稲翁の論語
あしたのために! ~その1~「素読」
・暗記しようとせず、考えず、心にえぐりこむように音読を繰り返すべし。
あしたのために! ~その2~「反復」
・己に負けず、すかさず素読を繰り返すべし。
あしたのために! ~その3~「勢い」
・素読に始まり素読に終わる。勢いにのって素読を繰り返すべし。
あしたのために! ~その4~「7回」
・頭ではなく心から論語を吸収し血肉化するために、最低でも7回は繰り返すべし。意味など理解しなくてよい、ただ繰り返すべし!!
稲翁の論語(1)~(10)
稲翁の論語(1)
曾子(そうし)曰(いわ)く、士(し)は以(もっ)て弘毅(こうき)ならざるべからず。任(にん)重くして道遠し。仁(じん)以て己が任と為す。亦(また)重からずや。死して後(のち)已(や)む。亦遠からずや。(泰伯(たいはく))
曾子は言った。「道に志す者は、広い心と強い意思を持たねばならない。指導者の責任は重く、進む道は険しく遠いからだ。その重責を担うに当たっては、仁の心を根本に据えて望まねばならない。何と重いことではないか。しかもこの重責は死ぬまで続く。何とこの道の到達点は遠いことではないか」という意です。
稲翁の論語(2)
子(し)曰(いわ)く、其(そ)の為(な)す所(ところ)を視(み)、その由(よ)る所を観(み)、其の安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや。人焉んぞ廋さんや。 (為政(いせい))
孔子は言った。「その人の行動を見て、動機を見極め、目標を知れば、その人の<人となり>は隠そうとしても隠しきれないものだ。」と、いう意です。
稲翁の論語(3)
子曰く、富(ふ)と貴(き)とは、是(そ)れ人の欲する所なり。其(そ)の道を以(もっ)て之(これ)を得ざれば、処(お)らざるなり。貧(ひん)と賎(せん)とは、是れ人の悪(にく)む所な り。其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。君子は仁を去りて悪(いず)くにか名を成さん。君子は食を終うる間(あいだ)も、仁に違(たが)うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於(お)いてし、巓沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。(里仁(りじん))
孔子は言った。「財産と高い地位は万人が欲するものである。しかし、人として正しい道を歩んだ結果でなければ、一体何の価値があろうか。貧乏と低い地位とは万人が嫌うものである、しかしそれも、怠惰や下劣な人格でそうなったのでなければ、立派な人はそれも避けない。人の上に立つような立派な者は、食事をとるときも仁のことを考えている。つまり、予想しないことが起きて、躓いて倒れてしまっても仁を忘れることがない。これが立派な人である。」と、いう意です。
稲翁の論語(4)
子貢(しこう)曰く、我(われ)、人の諸(これ)を我に加えんことを欲せざるなり。吾(われ)もまた諸(これ)を人に加うることなからんと欲す。子曰く、賜(し)よ、爾(なんじ)の及ぶ所に非(あら)ざるなり。(公冶長(こうやちょう))
子貢が言った。「私は、他人から迷惑をかけられるのを好まないのと同じように、他人にも迷惑をかけたくありません」と。孔子は「賜(子貢の名前)よ、それは今のあなたには出過ぎた願いだ」と述べた、という意です。
稲翁の論語(5)
子曰わく、吾(わ)れ回(かい)と言うこと終日(しゅうじつ)、違(たが)わざること愚(ぐ)なるが如(ごと)し。退(しりぞ)きて其(そ)の私(し)を省(かえり)みれば、亦(また)以(も)って発(はっ)するに足(た)れり。回や愚ならず。(為政(いせい))
孔子は言った。「弟子の回(顔淵(がんえん)の名前)と終日にわたって話をしても、彼は私の言葉にまったく逆らうことがない。周りから見れば、回は愚か者だと見えるかもしれない。ところが、彼が私の部屋から出て一人になったときの様子を見ていると、私と話したことからヒントを得たと思える行動をとっている。回は決して愚か者ではない」と、いう意です。
稲翁の論語(6)
子路(しろ)、政(まつりごと)を問う。子曰く、これに先んじこれを労(ろう)す。益(えき)を請(こ)う。曰く、倦(う)むこと無かれ。(子路)
子路は政治の要諦を孔子に尋ねた。孔子は「何よりも自分が先頭に立って努力することだ。そして民をいたわることだ」と。子路はさらに「その先を教えてください」と頼んだ。すると孔子は「決してあきらめないで努力を続けることだ」と答えた、という意です。
稲翁の論語(7)
子曰く、「人にして信なくんば、其(そ)の可(か)なることを知らざるなり。大車(だいしゃ)輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)軏(げつ)なくんば、其れ何を以(もっ)てか之を行(や)らんや。(為政)
孔子は言った。「人として信頼がなければ何をやっても駄目だ。人として信頼がないということは、牛車に轅(ながえ)の横木がなく、馬車に轅の軛(くびき)止めがないのと同じで、どのようにして牛馬の首をおさえて車を動かすことができようか。」と、いう意です。
稲翁の論語(8)
季路(きろ)、鬼神(きしん)に事(つか)うる事を問う。子曰く、未(いま)だ人に事うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼(き)に事えん。曰く、敢(あ)えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。(先進)
弟子である季路が、死者の霊を慰める理由を孔子に尋ねた。孔子は、「生きている人間でさえ慰めることができないのに、どうして死者の霊が慰められようか」と答えた。さらに、死者について尋ねると、孔子は「生きることさえまだわからないのに、死ぬことが分かろうか」と戒めたと、いう意です。
稲翁の論語(9)
子曰く、参(しん)や、吾が道は一(いつ)以(もっ)てこれを貫けり。 曾子(そうし)曰く、唯(い)。子(し)出(い)ず。門人(もんじん)問いて曰く、何の謂(い)いぞやと。 曾子曰く、夫子(ふうし)の道は、忠恕(ちゅうじょ)のみ。(里仁(りじん))
孔子は言った。「参(曾子の名前)よ、私の道は一つのことで貫かれている」と。曾子は「その通りです」と答えた。孔子が帰ると、曾子の門人が「一つのこととは何ですか」と師に訊ねた。曾子は「先生の道は忠恕(まごころ)のみだ」と返したと、いう意です。
稲翁の論語(10)
子曰く、位(くらい)なきことを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己を知ること莫(な)きを患えず、知らるべきことを為すことを求むるなり。(里仁)
孔子は言った。「地位がないことを心配せず、その地位に立つべき理由を気にせよ。自分を認める人がいないのを気にかけず、人に認められるような行動ができるように努力せよ」と、いう意です。
稲翁の論語(11)~(20)
稲翁の論語(11)
子曰く、約(やく)を以(もっ)て之(これ)を失う者は鮮(すく)なし。(里仁)
孔子は言った。「心を引き締めて慎ましくすれば、失敗することは少ない」と、いう意です。
稲翁の論語(12)
子曰く、由(ゆう)よ、女(なんじ)にこれ知ることを誨(おし)えんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是(こ)れ知るなり。(為政)
孔子は言った。「由(子路)よ、おまえに知るということを教えようか。知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ」と、いう意です。
稲翁の論語(13)
子曰く、君子は諸(こ)れを己に求む。小人は諸れを人に求む。(衛霊公)
孔子は言った。「君子と呼ばれる人物は自己反省する。小人物は自分の責任など少しも考えないで他人を責める」と、いう意です。
稲翁の論語(14)
子夏(しか)、問うて曰く、「巧笑(こうしょう)倩(せん)たり、美目(びもく)盻(はん)たり、素(そ)以て絢(あや)となす」とは何の謂(い)いぞや。子曰く、絵事(かいじ)は素(そ)より後(のち)にす。曰く、礼は後なるか。子曰く、予(よ)を起こす者は商なり。始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。(八佾(はちいつ))
子夏が孔子に質問した。「巧笑倩たり、美目盻たり、素以て絢となす」という詩は、どういう意味でしょうか。孔子は「絵を描くときに白い胡粉(ごふん)で最後の仕上げをするようなものだ」と答えた。子夏は「礼は最後の仕上げというものでしょうか」と問うと孔子は「私を啓発してくれる者は商(子夏の名)だ。はじめて共に詩を語れるようになった」と言葉を返した、という意です。
稲翁の論語(15)
葉公(しょうこう)、孔子を子路に問う。子路対(こた)えず。子曰く、女(なんじ)奚(な)んぞ曰ざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂(うれ)いを忘れ、老いの将(まさ)に至らんとするを知らざるのみと。(述而(じゅつじ))
葉(しょう)の長官が「孔子はどんな人物か」子路に尋ねたが、子路は答えなかった。孔子は言った。「お前はどうして言わなかったのだ。興奮しては食事も忘れて仕事に打ち込み、面白いことに直面したら心配事も忘れて没頭する、やがて老いがやってくることにも気づかずにいる人間だ」と、いう意です。
稲翁の論語(16)
子曰く、吾れ嘗(かつ)て終日食らわず、終夜(しゅうや)寝(い)ねず、以て思う。益なし。学ぶに如(し)かざるなり。(衛霊公)
孔子は言った。「私はかつて食事もせずに徹夜で考えたことがあった。無駄だった。学ぶことには及ばない。」と、いう意です。
稲翁の論語(17)
顔淵(がんえん)、仁(じん)を問う。子曰く、己れを克(せ)めて礼(れい)に復(かえ)るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば天下仁に帰(き)す。仁を為すこと己れに由(よ)る。而(しか)して人に由らんや。(顔淵)
孔子の門人である顔淵が仁について尋ねた。孔子は「私欲に打ち勝って、社会的な規範に立ち戻ることが仁である。一日でもそれを実践できれば、世の中もその方向に変わっていくだろう。仁というのは、あくまでも自分の心構えが問題である。相手によって態度を変えるものではない」と答えた、という意です。
稲翁の論語(18)
子曰く、賢(けん)を見ては齊(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内にみずから省(かえり)みる。(里仁)
孔子は言った。「賢人を見れば自分も同じような優れた人物になろうと努力をし、つまらない人間を見れば自分にも同じような欠点がないかみずから反省すべきである。」と、いう意です。
稲翁の論語(19)
子日く、我れに数年を加え、五十にして以て易を学べは、大なる過ち無かるべし。(述而)
孔子は言った。「私が歳を重ね、五十歳になって学んだとしても、大きな過ちはおかさない」と、いう意です。
稲翁の論語(20)
子游(しゆう)曰く、君(きみ)に事(つか)うるに数々(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱(はずか)しめられ、朋友(ほうゆう)に数々(しばしば)すれば、斯に疎(うと)んぜられる。(里仁)
子游が言った。「主人に仕え、うるさいことを言い過ぎると、必ず煙たがられる。そしていずれは恥辱を受けることになる。友達も同じだ。あまりしつこくつきまとうと、みんなから嫌われ、やがては仲間はずれにされてしまう」と、いう意です。
稲翁の論語(21)~(30)
稲翁の論語(21)
子路、石門(せきもん)に宿る。晨門(しんもん)曰く、奚(いず)れよりぞ。子路が曰く、孔氏よりす。曰く、是れ其の不可なることを知りて而(しか)もこれを為す者か。(憲問)
子路が石門で泊まった。門番が「どちらから来たのか」と言ったので、子路が「孔の家からだ」と答えると門番は「それは、無理だと知りながら取り組んでいる方ですね」と言った、という意です。
稲翁の論語(22)
子曰く、苗にして秀でざる者あるかな。秀でて実らざる者あるかな。(子罕(しかん))
孔子は言った。「苗の中には、花が咲かないものもある。花が咲いても実をつけないものもある」と、いう意です。
稲翁の論語(23)
子曰く、譬(たと)えば山を為(つく)るが如(ごと)し。未(いま)だ一簣(いっき)を成さざるも、止(や)むは吾(わ)が止むなり。譬えば地を平(たい)らかにするが如し。一簣を覆(くつがえ)すと雖(いえど)も、進むは吾が往(ゆ)くなり。(子罕)
孔子は言った。「たとえばそれは山をつくるようなものだ。あと簣(土を運ぶ籠)一杯分の土でできあがつはずだったのに、完成しなかったのは自分が止めたからだ。たとえばそれは土地を平らにならすようなものだ。簣一杯分の土が余分だったにもかかわらず、最終的に平地に仕上げたのは自分がやり通したからだ」と、いう意です。
稲翁の論語(24)
子曰く、我は生まれながらにして之を知る者に非(あら)ず。古(いにしえ)を好みて敏(びん)にして以(もっ)て之を求むる者なり。(述而)
孔子は言った。「私は生まれながらにして道を知るものではない。古い書物や先人の説いた道に興味をもち、精力的に学問を続けている人間だ」と、いう意です。
稲翁の論語(25)
子曰く、憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、悱(ひ)せずんば発せず。一隅(いちぐう)を挙げて、三隅(さんぐう)を以(もっ)て反(かえ)らざれば、則(すな)ち復(ま)たせざるなり。(述而)
孔子は言った。「憤るくらいでなければ啓蒙をしない。言いたくて仕方がないというくらいでなければ、教えの言葉を発しない。一隅を挙げて説明した場合に、三隅をもって返答してこないのであれば、二度と教えることはない」と、いう意です。
稲翁の論語(26)
冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず。力足らざればなりと。子曰く、力足らざる者は、中道(ちゅうどう)にして癈(はい)す、今女(なんじ)は畫(かぎ)れり。(雍也(ようや))
弟子の冉求が孔子に言った。「私は力不足で先生の説く生き方を実践できないのです。」と。すると孔子は「力が足りない者が途中で挫折するのはやむを得ない。しかし、いまのあなたは見切りをつけている」と答えた、という意です。
稲翁の論語(27)
季康子(きこうし)、盗(とう)を患(うれ)えて孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、苟(いやし)くも子(し)の欲することがなければ、之を賞すと雖(いえど)も竊(ぬす)まじ。(顔淵(がんえん))
季康子は自分が治めている国に盗人が多いことを憂えて、孔子にどうすればいいのか質問した。孔子は、「もしあなたが無欲ならば、国民もその影響を受けて、たとえ賞金を出して盗むことを推奨したとしても決して盗みを働かなくなるでしょう」と、いう意です。
稲翁の論語(28)
子曰く、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君(きみ)に事(つか)うべけんや。其(そ)の未だこれを得ざれば、これを得んことを患(うれ)え、既にこれを得れば、これを失わんことを患う。苟(いやしく)もこれを失わんことを患うれば、至らざる所なし。(陽貨)
孔子は言った。「品性下劣な人間と一緒に主君に仕えることができるだろうか。なぜならこういう人間は下っ端の時は出世できるかどうかを心配し、地位を手に入れるとなんとか失うまいと苦心する。そして失わないためには何でもするのだ」と、いう意です。
稲翁の論語(29)
子曰く、之を道(みちび)くに徳を以てし、之を斉(ひと)しうるに礼を以てすれば、恥ありてかつ格(いた)る。(為政)
孔子は言った。「道徳を用いて人を導き、礼節を用いて人を統率すれば、人はみずから恥じておのずと正しい道を歩むようになる」と、いう意です。
稲翁の論語(30)
儀(ぎ)の封人(ほうじん)見(まみ)えんことを請(こ)うて、曰く、君子のここに至るや、吾未だ嘗(かつ)て見ゆることを得ずんばあらず。従者(じゅうしゃ)之を見えしむ。出でて曰く、二三子(にさんし)、何ぞ喪(そう)することを患(うれ)えんや。天下の道なきや久し。天(てん)将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)となさんとす。天(てん)将(まさ)に夫子(ふうし)を以て木鐸(ぼくたく)となさんとす。(八佾(はちいつ))
儀の国境役人が孔子の弟子達に「この国境を超える立派な方には面会を申し出ている。先生に会わせていただけないか」と話した。役人の熱心な願いを受けて弟子たちは孔子と引き合わせた。孔子に面会した役人は弟子たちに言った。「先生が地位を失って放浪していることを心配しなくてもいい。天はこれを憂いて、世直しをさせようと、先生に天下を周遊させてその道を広く伝播させているのです。ちょうど木鐸を鳴らして政府が命令を施行するように、ことさら国を去らせたのです。」と、いう意です。
稲翁の論語(31)~(40)
稲翁の論語(31)
子曰く、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。(子路)
孔子は言った。「正直で勇敢、質素で口下手な人間は、人徳に近い資質を持っている」と、いう意です。
稲翁の論語(32)
子曰く、禹(う)は吾(わ)れ間然(かんぜん)すること無し。飲食を菲(うす)くして孝を鬼神(きしん)に致し、衣服を悪(あ)しくして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室(きゅうしつ)を卑(ひ)くして力を溝洫(こうきょく)に尽くす、禹は吾れ間然すること無し。(泰伯)
孔子は言った。「禹の君主は批判すべきところがない。みずから飲食を少なくして、鬼神に供え物をし、みずから衣服を簡素にして、祭祀に必要な衣服をきちんと整え、みずから住居を質素にして、政治の全力を治水工事のために尽くした。禹の君主は本当に批判すべきところがない」と、いう意です。
稲翁の論語(33)
子曰く、過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。(先進)
孔子は言った。「多すぎるのは少なすぎるのと同じだ」と、いう意です。
稲翁の論語(34)
子曰く、過(あやま)って改めざる、これを過ちという。(衛霊公)
孔子は言った。「過ちをごまかして改めないことを、真の過ちと言う」と、いう意です。
稲翁の論語(35)
冉子(ぜんし)、朝(ちょう)より退く。子曰く、何ぞ晏き(おそき)や。対(こた)えて曰く、政(まつりごと)あり。子曰く、其れ事ならん、如(も)し政あらば、吾を以(もち)いずと雖(いえど)も、吾其れこれを与(あずか)り聞かん。(子路)
季氏(きし)の家臣長となった門弟の冉有(ぜんゆう)が、季氏の屋敷で開かれた会議から戻ってきた。孔子が「どうしてこんなに遅かったのか」と尋ねた。すると冉有は、「政治問題を議論していました」と答えた。そこで孔子は、「それは季氏の私事であろう。もし政治上の問題ならば、引退したとは言え、必ず私にも何らかの話があったはずだ」と言った、という意です。
稲翁の論語(36)
子貢(しこう)、政(まつりごと)を問う。子曰く、食を足(た)し兵を足し、民(たみ)をしてこれを信ぜさせよ。子貢曰く、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(そ)の三者(さんしゃ)に於(お)いて何(いず)れをか先にせん。曰く、兵を去れ、曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於いて何(いず)れをか先にせん。曰く、食を去れ。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。(顔淵)
子貢が為政者の心構えを質問した。孔子は「十分な食糧、十分な軍備、そして、民に政権への信頼を持たせることだ」と答えた。子貢は「三つのうち、どうしても捨てなければならないならば、まずはどれでしょうか」と問いかけた。すると孔子は「軍備を捨てる」と答えた。さらに子貢は「では残りの二つのうち、どうしても棄てなければならない時は、どれでしょうか」と問いかけた。すると孔子は「食糧を捨てる。昔から誰にも死はある、けれども、もし為政者への信頼がなければ、人民も国も立ちゆかないのだ」と、いう意です。
稲翁の論語(37)
憲(けん)、恥を問う。子の曰く、邦(くに)に道あれば穀(こく)す。邦に道なきに穀するは、恥なり。(憲問)
弟子の憲が恥について孔子に訊ねた。孔子は「国家に道があれば、仕官して俸禄を受ける。国家に道がないのに俸禄を受けるのは恥である」と答えた、という意です。
稲翁の論語(38)
子曰く、孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂(い)うや。或るひと醯(す)を乞(こ)う。諸(これ)を其(そ)の鄰(となり)に乞うて之(これ)を与う。(公冶長)
孔子は言った。「誰が一体あの微成高を馬鹿者だなどと云うのか。ある人が微成高に酢をもらいに行ったら、自分の家にはなかったので、隣の家からもらって来て与えたというではないか」と、いう意です。
稲翁の論語(39)
子夏(しか)曰く、日日に其(そ)の亡き所を知り、月月に其の能(よ)くする所を忘るること無し。学を好むと謂(い)うべきのみ。(子張)
子夏は言った。「日々に自分が分からないことを知り、月々に憶えたことを忘れまいと努力する。これは学問好きだと言っていいだろう。」と、いう意です。
稲翁の論語(40)
子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し仁。(学而)
孔子は、言った。「口が達者な人物に、人徳を備えている人は少ない」と、いう意です。
稲翁の論語(41)~(50)
稲翁の論語(41)
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難し。童子見(まみ)ゆ。門人惑う。子曰く、其の進むに与(くみ)するなり。其の退(しりぞ)くに与(くみ)せざるなり。唯(ただ)何(なん)ぞ甚(はなはだ)しき。人、己(おのれ)を絜(きよ)くして以て進まば、其の絜きに与するなり。其の往(むかし)を保せざるなり。(述而)
互郷というあまり評判のよくない村から血気盛んな若者が孔子を訊ねてきた。孔子は快く面会したが、門人たちは戸惑いの色を隠せなかった。孔子は門人にたちにこう言った。「私はあの若者がわざわざ面会に来てくれた気持ちを買ったのだ。私の前から去っていく人物を相手にしたのではない。お前たちはどうして他人に対してそのような態度をとるのか。人が自分の心を清めてやってくるのであれば、その清さを買うべきであろう。村に戻ってどうなるかは心配しなくてよい」と、いう意です。
稲翁の論語(42)
子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。(雍也)
孔子は言った。「知っているというのは好きなのには及ばない。好きなのは楽しむには及ばない」と、いう意です。
稲翁の論語(43)
子曰く、人の過(あやま)つや、各々(おのおの)其(そ)の党(たぐい)に於(お)いてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。(里仁)
孔子は言った。「人間の過ちというのは、それぞれが住んでいる里の風俗によって生まれる。そこで生活する人々が犯す過ちの質を見れば、そこにどれくらい仁が浸透しているかわかる」と、いう意です。
稲翁の論語(44)
子夏、莒父(きょほ)の宰となりて、政(まつりごと)を問う。子曰く、速(すみ)やかならんことを欲する毋(な)かれ。小利を見る毋かれ。速やかならんことを欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。(子路)
莒父という町の役人になった弟子の子夏が、孔子に政治について訊ねた。孔子は「急いで結果を出そうとしては駄目だ。小さな利益に目を奪われても駄目だ。結果を焦ればすばらしい成果は生まれないし、小さな利益に固執すれば大きな事は成し遂げられない」と答えた、という意です。
稲翁の論語(45)
子曰く、述べて作らず。信じて古(いにしえ)を好む。 竊(ひそ)かに我が老彭(ろうほう)に比す。(述而)
孔子は言った。「普段、私が話すことは、昔の聖人君子が説いた言葉をもとに、今の世の中に役立つように述べているだけで私の創作ではない。かつて商の国の家老だった老彭もこのようにしてきたと聞く。私も及ばずながら、老彭と同じようにしたい」と、いう意です。
稲翁の論語(46)
子曰く、人にして遠き慮(おもんぱか)り無ければ、必ず近き憂(うれ)い有り。(衛霊公)
孔子は言った。「人間は遠い先のことを考えて行動しないと、きっと思わぬ躓きにぶつかるものだ」と、いう意です。
稲翁の論語(47)
子曰く、古(いにしえ)の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。(憲問)
孔子は言った。「その昔に学問で身を立てた人は自分のために学んだが、今どきの学問で身を立てる人は名声を得ようと勉強している」と、いう意です。
稲翁の論語(48)
子曰く、中行(ちゅうこう)を得て之に与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取る。狷者は為さざる所あり。(子路)
孔子は言った。「中道を行う人を得てみずからの道を伝えたい。しかし、中道を行う人を簡単には得られないならば、狂者と狷者を得て、これを教えよう。狂者はいつも積極果敢で、狷者は節操を守るからだ。」と、いう意です。
稲翁の論語(49)
子曰く、君子は器ならず。(為政)
孔子は言った。「優れた人間は単なる道具にならないように注意している」と、いう意です。
稲翁の論語(50)
柳下惠(りゅうかけい)、士師(しし)と為り、三たび黜(しりぞ)けらる。人曰く、子未だ以て去るべからざるか。曰く、道を直くして人に事(つか)うれば、焉(いず)くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉(ま)げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。(微子)
魯国の賢者である柳下惠は罪人を扱う役人になったが、三度もクビ切りにあった。それを知ったある人が 「あなたは三度も同じ仕打ちにあっているのに、なぜほかの土地へ行かないのか」と聞いた。柳下惠は答えた。「私のようなやり方をしていたら、どこへ行こうとも必ず三度はクビになります。しかし、クビになるまいと道をまげてまで人に仕えるくらいならば、何も父母のいる土地を去る必要はないでしょう」と、いう意です。
稲翁の論語(51)~(60)
稲翁の論語(51)
子曰く、君子は其の言の其の行いに過ぐるを恥ず。(憲問)
孔子は言った。 「君子は、自分の発言が実際の行いより大げさになることを恥じるものだ」と、いう意です。
稲翁の論語(52)
子曰く、回(かい)や心(こころ)三月仁に違(たが)わず。その余(よ)は則ち日に月に至るのみ。(雍也)
孔子は言った。「弟子の顔回は三ヶ月もの間、心から仁徳を離さない。その他の弟子は日に一度、あるいは月に一度は、仁徳に至るのみである」と、いう意です。
稲翁の論語(53)
子貢、問うて曰く、賜(し)や如何(いかん)。子曰く、汝は器なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚連(これん)なり。(公冶長)
弟子の子貢が孔子に「賜(子貢の名前)は何にたとえられるでしょうか」と尋ねた。孔子は「あなたは器だ」と答えた。それに対して子貢は「何の器でしょうか」と質問した。孔子は「瑚連だ」と言った、という意です。
稲翁の論語(54)
子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し。 思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。(為政)
孔子は言った。「先生から学んでもみずから考えない者は知識を活用できない。その一方で、自分勝手に考えるだけで、先生から学ぼうとしない者は、道を誤りやすく危険である」と、いう意です。
稲翁の論語(55)
子曰く、古者(こしゃ)、言(げん)を之(これ)出(い)ださざるは、躬(み)の逮(およ)ばざらるを恥じてなり。 (里仁)
孔子は言った。「昔の人が自分の考えを軽々しく口にしなかったのは、そのことがなかなか実践できないことを恥じていたからだ」と、いう意です。
稲翁の論語(56)
林放(りんぽう)、礼の本(もと)を問う。子曰く、大なるかな問いや。礼はその奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪はその易(そな)わらんよりは寧ろ戚(いた)めよ。(八佾(はちいつ))
林放は、礼の根本とは何かと尋ねた。孔子は「すばらしい質問だ。贅沢をするようりは慎ましやかに生活しなさい。喪に服するのであれば、その形式に気をまわすよりも、悼む気持ちこそ大切にしなさい」と答えた、という意です。
稲翁の論語(57)
子貢(しこう)、君子を問う。子曰く、先ず其の言を行い、而(しか)して後にこれに従う。(為政)
弟子の子貢が「君子とはどんな人物か」と孔子に訊ねた。孔子は「まず主張したいことを実行し、それからのち主張する人のことだ」と答えた、という意です。
稲翁の論語(58)
子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う。(学而)
孔子は言った。「人が自分を知らないことは問題ではない。自分が人を知らないことが問題なのだ」と、いう意です。
稲翁の論語(59)
厩(うまや)焚(や)けたり。子、朝(ちょう)より退く。曰く、人を傷(そこ)なえりや。馬を問わず。(郷党)
孔子の家の馬小屋が火事で焼けた。朝廷から退いてきた孔子は「人に怪我はなかったか」と聞いた。馬については触れなかった、という意です。
稲翁の論語(60)
子張、禄を干(もと)めんことを学ぶ。子曰く、多く聞きて疑わしきを欠き、慎しみて其の余(よ)を言えば、則ち尤(とがめ)寡(すく)なし。多く見て殆(あや)うきを闕(か)き、慎しみて其の余りを行えば、則ち悔い寡なし。言(げん)に尤(とがめ)寡なく行(こう)に悔寡なければ、禄は其の中に在り。(為政)
弟子の子張は「俸禄にありつけるにはどうしたらよいですか」と問うた。孔子は「とにかくいろいろなことを聞いて、自分の納得のいかない事柄はとりあえず保留しておきなさい。そして、そのようにして得た知識の中で、自分が自信をもって『正しい』と思えることのみを慎重に自分の言葉とするようにすれば、過ちを少なくできるだろう。同じように、いろいろなことを見て、確実なことを慎重に実行していけば、後悔することが少なくなる。発言に過ち少なく、行動に後悔少なければ、自然と禄を得られるようになるであろう」と、いう意です。
稲翁の論語(61)~(70)
稲翁の論語(61)
子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。(子路)
孔子は言った。「君子は自分とまったく考えの違う人とも心を一致させるが、うわべだけの同調は決してしない。ところが小人はうわでだけで同調をするが本心から一致することはない」と、いう意です。
稲翁の論語(62)
子曰く、後生畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、斯(こ)れ亦畏るるに足らざるのみ。(子罕)
孔子は言った。「若い人を侮ってはならない。これから歳を重ねる人が私たちのレベルには至らないなどとなぜ言えようか。しかし、四十歳や五十歳になっても、世の中にまったく知られないようならば、少しも恐れることはない」と、いう意です。
稲翁の論語(63)
子は温(おん)にして厲(はげ)し。威(い)あって猛(たけ)からず。恭々(うやうや)しくて安(やす)し。(述而)
孔子先生は、穏やかだが厳しいところがある。威厳はあるが恐ろしくはない。慎み深かったが堅苦しくはなかった、という意です。
稲翁の論語(64)
朝(あした)に道を聞きては、夕(ゆう)べに死すとも可なり。(里仁)
孔子は言った。「朝に真実の道をわかることできたならば、その日の夕方に死んでも本望だ」と、いう意です。
稲翁の論語(65)
子曰く、与(とも)に共(とも)に学ぶべし、未(いま)だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし。 未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権(はか)るべからず。(子罕)
孔子は言った。「一緒に学ぶことはできても同じ道に進めるとは限らない、同じ道に進めたとしても一緒に仕事ができるとは限らない。一緒に仕事ができても同じ夢を追えるとは限らない」と、いう意です。
稲翁の論語(66)
子、魯(ろ)の大師に楽(がく)を語りて曰く、楽は其(そ)れ知るべきのみ。初めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり。皦如(きょうじょ)たり。繹如(えきじょ)たり。以(もっ)て成る。(八佾)
孔子が魯の音楽団長に音楽について話した。「音楽の仕組みはとてもわかりやすいものですね。まずは打楽器が高らかに打ち鳴らされ、その後に各楽器の合奏が始まる。管楽器の各パートがはっきりとした旋律を奏で、ずっと続いて余韻を残しながら一節が終わります」と、いう意です。
稲翁の論語(67)
子曰く、其(そ)の言(げん)にこれ怍(は)じざるときは、則(すなわ)ちこれを為(な)すに難(かた)し。(憲問)
孔子は言った。「自分の言葉に恥を感じないのならば、実行することはとてもむずかしい」と、いう意です。
稲翁の論語(68)
季康子(きこうし)、政(まつりごと)を孔子(こうし)に問(と)うて曰(いわ)く、如(も)し無道(むどう)を殺(ころ)して、以(もっ)て有道(ゆうどう)に就(つ)かば、如何(いかん)。孔子(こうし)対(こた)えて曰(いわ)く、子(し)、政(まつりごと)を為(な)すに、焉(いずく)んぞ殺(さつ)を用(もち)いん。子(し)、善(ぜん)を欲(ほっ)すれば民(たみ)善(ぜん)ならん。君子(くんし)の徳(とく)は風(ふう)なり、小人(しょうじん)の徳(とく)は草(そう)なり。草(そう)之(これ)に風(ふう)を上(くわ)うれば、必(かなら)ず偃(ふ)す。(顔淵(がんえん))
季康子が政治について「国をうまく治める為に、無道の者を殺して有道の者だけにしてしまってはどうだろうか」と孔子に質問した。孔子は、「政治を行うのにどうして人民を殺す必要などあるのか。もしあなたが率先して善政を実行するように心掛けるならば、人民は感化されてみずから善道を行うようになる。上に立つ者の徳は風のようなものであり、下にある人民の徳は草のようなものだ。善い風を吹きかければ善いほうになびき、悪い風を吹きかければ悪いほうになびく」と答えた、という意です。
稲翁の論語(69)
子(し)曰(いわ)く、三軍(さんぐん)も帥(すい)を奪(うば)うべきなり、匹夫(ひっぷ)も志(こころざし)を奪(うば)うべからざるなり。(子罕(しかん))
孔子は言った。「大軍は相手の総大将を奪い取ることはできる。しかし、どんな立場の人間でも、その志を奪い取ることはできない」と、いう意です。
稲翁の論語(70)
子(し)曰(いわ)く、富(とみ)にして求(もと)むべくんば、執鞭(しつべん)の士(し)と雖(いえど)も、吾(われ)亦(また)之(これ)を為(な)さん。如(も)し求(もと)むべからずんば、吾(わ)が好(この)むところに従(したが)わん。(述而(じゅつじ))
孔子は言った。「富を正しい方法で手に入れることができるならば、鞭をふるう露払いのような役でも私は引き受けよう。しかし、正しい道で富を手にすることができないならば、私は自分の好きな仕事をする」と、いう意です。
稲翁の論語(71)~(80)
稲翁の論語(71)
闕党(けっとう)の童子(どうじ)、命(めい)を将(おこな)う。ある人(ひと)これを問(と)いて日(いわ)く、益(えき)する者(もの)か。子(し)日(いわ)く、吾(われ)其(そ)の位(くらい)に居(お)るを見(み)たり。其(そ)の先生(せんせい)と並(なら)び行(い)くを見(み)たり。益(えき)を求(もと)むる者(もの)に非(あら)ざるなり。速(すみや)かに成(な)らんと欲(ほっ)する者(もの)なり。(憲問(けんもん))
闕(けつ)の村の少年が村を訪れる客の取り次ぎをしていた。それを見たある人が孔子に「あの少年はさぞかし学問に秀でているのでしょうね」と聞いた。質問に対して孔子は「私はある会席で、あの少年がみずから主賓席に座っていたのを見たことがある。また、村の大先輩と一緒に並んで歩いていたところも見た。これを考えると、あの少年は決して学問や人格を高めたいと望んでいるわけではなく、自分の名を一日でも早く高めたいと願っているのだろう」と答えた、という意です。
稲翁の論語(72)
葉公(しょうこう)、孔子(こうし)に語(かた)りて曰(いわ)く、吾(わ)が党(とう)に直躬(ちょくきゅう)なる者(もの)あり。其(そ)の父(ちち)、羊(ひつじ)を攘(ぬす)みて、子(こ)これを証(しょう)す。孔子(こうし)曰(いわ)く、吾(わ)が党(とう)の直(なお)き者(もの)は是(これ)に異(こと)なり。父(ちち)は子(こ)の為(ため)に隠(かく)し、子(こ)は父(ちち)の為(ため)に隠(かく)す。直(なお)きこと其(そ)の中(うち)に在(あ)り。(子路)
葉(しょう)の長官が孔子にこんな話をした。「我が村に躬(きゅう)という正直者がいる。自分の父親が羊を盗んだ時に、息子がそれを告発した」。それに孔子はこう答えた。「我が村の正直者はそれとは違います。父は子の罪を隠し、子は父の罪を内緒にします。これが本当の正直ということではないでしょうか」と、いう意です。
稲翁の論語(73)
子(し)曰(いわ)く、疏食(そし)を飯(くら)い水(みず)を飲(の)み、肱(ひじ)を曲(ま)げてこれを枕(まくら)とす。楽(たの)しみ亦(また)其(そ)の中(なか)に在(あ)り。不義(ふぎ)にして富(と)み且(か)つ貴(とうと)きは、我(われ)に於(お)いては浮雲(ふうん)の如(ご)し。(述而(じゅつじ))
孔子は言った。「粗末な飯を食い、水を飲み、腕を曲げて、枕代わりとするような、貧乏な暮らしの中にも(道を志す)楽しみはある。不正不義で得た金や身分などは、私にとっては、浮ぶ雲のごとく、はかないものだ」と、いう意です。
稲翁の論語(74)
子(し)曰(いわ)く、徳(とく)は孤(こ)ならず。必(かなら)ず鄰(りん)あり。(里仁(りじん))
孔子は言った。「道徳を守る人は孤立するように思われがちだがそうではない。手助けしてくれる親しい隣人が必ず現れる」と、いう意です。
稲翁の論語(75)
子(し)曰(いわ)く、学(まな)びて時(とき)に之(これ)を習(なら)う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり遠方(えんぽう)より来(き)たる、亦(ま)た楽(たの)しからずや。人(ひと)知(し)らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子(くんし)ならずや。(学而(がくじ))
孔子は言った。「学んだことを復習するときほど楽しいものはない。友達がわざわざ遠方から訪ねてきてくれるほど喜ばしいことはない。人が自分のことを認めてくれなくても憤らないのが君子というものだ」と、いう意です。
稲翁の論語(76)
曾子(そうし)曰(いわ)く、能(のう)を以(もっ)て不能(ふのう)に問い、多(おお)きを以(もっ)て寡(すくな)きに問(と)い、有(あ)れども無(な)きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しさが若(ごと)く、犯(おか)されても校(むく)いず。昔者(むかし)吾(わ)が友(とも)、嘗(かつ)てここに従事(じゅうじ)せり。(泰伯(たいはく))
曾子が言った。「多くの才能が備わっているのに、まだ才能が足りないと才能に乏しい人にまで質問する。多くの知識をもっているにもかかわらず、知識の乏しい人にまで問う。自分の学問が充実しているのに、自分の学問には何も無いと嘆いてさらに学問を究めようとする。人から危害や無礼な仕打ちを受けても、これに抵抗することなく、己の精神修養に努力する。その昔、私にはそのような友がいて、これを実践していた」と、いう意です。
稲翁の論語(77)
子張(しちょう)問(と)う、士(し)如何(いか)なれば斯(こ)れ之(これ)を達(たつ)と謂(い)うべき。子(し)曰(いわ)わく、何(なん)ぞや、爾(なんじ)の所謂(いわゆる)達(たつ)とは。子張(しちょう)對(こた)えて曰(いわ)く、邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)え、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)ゆ。子(し)曰(いわ)く、是(こ)れ聞(ぶん)なり、達(たつ)に非(あら)ざるなり。夫(そ)れ達(たつ)なる者(もの)は、質直(しつちょく)にして義(ぎ)を好(この)み、言(げん)を察(さっ)して色(いろ)を観(み)、慮(はか)りて以(もっ)て人(ひと)に下(くだ)る。邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず達(たっ)し、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず達(たっ)す。夫(そ)れ聞(ぶん)なる者(もの)は、色(いろ)に仁(じん)を取(と)りて行(おこな)いは違(たが)い、之(これ)に居(お)りて疑(うたが)わず。邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)え、家(いえ)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)ゆ。(顔淵(がんえん))
子張が孔子に質問した。「役人や知識人はどのようであれば達人、実力のある素晴らしい人物と言えるのでしょうか」と。孔子は「あなたが考える達人とは、どういう人間か」と返した。子張は「国に仕えても評判が良く、家にいても名声が響いてくるような人間です」と答えた。孔子は「それは『聞(ぶん)』と言って、まだ『達(たつ)』とは言えない。本当に実力のある達人は、正直で正義を好み、他人の考えをよく察知する。そして相手の心の奥深くまで慮って行動し、人にはへりくだって対応する人間だ。そのような人物であれば、どのような国家に仕えても、家にいても、すべて『達』と言ってよいだろう。あなたが言う『聞』とは、表面的には『仁(じん)』をもっているように見えるが、実は口先だけで行動が伴わず、しかも己のそういったやり方に何も疑問を抱かない。にもかかわらず国に仕えても評判が良く、家にいても名声が聞こえてくるような人物にないたいと思っている人間だ」と言った、という意です。
稲翁の論語(78)
子(し)曰(いわ)く、異端(いたん)を攻(おさ)むるは、斯れ害のみ。(為政(いせい))
孔子は言った。「聖人の道以外の異端の学問を修めることは、ただ害があるだけだ」と、いう意です。
稲翁の論語(79)
顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰(いわ)く、之(これ)を仰(あお)げば弥(いよ)いよ高(たか)く、之(これ)を鑽(き)れば弥(いよ)いよ堅(かた)し。之(これ)を瞻る(み)れば前(まえ)に在り、忽焉(こつえん)として後(うし)ろに在(あ)り。夫子(ふうし)、循循(じゅんじゅん)然(ぜん)として善(よ)く人(ひと)を誘(みちび)く。我(わ)れを博(ひろ)むるに文(ぶん)を以(もっ)てし、我(われ)を約(やく)するに礼(れい)を以(もっ)てす。罷(や)めんと欲(ほっ)して能(あた)わず。既(すで)に吾(わ)が才(さい)を竭(つく)す。立(た)つ所(ところ)あって卓爾(たくじ)たるが如(ごと)し。之(これ)に従(したが)わんと欲(ほっ)すと雖(いえど)も、由(よし)なきのみ。(子罕(しかん))
孔子の弟子である顔淵がため息混じりにこう言った。「我が師は仰げば仰ぐほどいよいよ高く、懐に切り込めば切り込むほど太刀打ちできない。前にいるかと思うといつのまにか後ろにいる。我が師は要領よく人を導く。書物で私の学才を広げ、礼節をもって私に接する。私は幾度となく学問を止めようと思ったが、我が師の教えは止めることができない。私はすでに己の才能を出し尽くしているのだが、我が師は常に私が到達した地点よりも少し上に立つ。何とか取り残されないように我が師についていきたいのだが、まったく手だてが見つからない」と、いう意です。
稲翁の論語(80)
子路(しろ)、成人(成人)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、臧武仲(ぞうぶちゅう)の知(ち)、公綽(こうしゃく)の不欲(ふよく)、卞莊子(べんそうし)の勇(ゆう)、冉求(ぜんきゅう)の芸(げい)の若(ごと)き、これを文(かざ)るに礼楽(れいがく)を以(もっ)てせば、亦(ま)た以(もっ)て成人(せいじん)と為(な)すべし。曰(いわ)く、今(いま)の成人(せいじん)は、何(なん)ぞ必(かなら)ずしも然(しか)らん。利(り)を見(み)ては義(ぎ)を思(おも)い、危(あや)うきを見(み)ては命(いのち)を授(さず)く、久要(きゅうよう)、平生(へいぜい)の言(げん)を忘(わす)れざる、亦(ま)た以(もっ)て成人(せいじん)と為(な)すべし。
子路が「完璧な人物とはどんな人間でしょうか」と孔子に質問した。孔子は言った。「臧武仲(ぞうぶちゅう)ほどの知恵と公綽(こうしゃく)ほどの無欲さと卞莊子(べんそうし)ほどの勇気と冉求(ぜんきゅう)ほどの教養とがあって、さらに、礼儀で節度を保ち、音楽で心を和やかにするような人間ならば、完璧な人物と言えるだろう」と。さらに続けて孔子は「しかし、近頃は『完璧な人物』の基準が変わってきているから、このように規定するのはむずかしいだろう。利益を追い求めるときに正義や善を貫き、君主が危機に陥れば一命を投じ、昔の約束事も忘れないというのなら、完成された人物と言えるだろう」と言った、という意です。
稲翁の論語(81)~(83)
稲翁の論語(81)
過(あや)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ることなかれ。(子罕(しかん))
孔子は言った。「過ちに気が付いてすぐに改めるならば、何も憚ることはない」という意です。
稲翁の論語(82)
樊遅(はんち)、稼(か)を学(まな)ばんと請(こ)う。子(し)曰(いわ)く、吾(わ)れ老農(ろうのう)に如(し)かず。圃(ほ)を為(つく)ることを学(まな)ばんと請(こ)う。曰(いわ)く、吾(わ)れは老圃(ろうほ)に如(し)かず。樊遅(はんち)出(い)ず。子(し)曰(いわ)く、小人(しょうじん)なるかな樊須(はんす)や。上(かみ)礼(れい)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あ)えて敬(けい)せざること莫(な)し。上(かみ)義(ぎ)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あ)えて服(ふく)せざること莫(な)し。上(かみ)信(しん)を好(この)めば、則(すなわ)ち民(たみ)敢(あ)えて情(じょう)を用(もち)いざること莫(な)し。夫(そ)れ是(かく)の如(ごと)くんば、則(すなわ)ち四方(しほう)の民(たみ)、其(そ)の子(し)を襁負(きょうふ)して至(いた)らん。焉(いず)くんぞ稼(か)を用(もち)いん。(子路(しろ))
樊遅(はんち)が「穀物のつくり方を教えてほしい」と孔子に頼んだ。孔子は「私は専門家ではないので、穀物づくりのことはベテランの農夫に教わりなさい」と断った。 樊遅はさらに「野菜の作り方を教えてほしい」と頼んだ。孔子は、「私は野菜づくりの専門家でもない」と答えた。樊遅は合点の行かない顔で部屋を出て行った。それを見送った孔子は、「樊遅は小人だ。私から学ぶべきことを誤解している。上に立つ人間が礼を尽くせば、人民はおのずと敬意を表すようになるものだ。上に立つ人が正義を重んじれば、人民はおのずと心服するようになるものだ。上に立つ人が誠実に対処すれば、人民はおのずと真心で接するようになるものだ。そうなれば、他国の人々もその国風を慕って、子供を背負ってでも移住して来るだろう。人口が増えれば自然に農耕が盛んになり、国力も増していくものだ。政治家や思想家を志す者が、実際に穀物や野菜をつくる必要はない」と言った、という意です。
稲翁の論語(83)
子曰く、命(めい)を為(つく)るに卑甚(ひじん)これを草創(そうそう)し、世叔(せいしゅく)之(これ)を討論(とうろん)し、行人(こうじん)子羽(しう)之を脩飾(しゅうしょく)し、東里(とうり)の子産(しさん)之を潤色(じゅんしょく)せり。(憲問)
(弟子は「鄭(てい)の外交文書は優れていて、外交成功の大きな礎になっているそうです。なぜでしょうか」と質問しました。) 孔子は言った。「鄭の国では賢人たちが知恵を出し合い、協力して文書を作成している。文書をつくるときには卑甚(ひじん)が原稿を書き、世叔(せいしゅく)が検討し、外交官の子羽が添削し、東里(とうり)にいた子産(しさん)が最後にまとめたからだ」と、いう意です。
以上で、稲翁の論語は終了致します。ありがとうございました。
出典:皆木和義さん著「稲盛和夫の論語」より
記事:MBAデザイナーnakayanさんのアメブロ 2013年5月21日付
中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
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