【私と気学との出会い】その6― 私信ですが、風水の理論上では『人の寿命を予見することは不可能ではありません』―
気学では、人の生死には関わらないのが原則です。
ですが、やはり父の突然の死は、家族にとってはとてもショックなことでした。
ゴルフコンペの日曜日の早朝に、張り切ってお迎えの車に乗り込み出かけたのですから、その日になぜ帰らぬ人になったのか。
なにが原因だったのか。
特に母は知りたかった様でした。
父が亡くなった年の初盆が済んだころに、母は一人で荻窪の先生に会いに行ったそうです。
父の心筋梗塞による突然の死は、だれもが予測は不可能なはずは重々承知の上で、母は先生に尋ねたそうです。
母は、
「先生は、夫の死が近いことをお察しになっていらっしゃったのでしょう!?」
と問うたそうです。
私はその話を母から聞いた時に、思わず身を乗り出して聞いてしまいました。
「そ、それで、先生は、なんと答えたの?」
先生は、しばらくの沈黙の後に、「これをご主人様のご霊前に」と言って、伽羅(きゃら)のお線香の小箱を母に差し出されたそうです。
言葉というものは、人への思いやりを伝える手段ではありますが、“無言の思いやり”もまた、人の心を慰められるものです。
この教えを、私の気学の先生は教示してくれた方でした。
これはあくまで私信ではありますが、風水の理論上、『人の寿命について予見することは不可能ではありません』。
しかし、それには条件があります。
気学は風水の考え方が基となると、先述いたしました。
「風」は呼吸。「水」は津液(血液や体液)
この考え方をより人の生命に応用したとすれば、「風」は呼吸。つまり生命力やエネルギーの流れを表します。そして、「水」は血液や体液(中医学でいう津液)と考えることができます。
ですので、気学(風水)の考え方では、適切な呼吸法を学び、水分摂取や栄養バランスを考えた食事を摂り、加えて適度な運動などで血液の流れを良くすることなどが、気学の理念に沿った健康維持法となります。
この方針の生き方をする人の寿命は、測り知ることができる
と私は考えています。
その良き事例としては、私の母の場合です。
母は平成28年2月25日に亡くなりました。享年90歳でした。
この日の九星盤では、年盤が二黒土星、月盤が二黒土星、日盤も二黒土星となり、母の本命(誕生年)が丙寅の“二黒土星”です。
これはまさに寿命を全うしたケースと私は考えています。
しかし、残念ながら私の父は違いました。
なぜなら、いつもひもじい思いを耐えた戦中派でしたので、戦後の高度経済成長期には美味しいものを腹いっぱい食べることが、戦後を精一杯に生き抜くバイタリティとなったからです。
その点では、残念ながら私の父は、本来与えられた寿命を全うしたとは言えなかったのでは、、、?と私は思うのでした。
気学的健康法については、別の企画を予定していますので、あらためてご案内させていただきます。
いつまでも若々しく、美しく、痛みや苦痛がない生活を目指すために
気学的健康セラピーをぜひご一緒に。
お楽しみに。