あなたと私がさびしいときに
子どもの頃からとても好きだと思う詩である。
私のさびしさをありのまま受け止めてくれる人は存在しない。
しかし、そのような人がいないというさびしさも含めて私のさびしさをありのまま見てくれる存在はいる。
なんて温かくて、かなしくて、美しい眼差しを持った人の言葉なのだろうと、彼女より歳をとった今、より一層感じる。
私たちは、「さびしいね。」とそばで言い合えるのに、お互いのさびしさをありのまま見ようと努めると、私のさびしさとあなたのさびしさは違うものだと気づいてしまう。
だから、仏様のように、あなたと一身になって「さびしいの」とは言うことができない私がいるというかなしさを味わうことになる。
私はあなたと一身にはなれないけれど、せめて人と寄り添いたい気持ちがあるとは言わせてほしい。その寄り添いたいという気持ちを「共感する」と表現させてほしい。
幼い私の子どもが、いつかあなたを産んだ私でさえ、あなたのありのままを見ることができないと理解した日に、この詩と言葉を伝えたい。
それが私の子どもあるいは人に対して「優しくする」という私のできる唯一のことだと思うからである。
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