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お蝶と菊舞団の憂鬱 第一話 怨念の仇敵
あらすじ
戦国時代の近江。
琵琶湖の東岸に広がる平野の北側を江北と呼び、南側を江南と呼んだ。
そして、江北の北軍と江南の南軍が近江の覇権をめぐり争っている。
江北では、京極家を追放しようと浅井家が新勢力として台頭してきた。
その時、京極家と浅井家の争いの狭間で揺れ動いていたのが今井家だった。
今井家を出奔したお蝶は許嫁の命を奪った北軍の新庄直昌に復讐を果たすために、何でも屋の「菊舞屋」に直昌殺しの手伝いを依頼するのであった・・・。
登場人物
お蝶 今井家の静姫。幼少期に火傷して女を捨てた。
人心掌握術に長け、身体能力が高く弓が得意。
許嫁であった井戸村清秀を殺した直昌の命を狙う。
龍之介 傭兵の菊舞団(何でも屋の時は「菊舞屋」)のリーダー。
戦闘能力は低いが、逃げるのが得意「逃げの龍」。
面倒くさがり屋で、美人に弱く騙されやすい。
新庄直昌 北軍で騎馬隊を率いる若き猛者「北軍の悪鬼」。
平太 菊舞屋の仲間。
一般常識を持っているが、腹黒いところがある。
梅丸 菊舞屋の仲間。
いつも腹を空かせた無邪気な子供。索敵能力が高い。
井戸村清秀 今井家の改革派。静姫の許嫁。戦で直昌に討ち取られた。
嶋秀安 静姫の弓の師匠。清秀の同志。修理亮は家臣。
雪火 龍之介が頼れる親友。北軍傭兵の炎舞団を率いる。
海坊主 傭兵の仲介屋で陸奥屋の店主。龍之介や雪火の裏の情報屋。
第一話 怨 念 の 仇 敵
琵琶湖の中心に浮かぶ沖島は湖上の要衝として商人や漁師達で賑わっていた。江南六角家の支配下であるが、彼らに国境は無く、江北浅井家との南北の政争に巻き込まれることもなかった。
だが、沖島の一部では裏の顔を持っていた。
そこは流刑地であり、荒くれ共が巣食う隠れ家ともなっていたのである。そして民が寄り付かない奥地には酒場の陸奥屋がある。店先には看板も暖簾も無く、今にも崩れ落ちそうな外観が廃屋を思わせ不気味であった。
そこへ武装した若い女のお蝶が一人で入っていく。
店内は薄暗く、壊れた机や割れた食器が放置されて荒れていた。見渡すと、素行の悪そうな輩達が三人、机に足を乗っけて昼間から酒を飲んでいた。関わりを持ちたくない雰囲気に眼を背けると、店の奥では丸坊主で眉毛も無く腕に刺青を入れる屈強な男が一人で皿を洗っていた。
お蝶に気づいた男は一瞬顔を上げるが、無視するように皿を洗い続けていた。無視する男に苛立つお蝶は言った。
「ここに仕事があると聞いた。」見下すような言い方に、男は無視を続ける。お蝶は怒鳴るように続けた。
「聞こえないのか!仕事を探しにこんな辺鄙な所まで来たのだ!」
「女に出す酒はねえ。」男はお蝶を見ることなく返答する。
その時、酒を飲んでいた野蛮そうな一人の輩がお蝶の後ろに立っていた。
「姉ちゃん、よく見ると美人じゃねえか。可愛がってやるぜ。」お蝶の腰に手を回し、そのまま手を下へ移動させ尻を撫でる。
お蝶の表情が一瞬引きつるが、眼元を吊り上げながら輩を睨みつけて言った。
「この下種野郎、手を退けろ。さもなくば、その腐った腕を切り落とすぞ。」
「怒った顔も可愛いなあ。」輩は「やれるものなら、やってみろ」と言わんばかりに、かまわずお蝶の尻を撫で続ける。
お蝶はその手首を掴み取ると、素早く回転して股間を蹴り上げる。輩が股間を押さえて怯んでいると、手首を持ったまま反転して背後から肘と肩の関節を同時に締め上げる。関節をきめられて床に倒れこんだ輩を狙い、お蝶は太刀に手をかける。そこへ輩の仲間が助太刀に入ろうと近寄ってくる。それを目にしたお蝶は倒れた輩を足で踏みつけて抑えると、背負っていた弓を瞬時に用意して歩み寄ろうとする仲間の足元に矢を討ちこんでいた。そしてお蝶は足を止めた仲間の頭を狙うように二の矢を構える。隙さえ与えず闘争心を丸出しにするお蝶に、二人の輩は動けなかった。
「お嬢様一人相手に何をやってやがる。降参しろ、お前達の負けだ。」輩達の首領らしき男の雪火が机に足を乗せたまま仲裁していた。その一言で輩達はお蝶を睨みつけながら雪火の許へ、おとなしく戻っていく。
雪火は軽く手を上げて、お蝶に「悪かった。」と謝るように笑みを浮かべると、仲間達と再び酒盛りを始めていた。
すると、皿を洗っていた屈強な男が重たい口を開いた。
「ここは、そこいらの酒場と違って銭が十倍かかる。」
「いいだろう。」お蝶は懐から取り出した銭を気前良く払う。
「俺がここの店主で海坊主と呼ばれている。」
「私の名は弓のお蝶。」
「あそこにいるのは、ここらで腕の立つ「棚ぼたの雪火」だ。覚えておいて損はねえ。」海坊主の言葉に、お蝶が輩達を再び睨みつけると、争いを仲裁した雪火が手を振っていた。飄々とした態度に「腕が立つ」とは到底思えない軽い男にしか見えなかった。
海坊主は一枚の紙を机に広げてお蝶に説明する。
「知っての通り、ここでは傭兵の仲介をやっている。そして江北と江南、どちらでも働き口がある。だが、江北の北軍は人が足りぬから江南の南軍より報酬は高い。」
「雇い主は北軍か南軍だけで、属する家名を選べぬのか。」
「無名なお前が仕事先など選べるか。名のある家柄から仕事を依頼されて報酬を増やしたけりゃ、雪火のように戦場で己の名を上げ続けることだ。・・・さあ、どうする。」
「南軍だ。」お蝶は迷うことなく即決した。
「無難な選択だ。報酬は少ないが、名を上げる前に死んでは意味がない。大軍を擁する南軍が敗北することも無いだろう。後は堅牢な城門、櫓、拠点を落とし、名のある武将を討って、お前の名を売れ。戦場じゃあ、名を上げる事だけを考えることだ。」
「戦は、いつ起こりそうだ。」
「江北に不穏な動きがある。どうやら、京の政争と関係があるらしい。江北を京極家から力で掌握しようとする浅井家の動きは機敏だ。これから半年以内には始まるだろう。」
「わかった。」
「お前の度胸を買って、ある男を紹介してやる。そいつなら、お前の望みを叶えるために役立つだろう。」
「どこのどいつだ。」
「江北の今浜で何でも屋をやっている菊舞屋に行って、「逃げの龍」に相談してみろ。」
用事を済ませて、さっさと店を退出しようとするお蝶に、雪火が笑いながら呼び止める。
「お嬢ちゃん、俺の女になったら、希望の家名を選ばせて戦場へ連れて行ってやるぞ。こいつらじゃ俺の助太刀にならねえからな。」
「兄貴、そりゃないですよ。」雪火の部下達が狼狽える。
「まあ、俺は報酬の高い北軍しか志願しないから、お嬢ちゃんにとっては用無しのようだな。」雪火の言葉を無視するように、お蝶は陸奥屋を出ていった。
傭兵は金次第で敵と味方を入れ替え、忠義を持たぬ不届き者と軽蔑されていた。だが、実力さえあれば富も名誉も手に入れることができる。身分制度によって締め出された名も無き者にとって、戦とは混沌と荒廃を生み出すだけでなく、無限の可能性を秘めていたのであった。
「あの女、馬鹿みたいに張りきっているが、戦で一旗上げたい口か。」雪火が海坊主に確認する。
「違うな。吹っ掛けた口利き料の払いっぷりと、躊躇無く南軍を選んだところを見ると・・・。」
「怨恨か。女の恨みは怖いねえ。」
沖島から舟で戻ったお蝶は砂浜に降り立つと、子供達数人が木の棒を手に遊んでいる姿を見かける。
「わいが剣聖の馬渕重綱じゃー。」
「ほんなら、わいは白虎の青地道徹やー。」
「わいは不死身の堀能登守がええ。」
「しんちゃん、そらあかんわ。弱いんやから、逃げの龍にしとき!」
「ええ、またー逃げてばかりで嫌だよ。」
子供達が戯れる横をお蝶が通り過ぎる。
「逃げの龍、少しぐらい名は知られているようだな。」
お蝶はふと立ち止まり、江北の方角を見上げていた。その視線の先には朝妻城がある。そして顔を強張らせると、身体を震わせながら拳を強く握りしめる。
「待っておれ、憎き新庄直昌。恨みを果たさせてもらうぞ。」
深夜、急勾配の城壁をよじ登る龍之介と平太の怪しげな影がある。眼下には深い水堀がある。どうやら二人はその水堀を密かに潜ってきて城壁を登り始めたようである。予想以上に高く勾配のある城壁を前に、明らかにその一歩一歩が遅くなり、時間がかかっていた。龍之介の気力は力尽きそうであった。
「おい平太!このルート、間違ってねぇか?」龍之介が愚痴る。
「間違っていませんよ。ただちょっと勾配が想定以上にきついですけど・・・。」
「ちょっとどころじゃねぇだろ、この反り返り。半端ねぇぞ。どう考えても無理ゲーじゃねぇか。」
「同じ宝刀を探している幽玄団をだし抜くためには、少しぐらい我慢してくださいよ。計算だと、あと少しのはずなんです。」
「さっきも同じ事を言っていたじゃねぇか。あと少し、あと少しって・・・報酬の俺の取り分は倍だからな。」
「待ってくださいよ。龍さんの取り分を増やしたら、また僕達の取り分が無くなっちゃうじゃないですか。そもそも、こんな難儀な仕事を安請け合いした龍さんが悪いんじゃないですか。城内の内通者に賄賂を払ったから、僕たちに残った取り分はほんの少ししかないんですよ!」
「俺が悪いっていうのかよ。」
「そうじゃないですか。若くて綺麗な女の人から依頼されると、いつも安請け合いするんですから。かっこつけるのもいい加減にしてくださいよ。そのおかげで、いつも被害を受けるのは僕と梅丸なんですから。しかも今回の契約は成功報酬型なんですから、宝刀の奪取に失敗したら収入は全くないんですからね!」
「ゴタゴタ言うんじゃねぇよ。失敗みたいな後ろ向きな事を考えるな!前向きに考える人に幸運は訪れるんだ。「諦めたら、そこで試合終了ですよ」ってどこかの偉人が言っていただろ。」
「それ、漫画の世界ですよ。」
「安西先生!さあ、切り替えて前向きに行こう!」
「誤魔化さないでくださいよ。これからは僕らの身になって、少しぐらいは我慢してくださいね。」
「我慢だと、・・・我慢と言えば腹の調子が悪くなってきた。・・・なんか漏れそうだ。」
「止めてくださいよ!こんな所で!臭いで気づかれるじゃないですか!」
二人の後方支援のために、遠くから様子を眺めている梅丸が呆れていた。
「あいつら、ガキか。」梅丸は子供の自分より精神年齢が低い二人に嘆くと、ドSの性根に火が付きそうであった。
「もっと盛り上げるために城に通報してやろうか・・・。」
龍之介と平太は高い城壁を登りきると城内に入った。龍之介は平太に確認する。
「早く宝刀の在り処まで案内しろ。お前が買収した内通者はどうなっているんだ。もう俺の頭の中は、宝刀よりも厠へ行くことでいっぱいなんだよ。」
「くれぐれも漏らさないでくださいよ。宝刀のある部屋には目印があるはずなんです。」
「そもそも、大事な物なら城内じゃなくて、でっけぇ錠前付けた蔵に保管すればいいのに、なんでわざわざ城内に置くんだよ。」
「先月、地中の下に穴を掘り続けて蔵までたどり着いた盗賊がいたそうです。たぶん、それでもっと安全な場所を探して、人目がある城内に移したんだと思います。」
「なるほど、その盗賊は幽玄団の息のかかった奴らか。」
「盗賊に蔵を襲わせて、人目の多い城内へ移して安心と思わせ、実はその人目の中に籠絡した仲間がいるから奪いやすいということですね。」
「そういうことだ。・・・菊の花があったぞ、手紙が結いつけてある 。俺は腹が限界だ。お前が読んでくれ。」
龍之介から渡された手紙を開いた平太はその内容に愕然とした。
「おつかれさん」と書いてあり、内通者に裏切られた平太は龍之介にバレないように誤魔化そうとする。
「他にありませんか?」平太は平静を装う。
「もうねえよ。入るぞ。」と龍之介が目印のあった部屋の襖を開けた瞬間、武装した兵が数十人いたことに気付き、素早く襖を閉める。
二人は顔を見合わせると、脱兎のごとく走り出した。
その後方からは「曲者だ!」の大声が上がった。そして、次々と「曲者だ!捕まえろ!」と叫び声が響き渡り、いたる所に火が灯され城内が明るく照らされていく。そして、その声と灯が二人の逃げ出そうとしている城壁に向かってくる。
龍之介が平太に問いただす。
「どうなっているんだ!」
「幽玄団に先を越されたようです。」
「内通者に裏切られたな。」
「しょうがないでしょ。掴ませる銭を値切ったからですよ。」
「お前は人が好過ぎるんだよ。」
二人は城壁から水堀へ飛び込んだ。
平太は敵に狙われないように水中を潜るが、龍之介は顔を水面に出しながら泳いでいる。
敵兵は龍之介を狙って城壁の上から矢を放ってくる。だが、控えていた梅丸が茂みの中から二人を援護するように矢を射かける。
水堀を出た二人は梅丸が用意していた馬に跨って逃げ去った。
「危機一髪でしたね」平太は肩で息をする。
「俺達は何もしてないんだから、あんなにむきになって追いかけなくてもいいのに。」
「龍さん、腹の具合は大丈夫ですか?」
「ああ、すっきりしたからな。」
「・・・!ひょっとすると、水堀の中で脱糞したんですか!だから、潜らなかったんですか!」
「正解!正確に言うと、城壁から飛び降りる前にぶちまけてやった。だから、大して矢が飛んで来なかっただろ。」
「それなら、教えてくださいよ!龍さんの後ろを潜っていたから、口に入っちゃったかもしれないじゃないですか!」
「大丈夫だ!そんだけ、怒る元気があるんだから。でもちょっと、お前の口元に黄色い物が・・・。」
「お前ら、最低だ。」梅丸が二人を見下すような素振りを見せると、平太が「龍さんといっしょにするな」と梅丸と口喧嘩を始めた。
龍之介は二人のいつもの様子に笑いながら、罠に嵌まった部屋の前で微かに香しい匂いが残っていたのを思い出していた。
「あの香は・・・。」
江北の今浜に「菊舞屋」と名乗る何でも屋があった。
その菊舞屋が戦で傭兵として出陣すると「菊舞団」と名を変える。
どこの傭兵も戦場では「〇〇団」と名乗り十数人以上で構成した組織で動いているのが通常である。だが、菊舞団は龍之介、平太、梅丸の三人しかいないために、戦場であろうと「菊舞屋」と他の傭兵団から呼ばれて小馬鹿にされるのであった。
その家主の名は龍之介という。
いつも着崩しており、見た目の通りいい加減な男である。戦闘能力は低いが、危機察知能力が高く、逃げるのが得意なので「逃げの龍」と呼ばれている。面倒くさがり屋で、美人に弱く騙されやすいのが特徴である。
平太は一般常識を持っている真面目な性格である。適当な龍之介に代わり菊舞屋の屋台骨を支えている。身なりはいつもきっちりとしていて、こぎれいにしている。だが、実は腹黒いところがある。戦闘能力は龍之介より低い。
梅丸はいつも腹を空かせた無邪気な子供である。前髪が顔全体を覆うほどで表情は口元しか見えない。視力が良いため索敵能力が高く、小さいながらもすばしっこく身体能力も高い。
それから数日後、仕事に失敗した三人は職場である何でも屋の「菊舞屋」で愚痴を垂れていた。
「龍ちゃん、腹減った。何とかして。」日頃は口数が少ない梅丸が駄々をこねる。
「水でも飲んで、お腹をいっぱいにしておけ。」龍之介は梅丸をなだめようとする。
「誰かみたいに漏らすのは嫌だ。」梅丸は龍之介を軽蔑するような視線で見下す。
「贅沢を言うな。敵に捕まって牢獄に放り込まれて水も飲めない過酷な状況の訓練だと思え。水のありがたさがとってもよくわかるぞ。」と隠していた餅を一人だけでしれっと食べる。
「しくじった平太、何とかして。」梅丸の愚痴は平太に向けられた。
「そうだ、しくじった平太が悪いんだ。どうにかしろ。」龍之介が同調する。
「お金が全く無いんですよ。また、伊勢屋でタダ働きして食料を恵んでもらわないと駄目ですね。」
「しょうがねぇだろ。お前がしくじったんだから。早く梅丸と二人で伊勢屋に行って、頑張って稼いでこい。」龍之介は二人を隣の伊勢屋へ向かわせようとする。
「龍さんもいっしょに行かないんですか?」
「俺は客人が来るからな。」
「仕事ですか。それなら僕たちもいっしょに話を聞きたいですよ。」
「なんでだよ。」
「だって、依頼主が可愛い女性だとカッコつけるから、必ず安請け合いするじゃないですか。」
そこへ、右近と名乗る老人の客が現れた。
「し、・・・しご・・・仕事を・・・頼み・・・たい・・・のですが。」
聞き取りづらい右近の言葉に、龍之介は真面目に返答する。
「どうした爺さん、「地獄を見たい」って言っているのか。俺は今苛立っているから簡単にあの世に送ってやれるぞ。」
「そんなこと、一言も言っていないじゃないですか!仕事の依頼をしに来てくれたんですよ!」
龍之介と平太の会話が聞き取れない右近は困惑した表情をする。
「爺さん、悪いが俺はこれから大事な商談があるから、また来てくれ。」と龍之介は右近を菊舞屋から追い出そうとするが、それを平太が押し止める。
「ちょっと待ってくださいよ。」
そこへ、修理亮と名乗る男前の若侍が現れた。
「仕事を頼みたいのだが。」
「予約はあるのか。忙しいから、またにしてくれ。」と龍之介が修理亮を菊舞屋から追い出そうとする。それも平太が押し止める。
「もう、いい加減にしてくださいよ!」早々に断ろうとする龍之介を平太が説得する。
「今、僕達はお金が無いから腹を空かせているんでしょ。そこへ、ありがたいことに仕事を依頼されているんですよ。ご飯が食べられるんですよ。どうして、勝手に断っちゃうんですか!」
そこへ、凛とした佇まいのお蝶と名乗る若く綺麗な女性が現れた。
「陸奥屋の海坊主殿に紹介されました。逃げの龍殿はおられますか。」
「私が龍之介です。海坊主から話は聞いております。お待ちしておりました。」と龍之介はお蝶を菊舞屋に招き入れて、椅子に座らせるとお茶を出す。
「沖島から、ここまでさぞ遠かったでしょう。お腹は減っていませんか。お餅でよろしければ、どうぞお召し上がりください。」と隠していた餅を差し出す。それを見た平太と梅丸は両目を大きく見開きながら「裏切り者め」と龍之介を睨みつけた。
そして、綺麗な女性を優先するために、他の仕事を断ろうとする龍之介の魂胆に、平太は呆れながらも冷静に対処する。
「右近さん、修理亮さん、少々お待ちください。順番にお伺いいたしますので」
「あまり・・・時間が無いので、・・・他のお店に・・・。」右近は懐から紙を広げて、他の何でも屋を探そうとする。そして、修理亮も時間が無いように焦っている。
「今、話ができないのであれば他を当たらせてもらう。」
「お待ちください!わかりました!今、すぐにお話を伺いますので、少しだけお時間をください。」平太は右近と修理亮を押し止めると、龍之介と梅丸を裏部屋に呼び寄せて相談する。
「もう、こうなったら皆さんの相談を同時に聞くしかありません!守秘義務があるので、三人で手分けして個別に聞くことにしますよ。各々の担当窓口を決めましょう。」
「平太、たまには良い事を言うじゃあねぇか。ナイス提案だぞ。俺は最初っから、お蝶様との約束があったから、他は二人で頼むぞ。」
「イケメンが良い。使えない平太、爺さんは頼んだぞ。」梅丸は平太の肩を叩いていた。
「はいはい、わかりましたよ。どうせ、こうなるんですよね。じゃあ、皆さんくれぐれも安請け合いしないようにお願いしますね。それと、契約料金は成功報酬系を避けて、ある程度、調査費などの名目で費用が定期的に取れるようにしておいてくださいよ。」
「平太、あの爺さん、金を貯め込んでいそうだから、がっぽりいけよ。」
「龍さんこそ、お蝶さんに良い顔して安請け合いしないでくださいよ。」
こうして、美人のお蝶は龍之介、老人の右近は平太、若侍の修理亮は梅丸が各々相談を請け負うこととなった。
各々受けた三件の依頼内容を紙に書き写し、裏部屋で確認した菊舞屋の三人は眼を丸くして顔を見合わせていた。何故なら、矛盾して請け負えない内容があったからである。
一つ目は江北の武将である新庄直昌を殺すこと お蝶
二つ目は江北の武将である新庄直昌を守ること 老人の右近
三つ目は江北の武将である新庄直昌を狙うお蝶を守ること 若侍の修理亮
平太が動揺するように確認する。
「どう考えたって、お蝶さんと右近さんの依頼を同時に受けることはできませんよ。」
龍之介は真面目な平太を笑うように言った。
「どうしてだよ。両方とも請け負えば、どっちかは必ず達成できるじゃねぇか。まあ、どっちを優先させるかは決まっているがなあ。」
「それって、卑怯じゃないですか。どっちかの依頼は始めから手を抜くことになるんですから。」
「卑怯がなんだ。借金だらけで俺達には明日が見えないんだ。なあ、梅丸。」
「お腹が減って、死にそうだ。」
「でも、よく考えてくださいよ。お蝶さんの報酬は高いですが、戦が始まったら傭兵として参陣しないといけないんですよ。もう南軍に入ることを決めているみたいだし。しかも、お蝶さんが新庄直昌を狙うんだったら、危険な前線に出ざるを得ないじゃないですか。僕達は命を落とすかもしれないんですよ。しかも、新庄直昌って北軍の中でも激しい戦闘をするって噂ですよ。」
「じゃあ、爺さんの依頼通りに直昌を守ったら、俺達は安全なのか。」
「そ、それは・・・。」
「そうだろ。どっちにしても、前線に出ざるを得ないんだ。直昌は浅井家の中では新参者だから必ず前線に送られるし、直昌も武功を上げるために前線を直訴するだろう。」
「そりゃ、そうですけど・・・。」
「もし、前線に行っても、いつも通りに適当にやっていればいいんだよ。しかも、南軍なら大軍だから危険なめに会うことはねぇだろうよ。」
「じゃあ、皆さんに不公平感を無くして納得してもらうためにも、どっちの依頼を優先させるかを決めましょうよ。」
「そんなもん、守秘義務でお互いの依頼内容は知らないだから黙っとけばいいんだよ。そうすりゃ、不公平感なんて生まれないだろ。」
「それじゃあ、申し訳ないですよ。」
「良い考えがある。俺達はお蝶の依頼通りにいっしょに南軍の傭兵になって、お蝶が直昌を殺す段取りさえすればいいんだ。そこまでが俺達の仕事なのは了承済みだ。」
「やっぱり、美人を優先させるんじゃないですか。」
「最後まで聞け。ダチの雪火が北軍の傭兵に雇われるから、あいつらに金を掴ませて直昌を守ってもらうように依頼しておくんだ。」
「結局、右近さんの依頼は雪火さんに丸投げで、手数料をかすめ取るっていうことですよね。なんか、僕達、悪い事していないですかねぇ。」
「そもそも、今俺達が貧乏なのは、お前が宝刀の案件で失敗したからなんだぞ。きれいごとを言ってねぇで、両方とも請け負えばいいだよ。そうすりゃあ、修理亮の依頼も受けられて、雪火も小銭を稼げて、みんな万歳じゃあないか。」
「腑に落ちないなあ・・・。」
「そもそも、戦が始まらなかったら、丸儲けでラッキーじゃねぇか。」
「納得できないなあ。」
「どこが悪いんだよ。俺達はお蝶といっしょに傭兵として南軍に参加し、お蝶を護衛しながら北軍の直昌を狙う振りをして直昌とお蝶も守る。ただ、これだけのことだ。簡単だろ。」
「何か、騙しているみたいで乗り気がしないなあ。」
「ということで、全部請け負うからな。こんなに依頼が来ることなんて滅多にないんだからな。どいつもこいつも金を持っていそうな奴らなんだから、がっぽり行こうぜ。」
裏部屋から出た三人は各々と契約を交わし、右近と修理亮は店を出て行った。
龍之介はお蝶から前金を受け取って誓約書を手渡す。
「これで契約完了だ。」
「ということは今日から私が皆さんの主ということでよろしいのでしょうか。」
「そうです。今から何でも命じてください。」
「喉が渇いた。」
「平太、お茶をお持ちしろ。」
「腹が減った。餅以外に何か無いのか。」
「梅丸、伊勢屋から食い物をかっぱらってこい。」
「背中が痒いぞ。」
「どの辺でしょうか。」と龍之介が気を使いながら孫の手でお蝶の背中をさする。
お蝶の矢継ぎ早の命令に、龍之介、平太、梅丸の三人は振り回される。しかも、どうでもいいような我儘な振る舞いに三人は戸惑っていた。そんな三人にかまうことなくお蝶は叫んだ。
「さあ、みんな気張っていくでぇー。」これまでお淑やかだったお蝶が関西弁をバリバリに使う変わり身に、三人は唖然としていた。
「なんやねん。文句あるんかい。」
「えー、そのー。」龍之介が返事に困っていると、お蝶は脅しをかける。
「文句でもあるんかい。他へ行ってもいいんやで。」
「いやいや、滅相もございません。」龍之介は安心させるように笑顔で答える。
「そうやなあ、これからはご主人様と呼んでもらおうか。」とお蝶は足を組んで椅子にふんぞり返った。
平太と龍之介はお蝶から離れてヒソヒソ話を始める。
「何か、感じが悪すぎますよ。完全に契約前までのお蝶さんと違う人物ですよ。僕たち騙されたんじゃないですか。龍さん、海坊主さんに何か言われてなかったんですか。」不安そうな平太は龍之介に確認する。
「何も聞いてねぇよ。ただ、「お前の好みの女が相談に行くからよろしくなあ」と言われただけだ。あいつ、嵌めやがったな。」
「お金を返して、契約を破棄しましょうよ。」
「駄目だ。もう梅丸が伊勢屋で食料を大量に買い込んで戻ってくる頃だ。どうせ、あいつのことだ。我慢できずに、もう何か食っているに違いない。だから、返すこともできねぇぞ。」
「僕達が悪巧みをしたから、罰が当たったんですかね。」
「仕方がねぇだろ。あの金がねぇと俺達は腹一杯に飯を食べられないんだ。俺達が少し我慢して「はい、はい」って従っている振りさえしとけばいいんだって。」
「今から、あの調子で大丈夫ですか。僕たち奴隷にされちゃうんじゃないですか。」
「たまには、そんなプレイも面白そうじゃないか。何事も、前向きに考えるだ!」
「不安だなあ。」
すると、隣の伊勢屋から梅丸が予想通り干物を口に加えたまま帰ってきた。そして、抱えていた大量の食糧を机の上に広げた。皆が一斉に手を伸ばした時、お蝶が叫んだ。
「待て!」と片手を伸ばし、掌を広げて、三人を抑えるように合図する。びっくりした三人は言われたまましばらくその態勢のまま見合っていると、お蝶が手を下ろして笑顔で頷きながら言った。
「よし。」
三人はご主人様のお蝶にお預けを喰わされた飼い犬のように感じて、伸ばした手を引っ込めていた。そして、ヒソヒソ話を始める。
「俺は、あいつの・・・忠犬扱いかよ。」龍之介は歯ぎしりする。
「なんか、屈辱的ですよね・・・このまま僕達、お蝶さんに飼い慣らされちゃうんじゃないですか。」平太が眉間にシワを寄せて、今後の事を心配する。
「あいつ、どうにかして。」梅丸は二人に訴える。
「龍さん、お蝶さんとどんな契約にしたんですか。」
「確か、調教プレイのオプションは契約に入ってなかったはずだぞ。」龍之介は交わした契約書を確認しながら、冗談でごまかそうとする。
「あら、誰も食べはらへんの。お先に、ごちそうさん。」お蝶は一番美味しそうな団子を一人で食べていた。
その姿を三人は悔しさを押し殺すように唇を噛み締めて眺めるだけであった。
お蝶は菊舞屋の隣にある旅籠の「伊勢屋」を仮住まいにしていた。暇になると菊舞屋に行って、わがまま放題、キレ放題に暴れて三人を虐げて遊んでいた。それに飽きると琵琶湖の浜辺まで歩き、陰鬱になりそうな曇り空を見上げ、沖島へ向かった数日前のことを思い返していた。
戦国の近江は北と南に分裂していた。
南の江南は六角家が治めている。
北の江北では京極家の内部抗争を機に、新たに浅井家が台頭してきていた。
混乱する状況下で、六角、京極、浅井とどの勢力にも属さず日和見している一族がいくつかあった。今井家はその一族の一つであった。
心の奥まで凍てつきそうな夜風に吹かれながら、篝火に灯された箕浦城内の広い庭先には的を狙って弓を射っている静姫の姿があった。無心に矢を放っていながらも、心の中ではこれまでの不幸な出来事を恨むように的を睨んでいた。
静姫は箕浦城主の今井秀俊の次女に生まれたが、姫としての振る舞いよりも武芸を好んでいた。幼少の頃、大火事に巻き込まれて一命を救われたが、胸には大きな火傷の痕が残ってしまったのが原因である。
その日以来、女としての傷を心に負った静姫は運動神経の良さを武芸に活かし、修練に励むようになった。負けん気が強い静姫は、嶋秀安の厳しい指導の下で弓術の腕前を上げ続けるのであった。ただひたすらに弓術に打ち込む姿は、まるで傷の負い目を振り払うために、女として生きる道を捨て、武人として身を立てようとしているようにも見えていた。
そんな静姫に付き従う侍女や家臣達は姫らしい振る舞いを会得させようとするが、静姫は全く聞く耳を持たず、野蛮な言葉を使い横柄な態度で困らせるだけであった。皆は静姫を宥めようとするが相手にされず、やがて腫れ物に触るように誰もが毛嫌いして接するのを控えていったのであった。
静姫は孤独に陥っていたが、年を経る毎に女性として麗しいほどの魅力を増していった。誰もが女性として、姫として対応しようとするが、静姫の機嫌を損ねるだけであった。
そんな時、今井家の家臣である井戸村清秀と出逢った。
清秀は嶋秀安と共に、今井家の中で若手改革派の筆頭に挙げられていた人物であった。人心に篤く、正義感に溢れ、常に筋を通す言動は未来を担える人材と云われていた。
静姫は秀安から清秀を紹介されると、その優しさに惹かれて共に過ごすうちに心の傷を癒されていった。そして女として再び目覚めることができたのであった。二人は仲むつまじく愛を育み、祝言を迎えようとしていた。
だが北伐(江南の南軍による江北侵攻)が始まると、今井家は同盟を結ぼうとしていた北軍を裏切って大軍を擁する南軍と手を結ぶことで一族を存続させようとした。そのため、姉である香姫が人質として江南の当主である六角家の家臣の下へ嫁がされた。そして六角家は今井一族の結束を許さず、静姫と清秀の祝言にも圧力をかけて破談させた。二人は悲嘆に暮れながらも互いに秘めた愛を育み貫こうとした。
その後、清秀は江北の浅井家に対して反乱を起こした京極高吉に呼応して、後に「内保河原の戦い」と呼ばれた戦に出陣することになった。そして、北軍の新庄直昌に討ち取られてしまい、静姫の許に生きて帰ることができなかったのであった。
これまでの不幸な生い立ちを振り返りながら静姫はただひたすら弓を射続けていた。だが、静姫の脳裏には清秀への愛情がいつまでも離れず、矢は的を捉えない。そこへ静姫の武芸の師である嶋秀安が現れる。
「心が乱れれば、弓は操れませぬ。心の定まった姫の腕前であれば、戦で十分使えるはずです。」
「動かぬ的など鍛錬にならぬ。」言い訳がましい静姫の言葉に、秀安は諭すように呟く。
「何事も基本ができていなければ、全ては成せませぬ。どのような状況であろうと、どのような体勢であろうと、どのような精神状態であろうと・・・。」
「全てを仮想して己で考えなければ、鍛錬はただ時間の無駄であったな。」
「左様でござります。」
「秀安は腐った老臣共の評定に出ぬのか。」
「それがしは戦奉行であり、命じられたままに戦うだけでござります。」
「罪や責任を人に擦り付け、己の身を守ることしか考えられぬ糞共に、いつしかわらわも振り回されるのであろうな。」
「このままであれば、その噂も誠となりましょう。」
「姉上や秀安の妹を含め、毎年幾多の姫が江南へ連れ去られておるのだ。」
「弱き立場で江南六角家への迎合を続ければ、一族に待っているのは滅びの道のみでござります。」
「そなたの父である若狭だけが頼りでは行く末も見えておる。ならば秀安、腐った老臣共が決めたことに黙って従うことはなかろう。」
「殿の跡を継ぐ秀信様と父上だけでは今井家の運命を変えることは至難の業でござります。されば、事を起こすにも時勢というものがあります。」
「さようか。それを聞いて安心した。わらわは先に己の道を進む。」
「されば、再びお会いする時は戦場で敵同士となっておるかもしれませぬなあ。」
「案ずるな、わらわは今井一族の娘。」
「何処へ向かいなさりますか。」
「清秀様の無念を晴らさぬ訳にはまいらぬ。北軍の悪鬼、新庄直昌を血祭りにしてくれよう。」
静姫が放った矢は的の真ん中を撃ち抜いていた。