です。

技術的には、全員つたなかったと思うけれど、それでも、
「こんなにも、言いたいことを全部聞いてもらえるって、心地良いんだ!?」と感じたところがスタートです。
それまでは、本音って、お酒を飲まないと出せないものだと思ってたぐらい。

今では、「お酒を飲むより傾聴」という感じで、お酒を飲む必要がなくなりました。
なんなら、「お酒、美味しいのそれ?」ぐらいの感覚にまで、変わりました。

だから、たまーに、「お酒飲まないとやってられない」とか、
「お酒飲むのが何よりの楽しみ」という発言って、
私からすると、
「そんなに、お酒に頼らないと、解放できない?」と思ってしまうんですね。

もちろん、飲み物としての美味しいお酒というのはあるでしょう。
お酒を作っているところやお酒を飲むことを批判するものではないです。

ただ、どうしても、お酒を飲んだ相手との会話で、あとで、
「あの時、こういう会話したよね」ということを言っても、
「え?覚えてない」というのが多くて、なんか、お酒の席の会話って、無かったことにされちゃうんだな・・・という悲しさを感じたことがあります。

だからこそ、お酒の力抜きで、本音で話せる機会や、話せる相手を作るのって、結構大事なんです。

◆建前で行き詰まったときに

建前で生きてきた人が、何かの拍子で行き詰まったときに、
「自分って存在価値ないんだ」とか、
「もう、どうやって生きていったらいいかわからない」とか、
「生きてても仕方ない」という風になりがちです。

これは、「答えは自分の外にある」という価値観から来るものだからです。
答えが外にあるからと思うからこそ、他人の目を氣にして、建前で、感じよく振る舞う訳ですし、自分の心を偽る訳です。

これが、「答えは自分の内側にある」という価値観であれば、自分との対話を増やして、
「自分はどうしたいんだっけ?」
「自分はどうしたら、心地よく感じられるんだっけ?」
「大きな成功よりも、小さな幸せを感じられる自分でいよう」と、自分の感じていること、氣持ち、感覚、そういったものを、大事にしようとします。

誰かに好かれようと考えるのではなく、自分に好かれようと考える
もちろん、世の中は社会性も必要ですから、自分に好かれようとして、人の嫌がることをすることを薦めるわけではありません。

誰かに好かれるためのピンヒールは履けないけれど、自分も他人も見ていて嫌悪感を抱かない程度の清潔感のあるスニーカーのような恰好は、大事かなと思います。

そういう意味でも、建前と本音、他者を大事にすることと自分をも大事にすること、その乖離が少ない生き方を目指すのが、ストレスの少ない生き方だと思います。

健康に氣をつけるって、何も美容健康だけではなくて、心のストレスをいかに軽減させてあげるか?というのも、重要だと思うのです。

ただ、ノーストレスというのは、実は理想的ではなくて、適度な軽微なストレスは実は有効なんです。
スポーツでもなんでも、少し頑張ったと感じる程度が一番心地が良いのです。
ストレスというのは、「負荷・圧力」という意味なので、良い意味の負荷もあるからです。

ダラ~っと座っている人より、背筋伸ばしてピシッと座っている人の方が魅力的に見えるのと同じですね。

◆建前で生きるようになってしまったのは

そもそも、人は、なぜ建前で生きるようになってしまったのか?ということに関しては、「親からの愛を得たくて必死だった頃の名残」と言ったらいいでしょうか。

私たちは、赤ちゃんから子どもの頃は、親から愛情をもらえないと生きていけません。
だから、親の顔色や表情を伺ったり、親の望むことは何だろう?と氣にして、自分の感情・氣持ちよりも、「親にどうやったら氣に入ってもらえるか?」というところから、始まっていると思ってください。

そのうち、成熟してくると、親からの愛や、他人からの愛をもらうというより、自分で自分を満たすということを知れば、自然と建て前での振る舞いというのは、必要無くなっていきます。

でも、そこに氣づかないと、対象を親から、友人、恋人、社会へと形を変えて、承認・賞賛を得ようとして、建前での振る舞いが増えていってしまいます。

だから、カウンセリングやスピリチュアルでも、インナーチャイルドを癒しましょうとか、親との関係性を癒しましょうという話になるのです。

ただ、根本は、私たちは、生まれたときから、
【宇宙から、大いなる源からエネルギー(愛)が注がれている存在】ということを、思い出すことなんですね。

最近、知ったのですが、【呼吸】は、宇宙との繋がりを表す物なんですね。
だから、宇宙からの繋がりが切れたとき、肉体としての死を迎えたとき、呼吸が止まるのは、宇宙からの愛が肉体に注がれなくなったということらしいです。

つまり、今朝も目が覚めて呼吸している私たちは、
【大いなる源から、愛(呼吸)が今日も与えられている存在】なのです。
それを知れば、他者からの愛を求めて、自分を偽ることなんていうことも、しなくて済むのです。

なので、深呼吸して、宇宙からの愛を感じてみましょう。
今日もあなたは愛されています。

あなたの人生のヒントになれば、幸いです。
あなたの人生が良くなるよう、心から応援しています。

今回も記事をお読みいただきありがとうございました。

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(最近は、口コミで伝えてくださる方がいて、感謝です)
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※文中、常用漢字の「気」を「氣」と表現していますが、
「氣」は、氣が広がる、エネルギーを増幅の意味で、
「気」は、気が締まる、エネルギーが閉塞する意味合いだと認識しています。そのため「氣」の漢字を多用しています。

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つっちー/土坂有加 (心理学出身の傾聴もできる夢かなコーチ)
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