「安心できる場所」であり続けたい
いまアメリカでZ世代を中心に注目されているらしい「アタッチメント」。
不安や恐怖を感じたときに誰かにくっつくことで安心しようとする、人間の本能的な欲求のことを言うそうです。
人は「安心できる場所」を起点にしながら、探索を繰り返し、その探索の距離は成長するにつれて段々と起点から遠くなり、やがて「ひとりでいられる」時間が長くなっていく、のだとか。
なるほど。
思い返せば…
息子が小学校低学年のとき。初めてお泊りで林間学校に行く時のこと。
1ヶ月前から「行きたくない」とぐずりだし、出発当日は大泣きしていました。
嫌々言うまま送り出し、大丈夫だろうかと心配していた親の気持ちとは裏腹に、数日後、何事も無かったかのように「楽しかった~」と真っ黒に日焼けして帰ってきました。
小学校高学年になり修学旅行に行くとき。
やはり1ヶ月ほど前から「行きたくない」とぐずりだし、出発当日の朝、気分が悪くなってしまうほど、本当に憂鬱そうに出かけていきました。
「きっと、今回も楽しかった、と言って帰ってくるはず。」そう信じて送り出しました。そして、やはり何事も無かったかのように「楽しかった~」とたくさんのお土産を買って帰ってきました。
高校1年の時、苦手な英語克服のきっかけになればと勧めた海外への短期語学留学に行くとき。
本人も「行きたい!」と最初は乗り気でしたが、いざ出発の時が近づくと小学校の時のように、不機嫌になり。
「小さい時から、変わらんなー(笑)だいじょうぶ、今回もきっと楽しいよ。」そう言って送り出しました。3週間後、「帰りたくなかった~」と英語も大好きになって帰ってきました。
大学3年の時、今度は自ら「1年間、カナダに留学したい」と言い出しました。
1年も親元を離れるのは初めてのこと。正直心配はありましたが、本人の意思を尊重し、応援して送り出すことにしました。
出発の日。家族総出で見送る中、あろうことか「行きたくない」と言い出す始末。
子どもの頃から親元を離れてどこかへ出かけるときの見慣れた光景(笑)
ただ、この時はコロナ禍の始まりと重なり、1年経たずして志半ばで帰国することになりました。
そして、今から1年前。
就職が決まると同時に息子から、「俺、東京に行く」と言われました。
動揺したのは、わたしの方…。
一人暮らしはちゃんとやっていけるのだろうか
仕事で悩んだり辛い思いをすることはないだろうか
仲良くできる友人は作れるだろうか…
あげればきりがないくらい心配しました。
けれど、住まいも自分で決め、引っ越し準備もほぼすべて自分でやり切って、「ちょっと出かけてくる」くらいの勢いで、あれよあれよという間に家を出て行きました。
そして、このゴールデンウィークに帰ってきた息子。
「やっぱ、家がええなー。帰りたくねぇ~」と(笑)
あらためて。
息子にとって「家」は安心できる場所であったのかな、と。
これからだんだんと帰ってこなくなるのかもしれないけれど(笑)
彼にとっての「家」はいつでも帰ってこれる場所であり、また、いつ帰ってきても変わらない場所であるように、「安心できる場所」であり続けたい、そう思いました。
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