星と鳥と風12~雨ニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

「雨ニモマケズ」
 宮沢賢治

有名な詩だが
この詩を読むと
【じいちゃんを】
思い出す。

本を読んだり物書きが上手だったじいちゃん
まだ一歳ほどの私を抱き抱えて
よく子守唄代わりに【歌って】くれていた。

歌う?
詩なのに?
と思われる方もいるだろう。

じいちゃんが「雨ニモマケズ」を私に朗読して聞かせる時は、何故かオリジナルの【メロディ】が付いていた。
だから、私はてっきり、これは昔の【歌】なんだとばかり思っていた。

小学校低学年の国語の教科書にも載っていたこの詩だが、ある日「雨ニモマケズ」をクラスで朗読した事があった。
僕は、じいちゃんの教え通りに、詩に
【メロディ】を付けて読んだ。

すると、クスクスとクラスメイトが笑い初めて、後にツボに入った皆んなが爆笑し出して恥ずかしかったのを覚えている。

【あんな変わったメロディで歌われたら、そら笑うよな】

クラスメイトに「おい、星〜!ウケ狙ってくるなよ」とニヤニヤされながら言われたが
私はいたって【マジ】だった。
マジだからこその恥ずかしさがあった。

じいちゃんは一度小学校に来たことがあって
全校生徒の前で(ある話し)をした事がある。
ある話とは【戦争】についての話しだった。

じいちゃんは戦争体験者で、「その貴重な体験を是非、学生の皆んなに話して聴かせてくれと」
当時の校長が直談判してきて渋々学校に足を運んだのだった。

当時、じいちゃんは長崎の工場で働いていた。
(何を作る工場かは覚えていない)
ある日の昼の休憩の前に工場長に言われて、
じいちゃんはみんなの分の弁当を買いに行かされた。
弁当を買って工場に帰る帰り道で

      【空襲にあった】

命からがら助かったじいちゃんだったが
腹と背中に銃弾を2発程、浴びたらしい。

「へぇ〜撃たれた時は痛いの?」
と、呑気に質問する私に

「もちろん痛いさ、痛いは痛いが、まず先に撃たれた場所が熱いも熱い!
それから、あぁ、俺は撃たれたんだな。と分かる痛みが後からやって来る」

(自分の体から取り出した2発の銃弾と傷跡を、何度か見せてもらった事がある)

「へぇ〜それでどうしたの?」
また呑気に質問する私に

「それから腹を抱えながら、工場に帰ったよ。もう工場は近かったからな。でも。。
帰ると、工場はさっきの空襲で、木っ端微塵に吹き飛ばされていたよ」

「さっきまで冗談なんか言って笑い合っていた大勢の同僚達は凄まじい姿になっていたな。
その惨たらしい姿に正気ではいられなかった」
そして
「俺は気がついたら天に向かって泣き叫んでいたよ」

コンナコトガオコルナンテ
ダレガシテイイハズモナカロウ
イッショケンメイイキテイル
タダタダソレダケナノニ
ナゼヒトハヒトヲニクムノカ
ナゼヒトハユルシアエヌノカ
ナゼウバオウトスルノカ

消えることのないじいちゃんの
心の言霊が吐露した

「あんな事は2度と起きたらいかん」
「あんな事は2度と…」

【じいちゃんの眼鏡の奥の瞳から涙が一粒こぼれた】


じいちゃんがその話を学校の皆んなの前で話した後に、全校生徒がお礼に【メッセージカード】と花束を一緒にプレゼントしてくれたのだが
本人はそれを死ぬまで大事にしていた。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

そんな人に私はなりたい。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集