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地域と人をつなぐ仕事はこれから必要とされるはず。学び続ける姿勢でアクティブに仕事をつくっていく。

#社会起業家 #転職 #MBA #まちづくり #キャリア #ライフデザイン #インタビュー #働く女性  

「これからどうしよう?」と迷ったとき何かのヒントを見つけてもらえればという思いで紹介している「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソード。

今回は、このインタビューの直前に企業人生活を卒業し、まちづくり支援などの社会起業家として独立された香奈さん(仮名)のエピソードです。幼少期からの体験と、現在、自分が選択した道とはすごく整合していると感じる言う香奈さんの、その思いに至る道のりとは? 


香奈さん(40代後半)*インタビュー当時
経歴: 大学卒業後、IT企業に就職。長女出産後、「食」の大切さを再認識したことで食品会社に転職。ワーキングマザーの課題解決を志しMBAを取得。その後、企業の人材研修の一環で地方のまちづくりに関わったことをきっかけに、自分で仕事をつくろうと退職し、一般社団法人を立ち上げる。夫と長女との三人暮らし。

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?

ライフヒストリーは、MBAを取るときや新規事業を考えるときに、志を明らかにするために何度も書いたことがあるんです。でも、40代から先は今回初めて書きました。
自分のヒストリーを振り返ってみると、父の言葉や母の出身地への思い、食への関心、長女としていずれ親の面倒をみることを意識してライフステージをのぼってきたこと・・・などなどの原体験を、ポジティブに人生を推進していくための原動力にしながら今に至っているので、今の道は「なるべくしてなった道だな」と感じています。
人生曲線の価値観軸は、子供が産まれるまでは、他人の目線軸で、勝ち負けや悔しいなどの感情の起伏があったのですが、子供が生まれてからは、生き方と働き方の整合性や、自分が気持ちよく生きていけているかといった自分軸に変わりました。同じ曲線でプラスマイナスを書いていますが、要因を外(他人の目線軸)に置くか、内面(自分軸)に置くかで意味合いが違っています。40歳前後で0になっているのは、落ち込みではなくて、第2の自分の生き方、キャリアをゼロリセットして立て直したところです。

香奈さんの描いた人生曲線

負けず嫌いの性格と食への関心(10代:原点となっている幼少期)

―――原体験が原動力なんですね。もう少し教えていただけますか?

絶対受かると思っていた中学受験に落ちて、中学でいじめにあってふさぎ込んでいた私に、父が、「お前は俺が設計した船だから荒波でも沈まない」と言ってくれて。それでポジティブ思考に変化することができました。私は、とにかく、できないと思われるのがすごく嫌なんです。団塊ジュニア育ちのせいか、物差しが常にランキングだったんですよ。だから負けず嫌い。

―――世代的なことと、ご家族の影響では、どちらが大きかったのでしょうか?

自分のアイデンティティには、家族の影響が一番大きいと思います。両親は団塊世代で、母は長女だったけれど、女だから家業(病院)が継げなかった。父は次男なんだけれど長男が継がなかったので家業(自営業)を継いだ。女だから男だからというのではなく、継ぐべき人が継げばいいのにとずっと思っていました。
また、毎晩の両親と共にする夕食は、料理上手な母の手料理を食べながら、季節の食材の話や、働き方や生き方などを語り合いながらたっぷり時間をかけるものでした。そこから、私の食を重視する意識や仕事観が形成されたように思います。そして、地域や家族の近くで働ける自営業っていいなと思っていたことが自分の起業に影響したと思います。

他者目線軸から自分軸へ(30代前半:出産で軸が変わった)

 ―――最初の転換期について教えていただけますか?

転換期は出産ですね。
父が娘(私)の結婚は諦めていると人づてに聞いて、いつも応援してくれる父の願いを叶えようと思って婚活し、30歳で結婚。32歳で長女を出産しました。育児は、地域の人たちや、親の助けも借りながら、なんとか仕事と両立させようと必死でした。 

娘が2歳のときに、「ママは大きくなったら何になりますか?」と聞いてきたんです。保育園では必ず「大きくなったら何になる?」という話をしますよね。ママはもう大きいけど・・・と思いながら、子供は成長していくのに、私はただ老化するだけなの?と思えて、そこから改めて成長を志しました。

それと、ママ友の先輩に、「子育てが一段落したら子供を連れて海外に行きたい」と話したら、「子育ては一段落しない」「次々と違う波が来て、どんどん年とっちゃうのよ」と言われたのは、目からウロコでした。一段落しないならやりたいことをやろうと思って、子供が1歳10か月のときに、韓国旅行に行っちゃいました。翌年は、子連れでメキシコに行きました。

―――そして、復職されたんですね。

ええ、子供が2歳半のとき、迷うことなく復職しましたが、業績不振による雇用調整の負担を部署で私1人が被ることになったんです。産休から復職した初の女性営業だともてはやされたのに、100%休業するように言われた。でも、全休で何割かのお給料をもらえるのなら、今のうちに学んだり海外に行ったりできるなと思って、娘を連れてインドに行きました。

―――わぁ、すごい。

学びの連鎖(30代後半~40代前半:MBA、転職、学び続ける)

―――その後、転職されたんですね?

復職後にそんな状況になって、それなら、生き方に合わせた働き方にしようと思い、子どもと「食」のことを考え、子どもの未来を良くしたいと、食品企業に転職しました。
 
生活者研究の部署に入り、働くママの悩み、たとえば、仕事しながら夕飯を考えたり、子供のお迎えに行くために仕事を持ち帰って、家事を終えてから明け方まで仕事したりといった自分と同じ苦労をしている人が世の中に多いということを生活者調査で知りました。それらを解決するために、解決する商品を世に出そうと思って、商品開発部に異動しました。そして、自己研鑽のためにMBAをとりに行きました。しかしいざMBAをとってみると、食品の開発だけでは根本的な課題解決には至らないと気づき、新規事業開発部へ異動しました。そこで自治体と連携して実証事業をしたり、能登半島でプロボノ活動(職業上持っている知識やスキルを使って無償で社会課題に取り組む活動)をするなど、地域に関わる機会が増えていきました。

このような学びの連鎖の中でジェロントロジー(老齢学)に出会いました。ジェロントロジーで、何歳からでも学び直しができる、年を重ねてからも伸びる能力があるということを知ったことは大きかったです。さらに、何歳からでも自分を伸ばしていくとしたらそれは地域でしかできないなと思ったんです。会社にしばられて、やりたいこともできず、定年まで出世の順番を待つ必要はないなと気づきました。ジェロントロジーの先生から聞いたお話がきっかけで、「私は雇われ人でなく、自分のオーナーでいたいな」と思ったんです。こうして、食品会社への転職から10年ぐらいかかって起業に至りました。

やりたい気持ちがあれば自分で仕事をつくればいい(40代:起業への過程)

―――企業勤務から、起業へと進むときの葛藤はありませんでしたか?
 
能登での研修中、自分が普通に会社でやっていることをしたら地域側に喜ばれたんです。ただ、地域の場合、徹頭徹尾自分で仕事をしないといけない。言うだけではだめで、「誰がやるの?」を問われるんです。頭でっかちの自分には、「常に主体で考える」ということがとても響いて、ここで体幹を鍛えようと思いました。しかもその成功報酬は、関係資本なんです。香奈が来たからいい魚(肴)、いい酒を出そう、という関係。お給料ではなくて、胃袋を掴まれた(笑)。

この現場から離れたくないと思い、研修後にお世話になっていたまちづくり会社の女性社長に、「名刺をください」と言ったんです。そうしたら「名刺でいいんけ?」と言われました。つまり、気持ちがあるなら自分で仕事をつくって行動すればいい。名刺(形)にこだわるなと言われたように思い、ハッとしました。「自分はこの地域のためにこういうことができます」という主体軸で提案することから始まる本来の人間対人間という関係性の重みを、今も感じ続けています。

さらなる成長を考える(今後について)

―――今後についてはどう考えていますか?

今の私の課題は多様性を受け容れることだと思っています。
私、思考の習慣で、生産性を上げるために、最短ルートで正解をもとめがち。それを続けてきたことで切り捨てたり、見なかったことが増えてしまっていると感じます。
周りの人たちが気を遣ってフォローしてくれたことも多かったと思います。これからは地域で多様な人と関わることで、無駄だと決めつけて見ようとしなかったことの中の可能性を見つけられるようになりたいと、社会福祉士の国家資格試験に挑戦中です。

 ―――目標にしている人物像などはあるのですか?

先ほど話した女性社長です。今、社団法人を一緒にやっているのですが、仕事ぶりが鷹揚というか、自然の力に逆らわないんです。私は自分のスピード感、時間軸で考えてしまう。今は、地域の時間軸や他者の流れに合わせて、収益追求ではなく仕事を減らして時間を空けるようにしています。

―――この先、少し長く考えたときに、考えていることはありますか?

コロナ禍で在宅で働かざるをえなくなった人の中には、働く場所と生きる場所が近いことの良さに気が付いた人も増えたと思うんですよね。そこから、定年などに縛られることなく望む範囲でできる生業や小商いが地域に増えるといいなと思います。高齢者も地域と関わりながら生きがいや働く場所をもち、やりがいを感じられるような豊かな地域づくりに貢献したいと考えています。

また、私は50代から、二拠点生活を考えています。 ちょうど私が50歳で娘が成人しますし、両親の看取りも終えたので、能登に移住して自分の時間軸を地域と合わせていけるようにできたらと。まちづくりは10年、20年スパンで考える。であれば、私の50歳からの20年間の仕事として、これから先もますます成長する。今と変わらないパッションで、60歳、70歳になりたいと思っています。

何歳からでも学び続けられる(女性たちへのメッセージ)

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?

何歳からでも学び続けられるということを伝えたいです。学ぶことで不安が払拭される。わからないことがなくなるので、問題を課題化できる。課題化できれば打ち手があると思います。
私は企業にいたのでMBAを取りに行きましたが、地域であれば、ソーシャルワークやボランティアを通して、いろいろな性格や身体状況の方に対して、自分から働きかけるような活動をしてみるのもいいのでは?と思います。座学でなくて体験から学ぶことがきっとあると思いますよ。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか?

こういう話は、聞いてくださることで見つかるものがあるのでありがたいです。皆さん先輩なのに、時間をとって私の話から何かを学ぼうとしておられる。私も、そんなふうに学ぼうという姿勢を続けていきたいです。

(*文中の写真はイメージです)


インタビュアーズコメント

原体験や企業内外での学びが今の状況と整合性がとれていると感じているというお話や、出産で価値観軸が変わったというお話が印象的でした。ご自身を探求し、自分を活かせる道に踏み出されたのだと思います。幾つになっても学ぼう、そして地方で体幹を鍛えていこうという姿勢から、新しい環境になっても、どんどんアクティブに前進していかれるのだろうと思いました。またいつか、ニ拠点での生活のお話も伺ってみたいです。


【L100】自分たちラボ からのお知らせ

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