公務員だった頃の話#4~心の支えにしていた本
皆さん、こんにちは!七年の海です。
第2回・第3回では、私の「カスハラ」体験談について書いてみました。
2つの事例のほかにも、多数のいわゆるクレームを受けた経験から、
すっかりトラウマ化してしまいました。カワイソス・・・
そういう挫折や葛藤のなかにおいても、なんとか持ちこたえてやっていた裏には、やはり心の支えにしていた本の言葉がありました。
今回は、そうした大切な一冊をご紹介しますね。
【アイキャッチ】いばらき県北ポスター「旧上岡小学校」バージョン
キャッチコピー「子供の頃、悩んでたことを/笑い飛ばせるようになったら/大人だと思う」な~に気取ったこと、言ってんだか!笑
【まずは注意事項を再掲】
記事の内容によっては、
同様のご経験をなさった方もいらっしゃるかと思います。
ご覧になるにあたっては無理をなさらず、
辛いと思ったら、読むのを中断しましょうね。
是非とも、ご自分のペースでお読みください。
当時の事実関係に関する記述は、プライバシー保護および地方公務員法における守秘義務等の観点から、一部を改変しております。
当該事案にかかわる問題、住民、組織、職員、私が置かれていた職場環境等を糾弾、非難、誹謗中傷等をするものではありません。
あくまで、私の体験した一事案を広くご紹介して私の自己紹介を目的としております。誤解のないようにお願いしたいと思います。
(ただし、ご意見等ございましたら、コメント欄に寄せて頂けると有難いです。原則として、返信することは致しません。ですが、書かれたコメントは全て拝読しております。)
「プロケースワーカー100の心得」(柴田純一著、2015年)
一本、補助線を引いて、俯瞰して見てみましょうか。
私の自己紹介【2024.6.25修正版】のなかで、「私のバイブル」として掲載している1冊になります。
本の副題「福祉事務所・生活保護担当員の現場でしたたかに生き抜く法」。
なかなかキャッチ―な言葉じゃないですか!?
ここでは、地方公務員の理想と現実、現場のシビアさとそこでのしたたかな生き残り戦略(笑)について、淡々とした語りが綴られています。まあ、お役所の悲哀、サラリーマンの悲哀、みたいな要素もあって共感する人も多いと思いますが、一口に「お役所仕事」と言っても、なかなかその苦労や実態を世間一般の方たちはご存じないのではないでしょうか?
本で登場するのは、主に「カスハラ」という言葉のない時代。当時から、
職員に対する著しい人権侵害レベルのクレームというのはあったわけです。
昭和の時代、「ハラスメント」なんて言葉のない時代でも、したたかに、
力強く自分たちの尊厳を守ろうとした先輩職員たちの、汗と涙の物語!
(大げさでもなんでもなく、事実、泣かされている職員、泣き寝入りしている職員はいる。それも、少なくない人数が)
まずは、その心得の一部をご紹介しましょう。
(以下、太字は七年の海による)
福祉事務所のうち、生活保護に関するケースワーカーに向けて書かれた文章でありながら、実は、広く行政職一般をも包含するような視座となっている内容。なかなか読みごたえあり。
「これは、役所の仕事をしゃぶり尽くしている!」と感動。
勤めているときには、ずいぶん心の支えとして助けられました。
「ケースワーカーが何でも代行しなくていい」は、縦割り行政を肯定するような考えです。一見するとよくないことのように思いますが。
本来、役所の各部署はそれぞれ事務分掌にのっとってそれぞれの事務をしていますが、生活保護という制度は、実にいろいろな分野にまたがっているものだったりします。例えまたがるような事務であっても、それぞれの領分において仕事をしてもらうのが当然ですし、そうしてもらわないと困ります。
だからこそ、関係機関との連携・協力ということが繰り返し繰り返し語られます。それぞれの機関がその専門性において、十分に事務をしてもらうこと。これが、本来の行政運営の姿ですね。
本でも出てきますが、「生活保護受給者はすべての権利・本人の意思を剝奪され、ケースワーカーがどうせ面倒を見るんだから・・・」という偏見の目が、役所のなかでもあるのです。同じ役所内においても、他部署へ対抗できるような専門性を備えていないと、パワーバランスの中で、面倒な案件ほど弱い立場の部署へ押し付けられてしまうのです。ええええええ~~~~!!
なんでもかんでもケースワーカーが、他部署の仕事まで替わりにやってあげちゃったりすると、仕事は増えるばかり。
さらには、生活保護の事務にかけるべき時間を削ることになる。
これは結局のところ、受給者本人の自己決定を阻害してしまうことになる。
往々にして、こういうことは現場ではよく見かける光景。
前回、#2や3で「ひとつ、よろしく頼むよ??!」という言葉に凝縮して書きましたが、私にもこうした本来の事務でない仕事をやらされる羽目になるという経験はありましたよ。
というか、なんで自分のところでやらないの??
(↑これこそが、役所の本当の姿よのう!!)
これも、部署と部署の力関係や管理職の考えによるところが大きいかな。
(本当は、もっと首長や副首長がグリップを利かせるべき)
いわゆる迷惑行為への基本的な姿勢については、
以下の記述が参考になるかと思います。
ここまでは、職員としての基本の構えというか、
日常業務の忙しさにかまけて、ともするとおざなりになりがちなこと。
とても大事なことですね。
さらに続けて、注意点を二つ挙げています。ここも重要。
不愉快なときは感情を出してもいい!??
「100の心得」には、こんなものもあるんですよ。
意外に思われるかもしれません。
少し長くなりますが、私が特に気に入っている箇所を中心に引用してみます。
もう、最後の方は愛にあふれていて、泣いちゃう。。。
ちょっとここで簡単な解説&私なりの感想を。
この本でも繰り返し書かれていますが、
役所というところは上の人(所属長、首長、県、国など)が責任を取ってくれません。なんだかんだ、現場の責任にされます。
それを「地方自治」「地方分権」とか美辞麗句でごまかされたりします。
で、そうなると、ますます現場は疲弊してきて、職員の士気が下がります。
士気が下がると、ただでさえ案件の多さに辟易しているところに
(市部のおいては1人当たり80世帯担当させることが可能!)、
解決できるものも解決困難になってしまう。
役所というのは、膨大な個人情報を日々取り扱っています。
戸籍や家族関係、家庭の問題、子育て、不登校、そして、生活保護の情報など機微な情報が本当に多いのです。
個人情報の扱いには、当然法律の縛りがかかりますが、残念なことに、
公務員による個人情報を悪用した犯罪も起こってしまっています。
(ストーカー行為、個人情報漏洩、公金横領など)
そうしたことの遠因には、自分たち職場へのリスペクトが足りない。
ということに尽きるのだと思います。
人事異動という制度もまた痛しかゆしというか・・・
結局、短い経験年数の職員が恒常的に福祉事務所へ詰めていることになり、
生活保護事務にかかるノウハウ・技術の蓄積や継承まで至らない。
「どうせ数年で異動するんだから」「所詮、素人集団の集まりだから」
そういった諦念の積み重ねは、残念ながら、自分たちの職業集団の地位を著しく貶めてしまうことになります。
なので、「この仕事に対する冒瀆であり、福祉事務所の看板に泥を塗られるのを見過ごす」わけにはいかないのです!
生活保護制度についての雑感
生活保護制度については、70年近くの運用のなかで、
時代にそぐわないという指摘があります。不要論もあります。
筆者も書かれていますが、
どうしても職員や自治体の自助努力だけでは限界がある。
本を読んでいて全般に流れる問題意識です。
おそらく、一番そのことを言いたかったのではないかと。
明らかに、制度疲労を起こしている。
ケースワーカー1人で80世帯担当するというのは、常軌を逸している。
私は福祉部署を経験したことはありません。
ですが、税金で滞納整理(滞納者への税金の取り立て)をしていたとき、
福祉事務所の人と仕事をしたことがあります。
ケースワーカーはとにかく忙しいです。やることが多すぎます。
財産調査、家族への扶養照会、本人との面談、住まいの世話、日常的な金銭管理、緊急時の対応、粗暴者への対応、定期的な自宅訪問、関係機関との連絡・調整、絶え間ない国等からの調査・監査などなど。
まさに駆け込み寺、よろず相談所状態。
それも、24時間365日、人の営みには休日はありませんからね。
民生委員・児童委員さん並みに過酷だと思います。
なのに、明らかに待遇が低すぎる。責任に対する報酬が全く見合っていない。
とてもじゃないですが、私にはできる気がしない。
なにせ、保護受給者一人の人生が、その生活扶助ひとつにかかっていますからね。激務には違いない。
あとは、ケースワーカー、その人に依りますね。
ケースワーカーさんは一概にこういう人、とはなかなか括れないですね。
ですが、彼らの多くは、役所の人事異動で他部署から回ってきた職員。
要するに、最初は素人からスタートして一から勉強している
(というと身も蓋もないですが。辞令一つで、いきなり4月1日から現場に立たされるということ。これはこれで辛い!)。
たぶん、自分の意志とは関係なく回されてしまって、
心と体を病んでしまう職員も多いのでは。そんな印象があります。
ここまでは、いわゆる負の側面、ネガティブなことを書きました。
生活保護に関しては、
柏木ハルコさんの漫画「健康で文化的な最低限度の生活」がおすすめ。
今回ここでは触れられませんが、ケースワーカーというのはそれだけ過酷でありながら、とても重要で、決してなくすことのできない、なくてはならない大事なお仕事です。かっこいい姿、誇るべき専門性、「自立」ということの意味など。不条理うず巻く人間模様の縮図を見る分野だと思います。
あわせて、こちらの作品も読まれることを強くおススメいたします。
生活困窮者と税金の話
税務課時代の話をすると。
滞納者との面談、「納税相談」というのがある。
滞納者に役所までお越しいただいて(手紙一つで呼び出しますw)、
窓口や相談ブースでいろいろお話をするわけです。
このあたりは、生活保護申請にかかる個人面談に近いでしょうか。
「滞納者」と言っても、実にいろいろな方がいらっしゃるんですね。
事業に失敗して借金まみれの人、シングルマザーで児童手当を頼りにぎりぎりの生活をしている人、「コイツ、払う気ないな・・・」という不埒な輩まで。。。
(税金の滞納整理に関しては、一つの投稿では収まりきらないくらいの書きたいことがありますから、詳しくは別の機会とします)
そうしたなかには、本当に生活ぎりぎりで頼る親族もなく、差し押さえできるような財産を持ち合わせていない方もいるのです。
生活保護になると、早い話、税金はチャラ(執行停止という)。
その他、借金など私債権の多くは免除になるようですね。
これは、生活が困窮している方にとっては、大きな安心材料だと思います。
私も何度かそういう説明をしたことがありますが、多くの方は、
それでもやはり、生活保護に抵抗感を感じるようです。
そもそも、役所への不信感というのもあります。
やはり、生活保護受給者というのは、世間様では差別されているのですね。「働かざる者食うべからず」なんて言葉もあるし。世知辛いですね・・・
この本でも書かれていますが、生活保護を受けることはれっきとした権利。
憲法第25条第1項
「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
基本的人権として当たり前のことなのです。
決して、恥ずべきことではありません。
必要である限り、ずっと使い続けていても全く問題はありません。
ですが、いわゆる「水際作戦」といって、生活保護の申請自体をさせない、という運用がなされているということも聞いています。
最近では、マスコミでも報道されるようになって、ずいぶんましにはなったようですが、それでも、役所の窓口というのは、敷居が高いもの。
これは、その時々の政策によるところが大きいようです。国都合の理由。
先にも書きましたが、
「生活保護受給者はすべての権利・本人の意思を剝奪され、ケースワーカーがどうせ面倒を見るんだから・・・」という偏見の目が、役所のなかでもあるのは事実。
制度の課題についての話はこの辺で辞めておきますが、
やはり最後のセーフティネットですからね。
私も、納税相談に来た人で福祉の部署へつないだこと、何度もありますよ。
そういうことも、役所の職員の仕事だったりするのです。
だから、ほかの部署の仕事も知らないといけませんよね?
だいぶ、話が脱線してしまいました汗
長くなりましたが、窓口の最前線では、
今日も心を押し殺して、人知れず、
涙を流している職員さんがいらっしゃることでしょう。
この本が、少しでもそうした当事者の方たちにとって心の支えになられることを切に願います。
今回はここまで。
この本については、本当に情報量が多くて、隅から隅まで読み込むのはなかなか大変です。注釈も膨大で、「増補版へのあとがき」も併せて、是非、読み込んでもらいたいと思います。とてもいい本です。どこかでまたご紹介させていただくことがあるかと思いますよ。
ごめんなさい!
今回で終わりのはずが、あともう1回書きます!!
ようやく、次回で最終回。ちょっとまとめ的なことを書いてみました。
なにか、心に残るものがあればうれしいですねぇ~~~
次回も、お楽しみに!
それでは、また。
つづく