
情緒級の「情緒」について
昨日書いた
特別支援学級について
で、書きそびれてしまいましたが
ASDやADHDなどの、いわゆる「情緒障がい」と診断される子は
居場所がない問題も抱えています。
地域によっては、情緒級がなくて
インクルーシブ教育をうたっているところもあります。
実際には、インクルーシブではなく
単に通常級+通級で対応しましょう
としているだけです。
これも、本当にケースバイケースで
凸凹のタイプが、通級でカバーできる子もいれば
難しい子もいるので、私は
うたい文句だけ綺麗に「インクルーシブ」と言って
現実、何も対処していないことが
今の、不登校の多さにつながっていると感じています。
実際、うちの子ももし、情緒級に転校できないなら
フリースクール使いながら、ホームスクーリングする覚悟でいました。
東久留米の小学校に情緒級があったから
たまたま、転校できただけです。
それでも、昨日書いたように
情緒級に所属すれば安泰、でもありません。
転校の時には先生方が
「特別支援学級に行くのがお子さんのためです」
と話すけれど、実際のところは
特別支援学級も、発達のプロがいてくれるわけではないので
保護者が勉強して、自分たちの手でトータルで
子どもを見ていけるようにするしかないのだ
と感じています。
さて、その中で
情緒級における
「情緒の問題」
とは何か?について書いてみます。
定義としては
・自閉症又はそれに類するもので,他人との意思疎通及び対人関係の形成が困難である程度のもの
・主として心理的な要因による選択性かん黙等があるもので,社会生活への適応が困難である程度のもの
うちの子の場合はADHDで、情緒の浮き沈みが激しく
波が大きいので、学校生活に支障がある、ということで
情緒級への転校となりました。
実は私自身は、次男が発達障がいではないか?
と思った時に、別の角度から
「愛着障害の可能性もある」
と思っていました。
愛着障害も、発達障がいも
顕れてくる状態は、似ています。
私の愛着形成に問題があって
次男が情緒不安定になっているのであれば
改善できるし、そうでないのなら
発達のやり残しや、脳の機能のことなので
困難は続いていくだろうと思っていました。
実際にはそうではありませんでした。
愛着のやり残しもあったけど
それが原因ではなかったです。
取り組んだことで、次男が落ち着いたのと
自分が楽になったので、やってよかったです。
今も困難はいくつもありますが
本人なりに成長しているし
療育整体のおかげで、今までの苦手も
少し克服されつつあります。
ただ、WISKのコメントにもハッキリ出ていましたが
言語で理解できているように感じられても
実際には理解できていないので
やはり、個別対応が必要なのです。
そうなると、中学校で通常級での学びをするには
かなり難しいと判断しました。
ここまで書いてきて何度も
「ケースバイケース」
と言っていますが、
学年があがってきて、落ち着くと
情緒級から通常級に転籍する子も
多いので、情緒級に関しては本当に
「お子さんによる」
のも大きいと感じます。
うちの場合は診断がADHDのみだったので
学年があがれば落ち着く可能性がある
ということで、情緒級を勧められたのも
あると思います。
また、WISK-Ⅳの結果で
境界知能に近いけれど、知的ではないと
Drからもコメントがあったため
凸凹は大きいが、情緒級に所属するタイプの子、
ということになります。
では、情緒の問題とは
具体的にどんなものがあるのでしょうか?
・特別支援教育における「情緒障害」に当てはまる症状
『教育支援資料』では教育の場で用いられる情緒障害にあてはまる症状の具体例として、場面緘黙をはじめ、そのほか、集団行動・社会的行動をしない、ひきこもり、不登校、指しゃぶりや爪かみなどの癖、常同行動、離席、反社会的行動、性的逸脱行動、自傷行為をあげています。
うちの子の場合は、通常級にいた時に
離席、性的逸脱行動、集団行動をしない
に当てはまったため、情緒級への転校を決めました。
そして、情緒級ではこれらはすっかりなくなり
交流で通常級に行っている時は
ちゃんと流れに乗れています。
ただ、本人が「通常級はなじめない、疲れる」
と言うので、やはり少人数で
集団指示ではなく、個別対応で
本人に合った指導があるところでないと
難しいのだと思います。
なので、うちの場合は情緒級の選択は
ベストだったと思います。
しかし。
これは、学校の仕組み上の問題ですが
なぜ、1対35の一斉教育を
未だに続けているのでしょう?
情緒か、情緒でないか
それ以前に
不登校も増えているのは
この「仕組み」が昭和のまま
が問題ではないかと感じます。
一斉授業だと、全員にわかるようにするには
合理的配慮含めて
多様な子どもたちが理解しやすいように
する必要があります。
でも、それはとても難しいです。
流れに乗れない子が
「情緒障害」と名付けられ
一斉授業についていけていない
というのも、あると思います。
特に小学校は、教科担任制ではないので
長男が言うには
「担任がイマイチだと、勉強が実につまらん」
「中学校はしんどかったけど、勉強が面白かった。
教科担任なので、授業は楽しかった」
だそうです。
確かに、これは私も常々感じていて
本質的には
「リアルに集って学ぶ意義は何か?」
について、先生なりの答えがないと
「勉強なら今どき、YouTubeで有名予備校の先生が
楽しい授業配信してるし
そっちの方が分かる」
といわれたら、納得できる話ができないのですよね。
これは発達障がいだけのことではないですら、
小学校の学びは、学習以外の目的もあるはず。
私が感じるのは、非言語コミュニケーションの領域は
リアルでないと、なかなか難しいと思います。
それは、体感だから。
療育整体に感動したのも
体感を育てていくことだからでした。
次男といろんなことに取り組んできて
情緒の問題は、身体と連動していると思います。
ですので、療育整体で手技だけ一生懸命やっても
それだけではないのです。
松島先生も、いろんなもののトータルだとおっしゃいます。
例えばかんしゃくは
東洋医学では、肝の問題です。
肝は、肝臓のことではなく
肝臓を含む、肝です。
血を宿す、情緒や自律神経を司ります。
かんしゃくのお手当があります。
それをすると、身体が育ち、結果としてかんしゃくが少なくなります。
自分もやってみましたが
怒れなくなる…!
と体感しました。
いわゆる「障害」だと
改善は難しいですが
このように、身体からアプローチして
軽減はできます。
こういった、非言語コミュニケーションの大事さは
もちろん学校の先生方もご存知だと思います。
けれども
今のカリキュラムが、学習に偏っているように思えます。
それは、小学校の問題だけでなく
長男の大学受験で痛感しましたが
小学校が大学受験とつながっているので
今の仕組みになっているんですよね。
時々、情緒級の学校公開で
この子たちの何が問題なんだろう?
と感じる時があります。
定型発達の
「◯歳ではこれができるようになります」
が、一斉授業だとできない。
けれども、少人数なら、一生懸命やる。
苦手が多く、落ち着かないところもあるから
問題ない!とは言えないけど
それは、本人の抱えている困難だと思うのです。
うちの次男は真面目すぎるところもあって
通常級との音楽で、できなければその場にいるだけで
十分だから、笛吹いてるふりでいいよ。
と、先生方も私や夫も言うけど
できない自分が嫌なんだそうです。
それを「こだわり」という障がいと見なすこともできるけど
私は、頑張りたい気持ちはあって
でも不器用だからできない
もどかしさが、本人つらいのだと思います。
今回、中学校進学で
最終的に星槎学園に決めたのは
「障がい」と見なすのでなく
どのような支援が必要か?を
先生方が考えて下さるからです。
それには保護者の参加も必須で
双方向で、次男を支えていきます。
本来の「学び」があると感じました。
「情緒」という枠に、次男をはめ込まず
しかし、本人の困難に寄り添い
どうしたらできるか、やってみたいかを考える
仲間、チームになれるのが嬉しいです。
以前から先生方も、常に評価される
「当たり外れ」
つい私も思ってしまいますが
これも、きついなと感じていました。
家族と学校が、手を取り合い
子どもの成長に向き合える
星槎で、それにトライできたらと思います。
「情緒」って何だろうね
と、話しながら。