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労働量の削減は、付加価値を高める以上の確実な生産性向上を齎す

松下幸之助 一日一話
12月24日 時を尊ぶ心

以前、ある床屋さんに行ったとき、サービスだということで、いつもなら1時間で終わるサンパツを、その日は1時間10分かけてやってくれた。つまり、床屋さんはサービスだということで10分間も多く手間をかけてくれたというわけである。そこで私は、サンパツが仕上がってから冗談まじりにこう言った。

「君がサービスしようという気持は非常に結構だと思う。しかし、念入りにやるから10分間余分にかかるということであっては、忙しい人にとって困るようなことになりはしないか。もし君が、念入りに、しかも時間も50分でやるというのであれば、これはほんとうに立派なサービスだと思うのだが……」

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

「時を尊ぶ心」について考える前に、そもそも「サービス」とは何なのでしょうか。松下翁は「サービスする心」について著書「道をひらく」(1968)にて以下のように述べています。

 与え与えられるのが、この世の理法である。すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。これで世の中は成り立っている。

 だから、多く受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。

 与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするということである。自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は商売で……。

 どんな人にでも、探し出してくれば、その人だけに与えられている尊い天分というものがある。その天分で、世の中にサービスをすればよいのである。サービスのいい社会は、みんなが多く与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。

 おたがいに繁栄の社会を生み出すために、自分の持てるもので、精いっぱいのサービスをしあいたいものである。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

つまりは、「サービス」とは、お互いに与え合うことで社会が繁栄していく、自分が世に「与えた」ものに相応しいものを世の中から「受け取る」ことになるという道理のかなった法則を理解した上で、自分だけに与えられた天分を通して、持てるものを世の中に「与える」ことであるということなのでしょう。

仮に、あなたが床屋さんならば散髪する技術や知識を世の中に与えることが「サービス」であり、世の中に与える技術や知識を更に高めるということが「サービスを高める」ということになります。では「サービスを高める」ためには、どのような努力が必要になるのでしょうか。このことについて、松下翁は以下のように述べています。

 額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。東海道五十三次も徒歩から駕籠ヘ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。

 人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。

 それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

一方では、人よりも1時間多く働くということは、労働量を増やす努力や勤勉さの現れであり、額に汗をかく尊いことであると言えるのでしょう。他方で、1時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげるということは、「生産性」を高めるということであり、それもまた尊いことであると言えるのでしょう。

「生産性」の式は、

「生産性=付加価値/労働量」

と表すことができます。「生産性」を上げるには、「労働量」を減らし「付加価値」を高めることが必要になります。「労働量」は労働時間とイコールとしてもいいものです。更に「付加価値」を高めるためには、工夫や創意が必要になります。

上記の1時間多く働くケースでは、分母の「労働量」を増やすことになりますので、同時に分子の「付加価値」を高める努力をしませんと、「生産性」を維持するとこかかえって下げることになってしまいます。他方で、1時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげるケースでは、分母の「労働量」を減らすことになりますので「付加価値」が変わらずとも、「生産性」を今まで以上に高めることが可能になります。

更に、松下翁は、生産性を高める式の分母である「労働量(労働時間)」を減らすことの根拠について、変化の激しさが加速していく時代背景を理由に以下のように述べています。

…さて私の行き方、考え方は、つねに先へ先へと行く。…

一歩といえばなんでもないようであるが、仕事の上などで他の会社をみても、それぞれ全力を注いでいるから、この一歩がなかなかむつかしい。ちょっと油断すると、たちまち先をこされる。そして一歩が百歩となり、千歩とひらく。まことに一日として安閑としてはいられない気がするのである。それにつけても、仕事をよりいっそう迅速に運ばなければならぬと思う。特に仕事によっては時間がかかるものがある。

 しかし、ここで考えなければならぬことは、時間をかけなければよい仕事ができないとか、すばらしい発明が生れないという考えにとらわれることの危険さである。世の中の進歩がますます速くなっていく今日、ひと昔まえのテンポで仕事をすすめていては、せっかくのよい発明も日の目をみずに終ってしまうかもしれない。

 どういう仕事をやるにしても、われわれはスピードの時代であるということを、もっと自覚しなければならぬ。よい考えがあって、実行にうつしたらと考えているうちに、すぐ半年や一年はすぎてしまう。今日考えたことは、その日に実行してしまうこと、思いついたことはすぐ実行し実現するという考え方で仕事を運んでいかねばならない。そのために、常日ごろからそういう物の考え方なり事の運び方を訓練しておかねばならぬと思う。さもないと他の人に先をこされて、後れをとることになる。
(松下幸之助著「物の見方考え方」)

加えて、松下翁は、生産性を高める式の分子である「付加価値」には、デザインや技術力が含まれ重要ではありますが、これを優先することによって起こる弊害について以下のように述べています。

 今日、アメリカではデザインを売っている商品がいくらもある。日本ではデザインは売っていない。これまではデザインの価値をあまりみとめていなかった。売る方も買う方も、その価値を低くみていたわけだ。デザインというものは、いくら価値があるかといえば、電気器具などは毎日使うものだから、これによって美を感ずる、愉快になるということができれば、その価値は大きい。同じものだったら、誰でもデザインのいいものを取るのは当たり前だ。

 だからあらゆる器具、早くいえばネズミ取りというものは、今は売れるかどうか知らぬけれども、ネズミ取りにも、私はデザインを考えなければいけないと思う。デザインとは、それほど重要なものだ。まして毎日使うものとか、身につけるもの、手に持つものであったら、なおデザインは大切である。しかし、その半面近ごろでは反動的にデザインが重要視されすぎてきて、デザインからみて流行おくれというのができているわけだが、物というものは何でも行きすぎたらいけない。つまり進歩が速いのもよしあしだ。だから「経済速度」という言葉がある。飛行機でもどんどん飛ばしているけれども、みんな経済速度で飛んでいる。もっと速く飛ばせようとすれば速く飛ばせる。いま東京・大阪間を日航機は一時間四十分で飛んでいるけれども、
一時間二十分でも飛ばせるわけだ。そのかわり速くすれば燃料が多く要るから、経済速度にならない。このように何でも経済速度を考えてやっているわけだ。

 それと同じように一つの進歩の過程においても、経済速度、安定感という速度があって、それがあまり速く進みすぎると、それによって大きな計画ちがいが起る。経済発展にしても、あまり発展しすぎたら消化しきれなくなってしまう。栄養食でも、あんまり栄養食ばかりとっていると、栄養過多症になってしまう。適当に身につけてそしゃくすることができない。かえって腹をこわしたりする。

 お金儲けでも同じで、あまり儲けすぎてもいけない。その人間にふさわしく適当に儲けていくことが持続すればどんどんよくなってくるが、一時にあまりたくさん儲けた人間は失敗することが多いものだ。それと同じことで、世の中の進歩が速いというが、その速さも、適度でなければいけないと考えている。
(松下幸之助著「物の見方考え方」)

先ず、経済速度とは、「売上を極大に、経費を極小に」した巡航速度(安定速度)のことであるとも換言できます。この経済速度や安定速度にみるデザインギャップは、その要因の一つとして市場内における消費者ニーズとの関係性にあるとみることが可能であると言えます。具体的には、ジェフリー・ムーアの「キャズム理論」(2002)におけるテクノロジーライフサイクルが示すように、消費者はイノベター、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードと分けることが可能であり、最新の技術やデザインを即座に求める消費者は、市場内においてイノベターの2.5%やアーリーアダプターの13.5%しかいませんが、最新ではないが少し遅くとも安定した技術やデザインを求める消費者は、アーリーマジョリティ34%、レイトマジョリティ34%を合わせた「68%」もいる訳であり、この市場内における主要ゾーンをターゲットとすることが、経営戦略上は最も効果的に利益に繋げやすくなります。

そして、「数字、ファクト、ロジック」が求められる企業経営においては、定性的なデータよりも、定量的なデータを重視することで、社内のみならず取引先を含めた世の中の多くの人々から、納得や共感を得ることが可能になります。デザインや技術力によって構成される「付加価値」とは、定性的であり数字では表せない「質」に関する要素で構成されるため他者と同一尺度で共有することが難しくなります。他方で、定量的であり明確な数値やデータなどの「数字」として表せる「労働量」は他者と同一尺度による共有がしやすく、それらをコントロールすることで「生産性」を高めるアプローチは、経営者の判断や意思決定としては最善の選択であると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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