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かなのすまいのアシスタントに異動となって 田邊 豊




 ラルシュかなの家は、知的障害者の就労支援という作業を行う就労訓練と生活介護をしている作業所と、障害者(なかまと呼んでいます)の人たちが、寝泊りして生活するグループホーム(かなのすまい)があります。私は、作業所でなかまの人たちと農作業をするアシスタント(支援員)でしたが、すまいのほうに移動になりました。



 通所してくるなかまの人達とは会うことが減ってしまうので、「さみしい」「行かないで」などと言ってくれる人たちがいました。朝にグループホームのなかまの人を作業所に、一緒歩いて送るときや、何かのイベントの時になど会えることがあるので、まったく会えないわけではないのですが、なかまの人はアシスタントに毎日会えることが楽しみにしているということが分かりました。

 なかまの人を送迎して来る家族や、作業所で働く人からも会えなくなって寂しいと言ってくれる人がいて、自分も寂しい気持ちがありましたが、そう言ってもらえて自分が必要とされているのかなと思えて、うれしくもありました。

 すまいのなかまは「すまいに来てくれて、ありがとう。」と言ってくれる人たちがいました。言葉を発することが出来ないなかまの人たちも、顔をニコニコさせて、迎い入れてくれて、喜んでもらえたのが何よりも嬉しかったです。

 かなの家のすまいでは、朝食と夕食のときにお祈りの時間があります。賛美と個人のお祈り、澤田神父のラルシュ50周年のお祈り、主の祈りをします。
 夕食時の個人の祈りで、あるなかまの人が「田邉さんがすまいに来てくれて、ありがとう」とお祈りをしてくれました。私はうれしくて、半泣きになってしまい、その後の祈りは涙声で祈りを続けました。

 すまいでは、なかまの生活に密着しています。食事を作って、食事を共にし。お風呂、着替え、歯磨き、髪の毛の手入れや爪切り、ベットメイキング。買い物の支援や通院の支援も行います。
 作業所よりもすまいでのほうが、なかま達の人間味が増しているように感じます。どうしようもない感情を、なかまの人は吐き出すしかない。

 私達は、自分の思いを隠そうとします。特にアジア人、中でも日本人はそれが強いのではないでしょうか。でもなかまの人たちは、包み隠さずに感情をぶつけてきます。
 喜び、泣き悲しみ、怒り、嬉しさをそのまま出します。なかまの人は、食事をすごく楽しみにしています。夕食の時は、みな席に座って笑顔で食事の準備を見守り、心待ちに待っています。
 お客さんなどが訪問して食事を共にするときは、みなテンションが上ります。 
 誰がお客さんの隣りに座るかで喧嘩になったり、お客さんの顔をじーと見つめて、ニコニコしたりするなかまもいます。




 聖書の御言葉に、また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。むしろ、宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」ルカ14章12~14節。

 なかまの人たちと生活をすることは、イエス様が言われたこの御言葉を実践しているのかと、私は受け取りました。なかまの人達はお客さんや新しく来た人を、全力で迎い入れてくれます。

 お客さんが来ると、ワッと集まって満面の笑みで握手をしたり、ハグをして嬉しい気持ちをぶつけます。その歓迎ぶりは、愛と喜びに満ちあふれていて、幸せな気持ちになります。人間味に溢れたなかまの中で、生活を共に出来て私は幸せです。

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