日本歌謡:1978年の転換点
Apple Music のプレイリストに「邦楽ヒッツ:〇〇年」というのがある。何気にその1977年を見たら、阿久悠が大活躍の年だとわかった。
22曲中7曲(勝手にしやがれ、渚のシンドバッド、津軽海峡・冬景色、青春時代、熱帯魚、北の宿から)を作詞している。
ところが、翌1978年を見ると、阿久悠・作詞は23曲中2曲(UFO、ヤマトより愛をこめて)しかない。
このことをどう捉えればよいのか? 今回は、少し考えてみたい。
作家の時代の終焉なのか?
どうもこれは、阿久悠個人の問題ではないようだ。
1977年は、作家(作詞家・作曲家)が作った歌が22曲中15曲あったのに、1978年には23曲中9曲になってしまっているのだ。
では、誰が代わりに作ったのかと言うと、新進のシンガーソングライターたちである。
サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」、世良公則&ツイストが「宿無し」、中島みゆきが「わかれうた」、アリスが「冬の稲妻」、原田真二が「タイムトラベル」、堀内孝雄が「君のひとみは1000ボルト」、松山千春が「季節の中で」、さとう宗幸が「青葉城恋歌」、渡辺真知子が「かもめが飛んだ日」、五輪真弓が「さよならだけは言わないで」をリリースしている。
それだけでは終わらない。谷村新司が「いい日 旅立ち」を山口百恵に、尾崎亜美が「オリビアを聴きながら」を杏里に、中島みゆきが「ひとり芝居」を桜田淳子に、「かもめはかもめ」を研ナオコに書いている。
新しい才能が次々に登場して、これまで主役だった作家たちを舞台の外に追い出す寸前になっているようにも見える。
ヤマハ・ポプコンに人気が
シンガーソングライターが次々とメジャーデビューした背景には、ヤマハポピュラーソングコンテストの隆盛がある。受賞者は、錚々たる顔ぶれが続く。谷山浩子、八神純子(1974年)、渡辺真知子、中島みゆき、因幡晃(1975年)、世良公則&ツイスト(1977年)、佐野元春、長渕剛(1978年)、チャゲ&飛鳥、クリスタルキング(1979年)などがデビューした。受賞できなかったり本選に出場できなかった参加者の中に、サザンオールスターズや安全地帯、大江千里なども含まれている。
ヤマハ・ポプコンの前にこの世に出ていたフォーク系やニューミュージック系に加えて、こうした才能溢れる連中が加わったのだから、シンガーソングライターの層は厚みを増した。
彼らは、自分達の言葉で自分達の日常や心情を語り始めた。それは、それまでの作詞家・作曲家がアイドル歌手たちに書いてきた、非日常の物語の世界とは違って、親しみやすく新鮮に聞こえたに違いない。
流行歌の作り手は、主役交代の時期を迎えようとしていた。ツイスト・サザンが揃った1978年、その流れは決定的となった。
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